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盛り土問題:誰も責任を取らない国ニッポン

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築地移転/会見する小池都知事  記者会見する東京都の小池百合子知事=23日、東京都庁  撮影日:2016年09月23日 | 時事通信社
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欧米人のほとんどが知っている日本語の言葉に、実は「ハラキリ」があります。

武士が重大な過ちを犯した時の割腹自殺のことで、あの「腹切り」が日本の文化の一部であると認識されているようです。

戦国時代や第二次大戦のそのイメージは多少なりとも単純ですが、要は、「責任を取ること」が日本の文化であり、日本人の究極の美徳の一つと理解されています。

そのことは多くの日本人にとっても、ピンとくるものかと思います。指摘を受けた時は他人に責任をなすりつけたりせずに、まず潔く非を認めて謝罪する教育を、日本人なら誰でも受けているはずです。

なかなか謝ろうとしない欧米人に対して、完全に悪くなくてもまず謝る日本人。多くの日本人の頭の中ではこの二つは鋭く対比しており、日本人の清らかさの一つの証左とさえなっているように思います。根拠のない優越感に浸るのはよくありませんが、潔く謝罪して責任を取ることが日本人の一つの美徳と言っていいでしょう。

そのはずなのですが、今の世の中を見ると、いかがでしょうか。責任を取らされるのが下っ端ばかりで、為政者など権力を持った人、立場の強い人は決して責任を取らされない。

本来はそうではなかったはずですが、今の日本では、そのようなことがあまりに多くなったように思います。数々の暴言や失策、醜態を挙げ始めるともはやきりがないのは、多くの読者も同意するでしょう。政治家や役人で潔くそれらの責任を取ったのは、いったいどれだけいるでしょうか。

それで「美しい国、日本人の美徳」とまくし立てる政治家がいることに、失笑せずにいられない。彼らの言う「日本人の美徳」とは、「下々のものが堪える」意味としか思えません。

立場の強いものが決して責任を取ろうとしない顕著な例には、昨今の盛り土問題が挙げられるでしょう。最高責任者であるはずの当時の都知事は、「我関せず」。

先日発表された内部調査では、「誰が決めたのかが特定できない」。明確な決定のプロセスがなく、明確な責任者がいない。

これでは、「誰が便所に落書きしたのか、分かりませんでした〜」という小学生レベルです。他人に責任をなすりつけるならまだ対応のしようがありますが、「責任者はいません」では、もはや近代国家の組織とは言えません。

ハラキリする人がいなく、潔く責任を取る人がいない。日本が一体何故ここまで落ちてしまったのか。理由は沢山あるでしょうが、今度欧米人に「ハラキリ」のことを言われた時、「それは昔のこと」と苦笑いするしかありません。