「一等国」ニッポンの背中: 終戦70年・日本・韓国

過去と現在と未来と。隣国の態度にも大きな問題があるが、みずからに問題はないか。もう歴史(問題)はいやだ、と投げやりになってはいないか。

アメリカとキューバが、54年ぶりに国交を正常化した。めでたいことだが、これによってキューバはふたたび「アメリカ化」されるとの冷ややかな展望もある(20世紀初頭からおよそ半世紀以上、キューバはアメリカの植民地同然だった!)。それでも、友好関係が公式に復活したことは、ひとまず慶賀してもよいだろう。

冷戦たけなわの1959年、アメリカの息のかかったキューバの独裁者を、フィデル・カストロの一団が追放した。以後、まもなくカストロのキューバはアメリカと不仲になり、いきおいフルシチョフのソ連に接近することになる――。

この惑星がもっとも核戦争に近づいた「キューバ危機」が発生したのは、1962年。アメリカ本土の大半を射程圏内に入れる核ミサイルを、キューバに配備しようとしたフルシチョフ。それを察知して驚がくし、何としても配備を防ごうとやっきになったケネディ。そして、ソ連を利用しようとしながら逆にほんろうされてしまうが、ただでは転ばなかったカストロ。

チキン・ゲームの手に汗にぎる攻防は、最近刊のマントン&ウェルチ『キューバ危機 』(中央公論新社)で余すところなく綴られる。未曾有(みぞう)の事態が米ソ両国のメンツを保ったまま何とか収束したのは、相手はこれこれこのように考えているのだな、と両国の指導者が「共感」(empathy)しあうようになったことが大きかった(これは、相手の考えを理解した上で自らもそれに同調する「同感」(sympathy)とはちがう。国家間関係や外交において「同感」は不可能に近いし、好ましいともいえまい)。

▲マントン&ウェルチ『キューバ危機』(中央公論新社)。本書で検討される「共感」と「ミラー・イメージング」は、外交はもちろん、人間関係にも深い示唆をおよぼす。

はじめ、米ソとキューバの指導者は「共感」しようとはゆめ思わなかったし、相手は自分と同じように考えているはずだと都合よく考えていた。手前勝手なこの思い込みは、自らの考えを鏡写しにして相手の考えを推しはかることから、「ミラー・イメージング」と呼ばれる。下手をしていたら地球はとっくに亡んでいた。

あれから半世紀以上経った今日、キューバ危機の示唆するところは何だろう。もっとも想起しやすいのは、東・南シナ海でメガ・チャイナと隣国が良好な関係を築くには、「ミラー・イメージング」の罠にはまらず「共感」をはぐくむのが大事という点だろう。事実、今日の同地域をみて、キューバ危機を連想する向きも少なくない。

問題は、相手国のカウンターパートに「共感」しようと真摯に思っているにもかかわらず、相手がどう考えているかさっぱりわからないケースである。

外交とてしょせんは人間のいとなみ。自らが合理的と思うことを、相手国のカウンターパートも共有しているとは限らない。合理性の「外で」むくむくわきたつ感情的思考の比重が、いかに大きいか......。政府のみならず市民をもげんなりさせてきた近年の日韓関係をみれば、このことはよくわかる。

少なくとも、韓国の対日政策は、日本ではとまどいをもって受けとめられている。たとえば韓国政府は、戦時中に朝鮮人徴用工が強制的に働かされたとの理由から、長崎の軍艦島(端島)をはじめとする7施設が世界文化遺産として登録されることに反対した。

それでも、6月21日の日韓外相会談では、一連の施設の世界遺産登録が、韓国の推薦する案件とともに登録されるよう協力することで決着をみた――。

かのように思われた。だがその後、イコモス(国際記念物遺跡会議)の推薦を受けて臨まれたユネスコ・世界遺産委員会では、韓国は一転、朝鮮人の「強制労働」という文言に固執し、一連の施設の登録に反対攻勢をしかけ、会議は紛糾した。

何とか7月5日には、当該施設の世界文化遺産への登録が決まった。登録決定に喜色をうかべる反面、日本市民は韓国当局の方針のブレに不信感をもった。しかも、1940年代に「意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた」 (forced to work under harsh conditions)朝鮮半島出身者らがいたことの周知徹底を日本代表団が言明したことで、「外交敗戦」だと色めきたつ日本の識者もあった。

結局のところ、韓国は日本を困らせようとしているだけじゃないか。三日法度を地でいくような外交方針のブレでは、「共感」のしようもない――。たしかに、脇の甘いところが韓国外交にはあっただろう。戦後70年、日韓基本条約締結後50年、「韓国疲れ」 (Korea fatigue)と呼ばれるやや無責任かつ奔放な症状が、日本社会にも流行しつつある。

