ある在日韓国人のnoteへの投稿で考えたこと

先日、noteで「在日韓国人を日本から追い出す為のカンパをお願いします。」という記事の投稿があって、それがSNS上ですごく話題になったのはご存知ですか?これ、毎日のように「日本から出て行け」と言われている在日韓国人が、「だったら、いつでも出て行くからその渡航費のカンパをしてくれ」という記事をnoteを使って表現したというわけです。

先日、noteで「在日韓国人を日本から追い出す為のカンパをお願いします。」という記事の投稿があって、それがSNS上ですごく話題になったのはご存知ですか?

これ、毎日のように「日本から出て行け」と言われている在日韓国人が、「だったら、いつでも出て行くからその渡航費のカンパをしてくれ」という記事をnoteを使って表現したというわけです。

これ、何度も何度も読み返してみますよね。

この作者の「諦め」や「悲しみ」。そして「叫び」。

noteは「作品を発表して、それを買ってもらう場所」なのですが、僕は「これはnoteという機能を利用した、インターネット時代ならではの素晴らしい作品だ」と感じて、100円払おうと思ったのですが、でも払ってしまうと彼はさらに悲しくなるかもしれないし、と何度も色んなことを考えてしまいました。

そして「noteって、こんな使い方があったんだ」って、さらに「noteの未知数の可能性」を感じました。

ちょっとこの作品からはずれるのですが、「今からイラクに行って、紛争地帯を取材してくるから、その費用を募金して」っていうことも提案できますよね。

あるいは「太陽光だけに頼った電力会社を作るから、この企画を一人1万円で買って」っていうことも提案できそうです。

「モノじゃない頭の中だけで思いついたアイディアを売る場所」として「note」が面白い場所になるような気がしてきました。

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