原子力行政への不信感が風化しない原因

2011年3月の福島第一原発での事故は、日本の原子力行政のさまざまな問題点を浮き彫りにしましたが、その根底にあるのは、難しい問題を先送りし責任の所在を曖昧にする官僚体質であり、「住民との対話」は「お上が決めたことを住民に説明して納得してもらうこと」でしかないという官僚たちの思い上がりです。

2011年3月の福島第一原発での事故は、日本の原子力行政のさまざまな問題点を浮き彫りにしましたが、その根底にあるのは、難しい問題を先送りし責任の所在を曖昧にする官僚体質であり、「住民との対話」は「お上が決めたことを住民に説明して納得してもらうこと」でしかないという官僚たちの思い上がりです。

典型的なのが、居住制限地域を決める際のしきい値を年間20ミリシーベルト(20mSv/year)と決めたプロセスと、その住民への説明の仕方です。

事故後まもなく、詳しい説明もないままに「年間20ミリシーベルト以上の地域を居住制限地域と定める」という発表があり、それが今でも住民の帰還の目安となっています。しかし、実際にその数値がどんな会議で、誰によって決められたのかは未だに公表されていないし、議事録すらないのです。

住民の多く(特に小さな子供を持つ母親たち)はこの数字に不安を抱いて抗議をしましたが、国は「年間20ミリシーベルトは一時的な目安に過ぎず、どの地域においても除染により年間1ミリシーベルトを目指す」という曖昧な返答をするだけで、この数字を変えることはありませんでした。

経産省は同年5月に「年間20ミリシーベルトの基準について」という文書を発表し、そこで「避難については、住民の安心を最優先し、事故直後の1年目から、ICRPの示す年間20mSv~100mSvの範囲のうち最も厳しい値に相当する年間20mSvを避難指示の基準として採用しました(9ページ)」との説明をしています。

しかし、実際にICRP(International Commission on Radiologocal Protection)が事故後すぐ(同年4月)に発表した「Application of the Commision's Recommendations to the Protection off people Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation Emergency」という勧告を読むと、この経産省の説明とは大きく食い違っています。

この勧告には、過酷事故により広範囲が放射能汚染されてしまった場合、そこに住んでいた住民をどんな基準を使って放射能から守るべきかを、その決定プロセスまで含めて、69ページに渡って丁寧に記述してありますが、要約すると以下のようになります。

通常、住民の人口放射性物質からの被曝量は1mSv/yearを「しきい値(reference level)」として、それ以下に抑えるべきである。

しかし、過酷事故により広範囲の地域が汚染されてしまった場合、1mSv/yearをしきい値にしたままでは、大量の避難民を生み出してしまうし、地域経済が破綻してしまう。

そんな場合には、事故直後に限っては避難中の被曝なども考慮して、被曝量のしきい値を1〜20mSv/yearの間の値に引き上げることを推奨する。

ただし、住民の帰還計画策定においては、被曝が長期に渡ることを考慮し、しきい値は1〜10mSv/yearの間に定めるべきである。

しかし、このしきい値の引き上げは、あくまで一時的なものであり、出来るだけ速やかに1mSvにまで引き下げることが望ましい。

つまり、事故のあった年(2011年)に限っては、事故直後の避難中の被曝なども考慮して、しきい値を最大20mSv/year まで引き上げることは仕方がないものとしても、帰還計画策定においては、しきい値は10mSv/year 以下の値に設定すべき、というのが ICRP の勧告なのです。

ICRPの勧告に従うのであれば、住民の帰還計画を策定する際のしきい値は1〜10mSv/year の間の値(たとえば、チェルノブイリ近郊と同じく 5mSv/year)に定めるべきであり、20mSv/year というしきい値はそこから大きく外れているのです。

経産省の言う「避難については、住民の安心を最優先し、事故直後の1年目から、ICRPの示す年間20mSv~100mSvの範囲のうち最も厳しい値に相当する年間20mSvを避難指示の基準として採用しました」という表現と大きく食い違っているのです。

私は経産省に「どのICRPの勧告に基づいてこの資料を作ったのか」という質問状を送りましたが「この件に関しては、今は環境省が担当しているのでそちらに質問して欲しい」と回答を拒否されてしまいました。

当時の政府の担当者たちが、ICRPの勧告に基づいてしきい値を5mSv/yearなどの低い値に定めてしまうと、広大な範囲が居住制限地域になってしまうことに驚愕したことは容易に想像できます。

特に、今回の事故の被害総額を4兆円という少なめな額に見積もっていた経産省としては(実際には既に11兆円が政府から東電に投入されています)、ICRPの勧告に忠実に従ってしまうと補償額が莫大になってしまうことに大きな懸念を持ったのでしょう。「万が一の事故の処理・補償コストを含めても原発は安い」という彼らのロジックが破綻してしまうからです。

つまり、日本政府は、ICRPの勧告よりも高い値にしきい値を設定した上に、それをきちんと国民に対して説明せず、「ICRPの示す年間20mSv~100mSvの範囲のうち最も厳しい値に相当する年間20mSvを避難指示の基準として採用しました」という方便により、住民を納得させようとしているのです。

霞ヶ関の官僚達が、「住民との対話」は「お上が決めたことを住民に説明して納得してもらうこと」に過ぎないという思い上がりに捕われいることを示す典型的な例です。

こんな態度では、決して本当の意味での「国民の理解」など得られるわけがないし、信頼は取り戻せないのです。事故から3年もたつのに、原子力行政に対する国民の不信感が未だに風化しない原因が、まさにここにあるのです。

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