他方、韓国では、日本代表団による「働かされた」との文言は実質的に「強制労働」(forced labor)を意味しているととられ、「外交勝利」とみなされるのが一般的なようだ。

だが、それに味をしめるなどという呑気なことは、もはや韓国には許されない。日本は、責(攻)めれば責(攻)めるだけ成果をもたらしてくれる「歴史外交向けATM」ではないからである。

21世紀ゼロ年代に入るころまでは、バブルが崩壊したとはいえ、近隣諸国の物言いに傾聴するだけの「一等国」の精神的余裕ともいうべきものが、日本当局にも市民にも、今よりはうかがわれたと思う。いろいろな理由があろうが、その一つには、日本からして隣国がはっきり「二等国」だとイメージされたことがあった。

戦後日本社会をみても、古いところでは1958年の小松川事件 、1968年の金嬉老事件をあげるまでもなく、在日コリアンの重犯罪を考えるにあたっては、犯行に及ぶまでの過酷なバックグラウンドに同情するだけの度量がいくらかあった(その同情の適否は、ここでの問題ではない)。

しかし、いわゆる「失われた20年 」を経た今日、劣悪な境遇にある日本人は一つも珍しくない。今どき在日コリアンが罪を犯したところで、糾弾こそあっても同情などは考えにくい。国内での在日コリアンの営為は、国外での韓国や北朝鮮の言動に容易に引き写されるし、その逆もまたしかり。韓流ブームにともなう「嫌韓流」、そして小泉訪朝(2002年)後の北朝鮮の「悪魔」化以来、ゼロ年代から今日はとりわけそのような時代にある。

かつて韓国は、日本にとって「ジュニア・パートナー」視されるのがせいぜいだった。それが、1910年の日韓併合から1世紀近く経ってみると、昔の「飼い犬」が今度は逆に文化的攻勢に出てきた。韓国文化は熱狂的に消費されたが、格下と思っていた相手国の文化を享受することで、自尊心もまた揺らいだ。2011年には、韓国ドラマなどを放映しすぎるとして、フジテレビへのバッシングが起きた。

「のび太のくせに!」。いつまでもジャイアンきどりの日本人の一部からすれば、これがゼロ年代以後の韓国への偽らざる心情だったのではないか。「失われた20年」の中、もう一等国の精神的余裕がだいぶすり減ってきたころのジャイアン、心の叫びである。

そうした流れの延長に、戦後70年目があるとはいえないか。現実には、一人前になったのび太にもジャイアンにも、救世主ドラえもんはいない(今日、アメリカをそれとみなすのはお門ちがいだろう)。

では、どうすれば? もし、成長をとげた韓国が、パク・クネ大統領みずから言明するとおり「一等国」を目指すというのであれば。もし、ソウルの地下鉄内のポスターが訴えるとおり、韓国人が「文化市民」を目指すというのであれば――。

歴史問題で日本は屈するはず/べきだ、とのミラー・イメージングはもうとっくに通用しない点を受け入れるべきだろう。それが、2010年のDAC(政府開発援助委員会)加盟以来、つとに先進国意識を育てようとしてきた国の責務である。

日露戦争での「勝利」(1905年)以後、「一等国」意識をつとに高めたといわれる日本。戦後も、東・東南アジアでは他国に先がけて復興をとげ、やはり「一等国」意識を持つにいたった日本。そんな「一等国」の心の余裕に、どこか歴史外交面では甘えてこられた韓国(「近隣諸国条項」という教科書検定の縛りは、もはやなつかしい響きがする)。

映画版ドラえもんのジャイアンは、いつでもとまどうくらい頼りになる存在だが、そんなジャイアンを日本に仮託することがわずかばかりでも許された日々は、昔日の彼方にある。

ここでは、何をもって「一等国」とするかの問題より、「一等国」意識のほうが大事である。そして、「一等国」の心の余裕を日本に求めることは、もはや至極困難である。ヘイト・スピーチをはじめとする排外主義のにおいが濃くなってきたことからも、それは明らかではないか。この点を、隣国は認めねばならない。

同時に、韓国もまた「一等国」意識を芽生えさせつつあるのであれば、「歴史問題となれば攻勢」という本能のまま騒ぎ立てるだけでは、「一等国」のたしなみとしてあまりに淋しすぎる。粘り強く、隣国への「共感」を図ろうとする姿勢がほしい。

おごれる者は久しからず。よくいわれるとおり、古代ギリシアの歴史家トゥキュディデスの時代から、それは変わらない。国家や国民としてのおごり(hubris)は自己万能感に酔う思春期的躁(そう)状態のようなものだが、それを不粋に維持しつづけていては、今度はそれに憑かれる。

