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1987年のYouTube―テレビと外部(1)

2013年05月12日 23時18分 JST | 更新 2013年07月12日 18時12分 JST

もう四半世紀以上前に「TV's TV」という不思議な深夜番組を制作した。1987年3月13日の深夜4時間にわたって放送したもので、前年度に入社し編成部配属になった僕が最初に企画した番組だ。

どんな番組かというと、これがまさに現在を予言したかのような内容なのである。大まかに言うと、100個のモニターの中に様々な映像があって、それがランダムに流れるというもの。

詳しくはWikipediaとか、こことか、こことか、ここに詳しい。現在、ニコ動にもアップされていて、そのコメントに「1987年のYouTube」というのがあった。

当時の番組のキャッチコピーがこうだ。「これはまったく新しいTVの試みとなるでしょう。今、テレビに残されているのは、テレビ以外のブラウン管を取り込むことではないだろうか。つまり端的に言って、テレビ以外にも楽しいブラウン管はいっぱいあると」。これ、1987年3月のことである。「ブラウン管」というところが当時をしのばせる。

いま六本木ヒルズのメトロハットがある場所にWAVEがあった。レコードショップやアートシアターなどサブカルの殿堂として有名だが、その6階にSEDICというセゾングループのメディアアート部門があって、環境映像やCGなんかを作っていた。そういう会社があるセゾングループもまさに80年代的というべきか。

友人の紹介もあり、サブカルで映像好きの僕は入社したばかりであったが、SEDICによく出入りしていた。

そこのプロデューサーで石原恒和さんという人がいて、ゲームやコンピュータが好きな人だった。「テレビよりもこういうのが好きなんだよ」と言いながら、AppleIIやMac、AmigaといったPC系のゲームをよく見せてくれたものだ。

当時はファミコンが全盛期を迎えるころで、番組やビデオを見ること以外にテレビ=モニターを使うということを発見したようなものだった。そう、ゲームが家庭にやってきたのだ。

他にも、ミュージックビデオもどんどん新しくて画期的なものが海を越えてやってきており、それだけを楽しみに見る人も出てきた。

つまり、テレビがいろいろな映像を見る「窓」としての時代がやってきたのだ。きっともっとそうなるだろう。そして、テレビ以外にも面白いものがもっとたくさん出てくるだろう。

そういう話を石原さんとしていて、企画したのがこの 「TV's TV」である。とにかく、ゲームを中心としながら、映像として面白いものを集めて、ただ流してみよう、最新映像のアーカイブを作ろうと。

石原さんに制作プロデューサーをお願いして、CG、環境映像、外国の番組などいろいろ集められるものは集めた。

ゲームも大半が海外のものだったので英語が出来るスタッフが現地に電話して許可をもらったものだ。そのころ、メールなんて一般的ではなかったのだ。著作権にも鷹揚だった気がする。

どういう流れにするか。見ている人に「なんだこれ!」と驚きを感じさせるものにしようとみんなでいろいろ順番を考えたものだ。

いまから思えば、確かにYouTubeのコンセプトを体現していたかもしれない。あのころは、それがきっとテレビを使ってできるのだと思っていた。1987年には、まだインターネットは存在しないに等しかった。

いろいろな意味で、もうあんな番組は作れないだろう。よくあんな企画が通ったものだ。当時はまだまだテレビにフロンティアがあったのだ。

そして、僕ら制作陣が半年後に糸井重里さんをホストに、こんどはゲームメインで「糸井重里の電視遊戯大展覧会」(これもニコ動にアップされてた)という深夜長時間番組を作り、それがきっかけでプロデューサーの石原さんと糸井さんが意気投合して「エイプ」というゲーム会社を立ち上げ、「MOTHER」シリーズを制作、その後糸井さんが抜け、石原さんと先の番組にもスタッフとして参加していた田尻智くんが作り上げたゲームが、かの「ポケットモンスター」である。

クールジャパンももとを辿れば、「TV's TV」を源流としていると言えなくはない。

あのころの予言がようやく現実のものになってきた。そして2013年、テレビに残されているのはテレビ以外のものを取り込むことだ。本当に待ったなしの状況なのである。だからこそ、僕にはまだまだやるべきことが残されているのだ。

フロンティアはきっと残っているはず。