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国連憲章など

2015年07月17日 21時55分 JST

石破 茂 です。

明治産業革命遺産の世界遺産登録は日韓の間に微妙な擦れ違いが生じ、今後に課題を残すものとなりました。世界遺産登録までは主に総理官邸と外交当局がハンドリングしてきましたが、今後は内閣官房が事務の取りまとめを担って関係省庁、地方公共団体などとともに管理方法などを定めていくこととなり、私が所掌閣僚となります。

日本政府代表団が forced to work という語を用いたことが、韓国側から「日本が強制労働を認めた」と意図的に宣伝されたことにより軋轢が生じているのですが、徴用は国際労働機関(ILO・第一次世界大戦後の1919年設立)において1930年に採択された「強制労働条約」に反するものでは全くない、という事実を歪曲することは、決して認められるものではありません。

この条約において、強制労働とは「処罰の脅威によって強制され、また、自らが申し出たものではないすべての労働」を指すのですが、「軍事的性質の作業に対し強制兵役法によって強制される労務などはこれに含まれない」旨が明記されています。

「意に反した労役」と「ILOによって認められない労役」とは明らかに異なるものであるにもかかわらず、あたかも日本国が国際規約に反したような行為を行ったかのごとく喧伝する手法は誤りです。

この議論は日韓併合の合法性にまで遡る部分があるような気もしますが、形式的にも実質的にも日韓併合は合法的になされた、というのが、当時の国際法・慣例に照らして、通説的見解と言わざると得ないと思われます。この論点につき、「日韓間の諸条約の問題 国際法学の観点から」(坂元茂樹・日韓歴史共同研究報告書・2005年)は精緻かつ示唆に富んだ論考です。

この論考の末尾のコメントで同教授は、「国際法の立場から、日韓の旧条約の有効性を肯定することと、韓国に対する植民地支配を反省なしに肯定することは別個の問題である。植民地支配について反省するのであれば、それをもたらした法的措置について断罪すべきだという主張もあろうが、そのような主張は、歴史認識と法的議論を不可分なものとみる立場に他ならない。正しい歴史認識の必要性を否定するものではないが、歴史認識が法的議論を規定すべきだという考えに立つことはできない。仮に両者は同一でなければならないというのであれば、そこには法的議論の成立する余地は存在しないことになるからである」と述べておられますが、まさしく然りと思います。このような真っ当な考えに接すると本当にほっとします。 

一昨日の特別委員会における混乱ぶりはこれと対極をなすものでした。浜田靖一委員長のご労苦はいかばかりであったろうかと思います。

政府とてもちろん無謬ではなく、今後の参議院における審議では更なる工夫がなされることかと思いますが、手に手に紙を持って委員長席に詰め寄るあの姿を見ていて、実に暗澹たる思いが致しました。

維新の対案が出てきたのは審議も大詰めに近づいてからでしたし、民主党に至っては領域警備以外の対案すら出さない有り様で、これで政党や国会議員の職責を果たしていると本当に思っているのでしょうか。

念のために再度申し上げておきますが、国連憲章では基本的に「戦争」はすべて違法化されており、反対派の方が「戦争法案」と叫ぶのは根本から間違っています。

国連憲章第2条が「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。」「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」と定めるとおりです。

一方、憲章第51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的または集団的自衛の権利を害するものではない。」とも定め、自分の国を自分で守る個別的自衛権、密接な関係を有する国同士が互いに守りあう集団的自衛権を認めていますが、これが安全保障理事会における米・英・仏・中・露の常任理事国が持つ拒否権の発動により、国連の集団安全保障が機能しない場合を念頭に置いたものであることは言うまでもありません。

国連憲章においてこの「集団的自衛権」という概念が創設されたのは、大国の横暴を恐れた中南米諸国の発案によるものであり、そもそも「米国と共に世界中で戦争する権利」ではないことはその歴史的経緯からも明白です。

もし本気で「集団的自衛権は戦争につながる邪悪なものだ」と信じているのならば、岡田民主党代表は外相在任時に国連総会に行ってそのようなご主張をなさるべきでしたし、今後の民主党の選挙公約にそのようにお書きになるべきでしょう。

「国連」というリアリズムの極致のようなシステム( United Nations は「第2次世界大戦に勝利した連合国の連盟」がその本質であるのに、これを「国際連合」と訳したところから誤解が始まったようにも思いますが)が、個別的自衛権と、集団安全保障と補完関係に立つ集団的自衛権によって維持されてきたものであることを、我々は直視しなくてはなりません。

国連は決して「理想が体現されたお花畑」のような世界ではないのですが、これを直視することを意図的に避けているとすれば、それはためにする誤った議論であり、これを知らないとすれば、恐ろしく不勉強という他はありません。

「今回の法制は立憲主義の破壊である」という主張も似たようなもので、立憲主義とは「憲法が権力を拘束するもの」であると共に「三権分立が機能すること」も不可欠の要素です。

この議論を意図的に回避し、ひたすら立憲主義の破壊を叫ぶ光景も、何やら異様な感じが致します。日本における民主主義は市民が専制君主から戦って勝ち取ったものではないから、このようなことになるのだ、とは思いたくはありませんが。

なお、日米同盟の現状と課題について「『無極化』時代の日米同盟 アメリカの対中融和政策は日本の『危機の20年』の始まりか」(川上高司著・ミネルヴァ書房)は極めて参考になる著作です。川上教授の論考からは、いつも貴重な示唆をいただきます。

小型全国時刻表(交通新聞社刊)の8月号の巻頭エッセー「いとしの路線」に、古(いにしえ)の山陰本線の花形列車「特急まつかぜ」と「特急出雲」の思い出を記しておきました。

鉄道にご興味・ご関心のある方はどうぞご覧下さいませ。

週末は、18日土曜日が年に1度の地元における大集会「どうする日本2015」(10時・JA鳥取中央本所(倉吉市)、13時半とりぎん文化会館(鳥取市))。

19日日曜日は「新報道2001」出演、日本青年会議所サマーコンファレンス「地域再興政策コンテスト」表彰式(横浜市)、NPO法人「養生の郷」設立10周年記念地方創生フォーラム(倉吉市)。

20日月曜日(海の日)は道の駅「きなんせ岩美」竣工記念式典(鳥取県岩美町)、斉木正一鳥取県議会議長就任祝賀会(米子市)、という日程です。

梅雨が明けたかのような猛暑の続いた一週間でしたが、台風で大変な思いをされた方もおられることと存じます。心よりお見舞い申し上げます。

皆様、お元気でお過ごしくださいませ。

(2015年7月17日「石破茂オフィシャルブログ」より転載)