私はね、未来という、希望と、記憶という、絶望と、両方、何もかも、ごっちゃまぜに生きていますよ。そして、未来にばっかり、向かっていますよ。今も。今も。ごっちゃまぜで、なんだか、未来が、絶望で、記憶が、希望で、そんな風になることがありますよ。それはどうしたらいいでしょうか。

▼藤谷治「ウルチロイックのプーシキン」『新潮』2015年5月号

同作では、日本の作家が、投宿先のソウル・ウルチロイック駅で働く掃除夫と、日本語でたどたどしい交流をくり広げる。文学を愛でる掃除夫は、同駅前に銅像としてたたずむロシアの詩人、プーシキン と重ねあわせられるかのようだ。

8月半ば、日本の終戦70周年を韓国の「光復/解放」70周年として感じてみようとソウルに滞在したおり、そのプーシキン像を眺めにいってみた。ロシア作家同盟が高麗大に寄贈したもので、ロッテ・ホテルがその敷地を提供した。そこに韓国語とロシア語で刻まれた彼の詩は、

こころはいつもゆくすえのなかに生きる。

いまあるものはすずろにさびしい思いを呼ぶ。

ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。

流れ去るものはやがてなつかしいものとなる。

▼日本語訳:金子幸彦訳『プーシキン詩集』岩波文庫

と詠う。

▲ウルチロイック駅前のプーシキン像

心はいつも未来に生き、過去はやがて懐かしいものになると詩人はいう。けれど、ウルチロイックの掃除夫の訥言(とつげん)が示唆するような、過去に縛られ、未来が絶望に彩られると、今度は過去が希望に変わるという逆説の痛みを、日韓両国民は抱えてきたのではなかったか。

過去が過ぎ去ってくれない! 今日の日本としては早く過ぎ去ってくれないかなと思っている節があるが、韓国としては過去を手放したくはない。「犠牲者」の子孫として自己規定しつつ、今日の政治的成果を得ようとの戦略が韓国にはかいま見られる。これはポスト冷戦期以後、グローバルにみられる現象だから、日韓関係がアブノーマルなわけではない。

しかし、その戦略はやはり問題をはらむ。過去に虐げられた経験を訴えることで自己を癒し「きる」のは、むずかしいのではないか。かつ、かつての宗主国日本と同じような執拗さで、今日の隣国日本を歴史問題で制しようという「ミイラ取り」の倫理的問題もある。見習いたくはないモデルと同じような生を行くのは、痛切だ。

「一等国」候補生に求められる責務は大きく、その道のりは困難なものかもしれない。それでも、深みある癒やしは、歴史に対する隣国の態度の糾弾に終始しているばかりでは得られず、「共感」とそれにともなう「赦し(ゆるし)」の間口を広げることで得やすくなる点も、どこかでわかっているはずである。

かつての「一等国」の雄はどうか。

この度、軍艦島と朝鮮人の強制徴用こそ話題となったが、この国ではもっとひっそり、過去を過ぎ去らせる/改める企みが進行しているのではないか。たとえば、「ちっぽけ」なことなのかもしれないが、朝鮮人労働者や慰安婦の徴用を含め、戦争に関する碑や説明板の撤去が全国の自治体で相次いでいる(『東京新聞』2014年8月13日)。

ジャイアンばりに「心の友よ!」と、成長したのび太を強く抱きしめる必要は外交上ない。けれど、懐かしがることができるくらいに歴史を過去のものとするには、独善的なやり方では結局失敗する。嫌なことではあるし非常に面倒くさいだろうが、隣国との共同作業が絶対必要である。

プーシキンの詩にあるような「未来志向」の聞こえはいいが、少なくとも東アジアの国際関係では、しょせん機嫌と調子がいいときに言い放たれる徒花(あだばな)にすぎない。たしかに、民主化後の韓国の歴代大統領は、就任に前後して、日韓関係に関する演説でこの言葉を多く使ってきた。けれど、その多くが歴史問題に固執するよう変節してきた(李承赫「市民社会から見る日韓」『アステイオン』第78号)。

とすると、日本が韓国大統領のこの言葉を真に受けて(あるいは真に受けたふりをして)、「共感」しても実を結ばないことは、もはや一目瞭然である。

未来は大事だが、そのために歴史を手前勝手に捨て去る/改めるようでは、結局未来に影がさす。それもまた自明だろう。

過去と現在と未来と。隣国の態度にも、これまでみてきたとおり大きな問題があるが、みずからに問題はないか。もう歴史(問題)はいやだ、と投げやりになってはいないか。

「一等国」の心の勁さ(つよさ)を、僕はまだあきらめきれないでいる。

▲プーシキン像は何をながめるか

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