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東日本大震災5年目に思う/またしても歴史は抹消されるのか

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■いまだに課題は山積み


先日(3月11日)は、東日本大震災から5年目ということで、メディアでは特集番組や特集記事等も組まれて、震災の記憶を取り戻す機会となった。関東に住む私たちにとっては、報道も減り、ともすれば忘れがちにもなるあの大震災の記憶だが、少なくとも福島第一原発の状況を見る限りでは、まだ復興が進んでいるとは言い難い。やはり、あの震災の(原発事故を含めた)爪痕は深く、いまだに課題は山積みだ。

■本当に教訓を学んだか?


ただ、日本人は本当にあの震災から教訓を十分に引き出し、ちゃんと学んだのだろうか。『ともすれば忘れがちになる』と言っているお前が言うなとお叱りを受けそうな気もするが、そんな私を含め、どうも今回も、あれほどの規模の震災と事故が起きたにもかかわらず、しかも、今に至るまで大きな問題が残されているというのに、すでに遠い過去の記憶の領域に押しやろうとしているのが大方の人の現実ではないだろうか

例えば、福島第一原発の国会事故調元委員長の黒川清氏はこんな嘆息を漏らしている。

3・11によって、人々の世界観は劇的に変わった。しかし、5年が経過して、福島第一原発事故は徐々に風化してきてはいないだろうか。

事故を引き起こした当事者である東京電力、原子力関連省庁、規制諸機関、そして政府や国会、それらを構成し支える私たち国民一人ひとりは、事故の反省をすべて消し去ろうとしているように見える。このままでは、同じ過ちを繰り返しかねないように思える。

福島原発「国会事故調」元委員長の告発! 「日本の中枢は、いまなおメルトダウンを続けている」   | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

昨今では、原発に関わる発言には、あまりに多くの『ヘイト調』のコメントが飛んでくることを嫌気して口を閉ざす人も少なくないため、発言自体は激減しているものの、黒川氏と同様、十分教訓を引きだす前に、皆で事故の反省を消し去ろうとしているのではと内心感じている人はすごく多いと思う。

震災直後はそうではなかった。様々な意見が一斉に噴き出てきて、日本の空気に大きな変化が現れていることを感じることができた。日本人もこれを機会に大きく変わるに違いないと誰もが思っていた。日本/日本人は変わるし、これで変わらなければ本当に日本に未来はない、とまで言われていた。

■気になる一冊の本


当時、世論の熱気に当てられて、私自身少からず日本社会の変革を夢見たものだが、その一方で、どうしても幾許かの疑念を拭い去ることはできなかった。というのも、私の手元に、とある一冊の本があったからだ。戦後の日本人を代表する評論家の一人と言える、山本七平氏の『日本人の人生観』*1である。

大変薄い本だが、日本人の民族としての自画像を非常に明確に言い当てている気がして、震災前までにも何度も読んでいたのだが、震災が起きて世界中から日本人に対して多くのコメントが寄せられるようになると特に、この本に書かれたことが気になってしかたがなかった。

■山本氏が説く日本人像


以下は、本書から私が読み取った、山本氏が説く日本人像(概要)だ。

日本人の伝統的な人生観においては、『このままある』『自ずから然るべき状態にある』という意味での『自然』に身を任せ、常に『今ここ』を受け入れ、それに不平や愚痴を言ったり、あるいは他者を攻撃することは潔くない生き方として退けられる。

心の汚れを払い清浄であることが最上の生き方とされる。ある成果に到達するのにも『ごく自然にそうなった』という経過が良く、意識的・作為的に何かを『する』のは否定される。

自然災害や天災のみならず、戦争や犯罪のような出来事でさえ(人災として怨恨を持ったりするのではなく)、『自然』の一部として従容として受け入れ、与えられた条件の下、今ここで黙々と全力を尽くす。

みずからの与えられた仕事を天命として、結果を考えずに無心で懸命に取り組む。特定の宗教に帰依しているわけではなく、聞かれれば無宗教と答えるのが大半の日本人だが、その無意識の無辺に、非常に宗教的とも言える倫理観を蔵している。

■賞賛された日本人の行動の源泉


東日本大震災が起きた時、暴動は起きず、盗難等の犯罪も少なく、整然と列を作り、互いに助け合う日本人の姿が海外からも賞賛されたわけだが、この行動の説明は、当時話題になった、著述家のレベッカ・ソルニット氏の著書『災害ユートピア』*2による説明(災害時に、お互いに助け合い、秩序を持って行動するのは日本人だけではなく、世界中で共通して見られる傾向であり、人間心理であるとする)より、山本氏が述べる日本人特有の倫理観に基づく行動と理解するほうが私にとってはより素直に納得できる気がした。

山本氏の著作は、太平洋戦争の後の日本人の潔さや、戦争を自然災害のように黙って受け入れ、戦後の復興に全力を尽くす姿等を説明したものでもあったが、戦争以前でも以後でも、この行動パターンに則って行動する日本人はいくらでも見つけることができる。というより、そうではない日本人を探すほうが難しいくらいだ。

この本の初版は1978年だから、それから30年以上後の震災のことが想定されているわけではないが、結果的には驚くほど同じパターンが現れてきているように私には思えた。

■歴史が理解できないことの問題点


どんなことが起きても、それ以前のことは綺麗さっぱり忘れて、今ここで、その状態において、最善を尽くす日本人は、少なくともこれまでは環境への順応性という点ではそのメリットを少なからず享受してきた(もちろんそのデメリットも相応に被ってきた)。

