特別な何かが求められる時代

戦後の「選択肢がない外食」からバブル時代の「1つのお店に入ったら何でもある居酒屋やカフェバー」へと移り、今は「特別な何かがある外食」へと気持ちが向いているのでしょうか。
Andy Roberts via Getty Images

最近は居酒屋さんがあまり入っていないそうですね。

うちの妻が学生の頃(1980年代前半)。いわゆるつぼ八とか養老乃瀧のような居酒屋が出てきて「すごいなあ」と感じたそうなんです。

じゃあ居酒屋が出現する以前は、日本の若い人たちは外ではどんな場所でお酒を飲んでいたのか。

焼鳥屋とスナックなのだそうです。

焼鳥屋が学生やサラリーマンの定番だったのは確かに想像できますよね。ちなみにビールは高いので日本酒を飲んでたそうです。

スナックは別に女性が横に座ったり、カラオケがあるわけではなく、男性のマスターがやっているようなお店もあって、大体みんなそういうお店にサントリー・オールドをボトルキープしてお洒落な学生もそこをたまり場にして飲んでいたそうです。

いわゆる小料理屋さんっていうのも昔からありますよね。そういう場所は若い人や貧乏な学生は行ける場所じゃなかったそうです。

だから、いわゆるチェーン店の居酒屋が出てきて、唐揚げや刺身やホッケの焼いたの、あとはサワーがあるというのがすごく新鮮だったそうです。

僕が学生の頃(1980年代後半)は、その手の居酒屋はもう定番化していて、カルピスサワーなんかは普通にありました。

そしてその後、居酒屋の進化版で、大皿料理屋というのが流行りました。カウンターのところに大きいお皿を置いて、ブリ大根や豚の角煮的なものがあったわけです。

そして一方ではカフェバーという業態が出てきて、パスタやピザやジンフィズやモスコミュールなんかが一般的になりました。

一方、うちの娘やその他の若い世代を見ていると、そういう「何でもあるお店」には行かないようなんです。

例えば「すごく美味しいサムギョプサルのお店」とか「並ばないと入れないラーメン屋やパンケーキ屋」、あるいは「内装が不思議の国のアリスのコンセプトで、スタッフもそのコンセプトにあわせた服装のお店」なんかに行くようなんです。

たぶん「特別な何か」を目当てに外食しているんです。

戦後の「選択肢がない外食」からバブル時代の「1つのお店に入ったら何でもある居酒屋やカフェバー」へと移り、今は「特別な何かがある外食」へと気持ちが向いているのでしょうか。

でもこれ、飲食だけじゃないような気がします。そこでしか手に入らない「特別な何か」がないと、最近はわざわざそこまで足を運ばないし、逆にそういう「特別な何か」があると、みんなが大挙してしまうんでしょうね。

bar bossa 林伸次

著書「バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?」http://goo.gl/rz791t

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