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「自分を認めること」の難しさ

2013年12月13日 02時53分 JST | 更新 2014年02月10日 19時12分 JST

心の内側を見つめることや、その声を聴く重要性は、恐らく多くの方が、すでに気がつかれていると思います。

でも「どうやったら聴けるのか」が解らない、怖くて「向き合うのは無理だ」と最初に諦めてしまう、と感じてしまって、突破口が見当たらない人は多いようでした。

幸せになるためには、「自分自身と深く向き合う必要があること」については前回書かせていただきました

とはいえ確かに。

確かにわたしも最初の頃は辛かったのです。

特に印象に残っているのは高校時代に自分が描いた1枚のアクリル画の完成を観た時でした。

それは青空に無機質なビルが建ち並ぶ背景の中に、濃い紫色の人物の佇む絵でした。しかもピクトグラムのように、目も鼻も口もない人物が中央に独りぽつんと立っているものでした。

自分自身で描いたのですが、わたしはそれを観て、酷くショックを受けました。

バイオレットからブルーまでの色幅で描かれた寒々しい色彩。

無機質な世界観。静寂ではなく、無音を感じる絵でした。

描き上げた絵を置いて、少し遠くから眺め。

ああ、わたしはこんな感じなのだ...としばらく呆然とし、誰にも見せることなく、それはこっそりと処分をしました。

それ以来、絵は...恐ろしくて描けなくなりました。

色彩や、描かれるものには、描いた人の、心理が投影されてしまうものである。

わたしはそう感じています。

こう聴くと、なにやら芸術を志す人にだけある特別なことに思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

そうでもありません。

お料理をする方にも解りやすいと思います!

お料理は、調子のいい時は美味しいものが自然と作れます。

怒りながら、悲しみながら作ると、普段どんなに上手な人でも、それなりのものになります。

それと同じような感覚です!

作ったものには、全てその時の自分が表れてしまうことは、

10代のわたしには、とても怖いことでした。

何故なら、わたしは、わたしを一瞬たりとも認められなかったからです。

今思うと、それはわたし自身が受け入れていた「わたしへの評価」が原因です。

わたし=ダメである、出来ていない、バカである。

それをわたしは「無意識に受け入れていた」のです。

わたしはわたしをダメだと思い込んでいたので、どんなに褒めてくれる人がいても、ダメだと言ってくれた人の言葉だけを集めて、スクラップブックに丁寧に貼付け、いつでも眺められるように、再生出来るように、大事に、大事にしていたようなものです。

「あなたは、素敵、素晴らしい、良く出来る」

そういう評価をいくら受けても、それは誰のことを言っているのだろう? この人は何を誤解しているのだろう?

だって「わたしは、ダメなのである」と頑なでさえありました。

最初「自分を認めること」はとても難しいことでした。

謙虚さ、傲慢さ、そんな言葉も飛び交って、頭の中は常に混乱していました。

頭の中は常に「二極化」された言葉の間をさまよって実像を生み出すことが出来なかったのです。

簡単に言うと、わたしはいい人なのか、わるい人なのか、全く判らなくなっていたのです。

わたしは不器用な質なので、誰と居ても、自分の在り方を変えることが難しいタイプでした。

そのためか、不思議なことが小さな頃から起こり続けていました。

同じことをした時に、外側には、わたしを最低だという人と、最高だという人が、必ず現れるのです。

これは長年の疑問でした。

これはいいこと、これはわるいこと、と定義されていることも多いですが、「いいこと」と教わったことをやって、怒られることがある時、物事の認識に整合性がとれず、疑問となります。

それが積み重なって行くうちに、「考え過ぎだよ!」とも言われるようになり、混乱は極まって行きました。

例えば、小学生の時に、お年寄りには席を譲りましょう!と教わりました。

それは「いいことです」と先生が道徳の時間におっしゃったのです。

そこでわたしは、喜んでもらえるのか! それはうれしい!と思って、早速行動をしてみました。

バスに乗った際に、白髪のご婦人に席を譲ろうと立ち上がり「どうぞ!」と伝えたところ、

「わたしは席を譲られる程歳をとっていないわ!!!」と、激しい剣幕で怒鳴られてしまったのです。

教わったのは「いいこと」であり「喜ばれる」ことだったはずなのに、そこで芽生えたのは、恐怖でした。

以来、わたしは未だに、席を譲るのが怖いのです...。

こんなこともありました。

素直に言うことは大切なことです。いいことなのですよ、と教わりました。

そこで高校生の時に、ある人が素敵なものを持っていたので

「それいいな〜!欲しい〜!」と伝えました。

すると相手は顔をしかめて「可愛いと思って、何でももらえると思ったら大間違いだ!」とキツく言い放ったのです。

わたしの育った家庭はどちらかと言えば厳しく、また節約家の家でしたから、欲しい物をもらえることは、

そうそうありませんでした。

そしてわたしは小学生時代クラス中の女子から「ブス!ブス!」と連日言われて過ごしましたし、「あなた(の外見)は、普通よ!」と両親言われて育っていたので、可愛いにも当てはまらないと思いました。

この人は、何を観て、何について言っているのだろうか...?

それは本当にわたしのことを言っているのだろうか...?

こんなことが日々繰り返されて行くので、何が何だか...わたしには、もう判らなかったのです。

何が本当で、何が嘘なのか?頭の中はこんな風にしてどんどん整合性を失い、混乱し、混線し、複雑化しました。

本当のことが、知りたくて、知りたくて。

どうやったら「本当のこと」が解るのか?

それを、ずっとずっと探していたのです。