そして一面では、日本人の美点の一つとなっていたことも確かだ。

ただ、震災から5年経過した今、この美点の裏返しの問題点のほうが、重く日本にのしかかってきているように思えてならない

今の日本の置かれた状況は非常に厳しいものがある。美点は美点でいいとしても、問題点は問題点としてこれに冷静に立ち向かわなければ、日本は今後深い停滞に沈み、長く起き上がることが出来なくなるのではないか。そのような懸念が日増しに大きくなってくる。

というのも、山本氏が指摘するように、『今ここ』に集中する日本人の心性は、現代を空間的に把握できても、時間的に過去・現在・未来という形で把握できないという形になりがちで、『歴史』という概念を発想の中に入れることがひどく苦手に見えるからだ。

日本人の中にも自分は過去・現在・未来を見ていると言い張る人もいるかもしれないが、過去を見ているようでいて、実はすべて現在の基準におき直してみる人が大半のため、大抵は『過去の事実』は本当にはわからなくなってしまう。

平気で過去を墨で塗って消してしまうようなことをやる(戦前の教科書の都合の悪い部分に墨を塗って使った事例など)。

これは一面、環境の変化に一番適合できる生き方とも言えるが、逆に、過去のことはわからなくなり、わからなくなった結果、過去に呪縛されることになり、何度も同じ間違いを繰り返し、未来に起こるトラブルを適切に回避することも困難になってしまう、というのが山本氏の指摘のポイントだ。

■日本人の困った習性


山本氏は、日本人の忘れやすさ、というより都合の悪い歴史を抹殺してしまう習性について、次の通り述べている。

日本ですとじつは戦争前の人たちがどういう発想をしていたか、これすらちょっとわからないのです。わかっていないから、あの連中は頭がどうかしていたのだろうとか、一握りの軍国主義者という悪玉がいたのだとか、安直なことが言えるわけですが、福沢諭吉が聞いたら思わず笑い出すでしょう。

戦後三十年たちましてアメリカのほうで資料を公開してくれましたから、それを読みますと、それに記録されている部分だけは、逆に、先方の方からわかるという実に皮肉な現象を呈しています。われわれには過去を消してしまうという行き方が常にあるわけで、これは何も終戦のときだけではありません。このためにわずか三、四十年昔のことがたいへんにわかりにくいわけです。

じつは戦後三十年間の思想の変化、考え方の変化のあとをたどりましても、たどろうと思った瞬間にわからなくなります。(中略)

これが日本の歴史のようなもので、そのため自分の一生を振り返ってみますと、戦前はもちろん戦後のことは予測できない。戦後も終戦から三十年先は予測できなかった。

『日本人の人生観』より

それどころか、予測できた場合でも、大抵それは見向きもされず、誰も事前に先回りして対処しない。予測し、準備できるはずだったことをやらないから、いつも現実に問題になったときに急激かつ過敏に対応することになる

公害、オイルショック等、かなり早い段階から警告・予測はあったのに、結局何もしないままにそれは起きてしまった。(ただし、現実にそれが起きてしまった時の対応は非常に早くうまい)。

未来にはこういう問題が起こるぞという形で、未来から逆算して現在を規制することが日本人は下手だと、山本氏は嘆く。本書の出版以降に起きた幾つかの出来事(バブル崩壊、人口減少社会の到来等)を振り返ってみても、同じ傾向は連綿と続いていると言わざるをえない。

■連綿と続く気質と行動パターン


戦時中の史実に例をとると、帝国陸軍の無反省ぶりはこれまで何度も論じられてきているが、中でも昭和14年にソ連軍と戦って惨敗したノモンハン事件の経緯にはそれが典型的に現れている。

ちょうど文芸春秋の2016年3月号*3で、作家の半藤一利氏と評論家の佐藤優氏がこのことを議論している一節があるが、半藤氏によれば、関東軍も大本営も惨敗を認めたくないから、『敵の近代的兵器とものすごい火力に対して、精神力をもって白兵突撃をやって見事に互角』というような信じられないような報告で済ませ、責任者である関東軍の作戦参謀で事件を起こした辻政信も反省などしていないという。

一方でノモンハンの現場で直接に指揮をとった将校は皆口封じのために自決させられている。負け戦ならむしろ徹底的な聴聞をして、分析し、問題点を洗い出して次に備えるべきところなのに、そのような発想がまったくみられないと、対談の相方の佐藤氏も嘆く。

この無責任体制と無反省は、陸軍全体の気質になっていたことは、少し戦史を調べてみれば、いやになるほど実例を見つけ、確認することができる。しかも、これは日本企業であれ団体や学校であれ、今に至るまで、日本の組織のいたるところで見られる困った気質といわざるをえない(しかも、昨今ますますそういう事例が増えてしまっているように見える)。

まさに、先に述べた、黒川氏の言う、原発事故の当事者たちの、事故の反省をすべて消し去ろうとしている行動と相通じるものがある

ある面、潔くて順応性に優れた日本人は、その裏面に、歴史に学ばず、何度も失敗を繰り返す弱点を抱えていて、その弱点もあって、あらゆることが行きづまって来ているのが、2000年代後半以降の日本だった。だから、多くの尊い命を犠牲にした大震災のような出来事であればこそ、それをきっかけとして、反省すべきは反省し、教訓を後に残し、転換していくチャンスとなりうるはずだった。だが、どうやらそうはならなかった。

■もう一度考え直してみるべき


今また、日本だけではなく、世界のいたるところに『大変化』の兆候が現れつつある。一人でも多くの人が、一人の日本人として、自らの弱点を見つめ、歴史に学び、来るべき大津波にもにた怒涛の変化を予測し、可能な限り準備しておくようになることを祈らずにはいられない。

5年前に新たにしたはずの決意を今また一人一人が新たにして過酷な未来に向かうことこそ、本当の意味で犠牲になった人たちへの供養になると信じる。

(2016年3月16日「情報空間を羽のように舞い本質を観る」より転載)

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