敗者と握手できるアメリカが好きだった

戦火を交えた理由が何であれ、歴史を克服して敗者と握手できるのが、アメリカのカッコいいところだと、アメリカに大敗を喫した国の国民の一人として思う。

アメリカのバージニア州シャーロッツビルでの事件とは、南軍の総帥だったリー将軍の銅像を副市長の発案で撤去することになり、それに反対した白人至上主義者団体とカウンター勢力が衝突したというものだった。白人至上主義者側の一人、ジェイソン・ケスラーが自家用車でデモ隊に突っ込んだことによりヘザー・ヘイヤーさんという女性が亡くなってしまったことで、単なる一地方都市のイザコザから、世界へとニュースが伝播した。

正直に言うと、トランプ大統領はこの件では気の毒な気もする。

人種差別主義者たちを即座に、明確に非難しなかったことから、批判の矛先がなぜか彼に向いて、企業家たちがアドバイザー役から離れてしまい、製造業評議会と大統領戦略・政策フォーラムを解散することになった。

米国では、というか、先進諸国では、人種差別と女性差別はまったく議論の余地なく否定しなくてはいけない事柄で、先日も「科学に基づいて、グーグル社内の多様性プログラムを見直してほしい」と要望を書いたグーグル社員が解雇された。彼の記したメモの全文はネットで公開されているが、おかしなことを書いているとは私には思えない。科学を基に異を唱えること、議論を求めることすらも許されないのである。

私はグーグル社の内情は知らないので、具体的にプログラムのどこに問題があるのかはわからないし、興味もないのだが、「性差や人種に関する議論を封殺するのはいいことではない」との主張が、解雇に値するとは疑問を感じる。

トランプ大統領は、白人至上主義を擁護したいわけではないことは発言からわかる。

「像を撤去することで、我々の偉大な国家の歴史と文化が引き裂かれるのを見るのは哀しいことだ。歴史は変えられないが、そこから学ぶことはできる。ロバート・E・リー、ストーンウォール・ジャクソン......次は誰だ。ワシントンか、ジェファソンか? 莫迦げている!」

"Sad to see the history and culture of our great country being ripped apart with the removal of our beautiful statues and monuments. You can't change history, but you can learn from it. Robert E Lee, Stonewall Jackson - who's next, Washington, Jefferson? So foolish! "

(2017年8月17日のツイート)

つまり、白人至上主義者の主張と、「像の撤去には反対である」という点が一致するだけで、白人至上主義のすべてを肯定していると拡大解釈されて批判にさらされているわけだ。

現代への適合を求めて憲法改正を主張するだけで、安倍首相に「安倍は戦争を始めようとしている!」という現実的でない批判が集まるのと同じ現象だ(私が自民党の憲法改正案に完全に同意するかとは別問題として、勝手な歪曲に基づく批判は卑怯だと考えている)。

もっと言えば、トランプ大統領と白人至上主義者たちの関係は、安倍首相に一方的で熱烈な支持をしていた森友学園の不祥事を、安倍政権の支持率低下に利用したメディアのやり口を彷彿させる。国を超えて、現代メディアの常套手段としての策略と言える。

南軍のリー将軍は、高潔な人物として知られ、彼自身は奴隷制度には「道徳的、政治的に悪である」と反対していた。荘園領主階級の出身だが、南北戦争が始まる前に所有していた奴隷を解放している。逆に、北軍の司令官グラントは、夫人の実家から遺産として奴隷を受け継いで保有していた。

リー将軍は、まず北軍から司令官就任の打診を受けたのだが、故郷であるバージニア州が合衆国を脱退したその日に、今度は南軍からも要請が舞い込んだ。

彼は自分の思想と、故郷への愛情の板挟みに悩んだ挙句に、後者を取って南軍総帥に就いたのである。同時に、合衆国陸軍からの除籍を申し出た。

「私は自分の郷里の肩を持つか、反旗を翻すかいずれかの立場を取らねばならない。どちらかをどうしても選択しろというのであれば、私は故郷を、家族を、子どもを裏切るわけにはいかないと答えるしかないであろう」と伝えた。(ジェームス・M・バーダマン著『アメリカ南部 大国の内なる異郷』講談社現代新書より)

南北戦争というのは、連邦(北軍)と連合(南軍)によって奴隷制の可否を懸けて戦われた内戦だと考えられているが、当初はそうではなかった。

当時は、産業の発展にともなう繁栄を享受する北部と、農業中心の南部の間で、格差が大きくなっていっていた。南部の農地すらも北部の銀行の抵当に入っていて、経済的に奴隷労働に依存していた南部は、北部へのフラストレーションを溜めていった。

そんな中、南部の生活様式とはまったく相いれないと考えられていたリンカーンが大統領に選出され、サウスキャロライナ州を皮切りに、合計11(フロリダ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサス、バージニア、アーカンソー、ノースキャロライナ、テネシー)の州が合衆国からの離脱を決めた。これらがアメリカ合衆国(The United States of America)に対する、「アメリカ連合国(The Confederate States of America)」である。

南北戦争が勃発した当初、リンカーンは「これは奴隷制度をめぐる戦争ではない」と主張した。北軍の州にも一部に奴隷制度を続けているところがあったので、発言には慎重さが求められたのである。戦争の目的はあくまでも「国を連邦政府のもとに一つにすること」であった。大統領出馬時にも、奴隷制度をとる州に干渉することはないと述べていた。

リンカーン大統領が、開戦から1年後の1862年に奴隷解放宣言を公表したのは、それが北軍の勝利に寄与することになると踏んだからである(奴隷の輸入自体は1808年にすでに違法とされていたのだが、国内での売買は続けられていた)。

南部人は北部の人よりも、むしろ綿などの輸出先としての英国をはじめとした欧州に心理的な結びつきを感じていたため、合衆国(北軍)の大統領が奴隷制度との決別を表明することにより、欧州からの南部支持を阻止するという目論見もあった。

北軍が勝利を収めたからといって、即座に奴隷が市民としての権利をフルに勝ち取り、人種差別が解消されたわけではない。それどころか、およそ100年後の公民権運動も経て、現代では「制度上の」差別は解消されているとするならば、長い長い時間を要したことになる。

「南北戦争は奴隷制度をめぐる戦争であった」、「南軍の将軍たちは奴隷制度を支持した非人道的な連中だ」、「だから銅像など撤去してしまえ」、「これに異を唱えるやつらは全員、人種差別主義者だ」、「トランプは白人至上主義者と同類だ」というのはあまりにも短絡的な思考ではないのか。

ジョージア州のストーンマウンテンという公園に、岩壁にロバート・E・リー将軍とジェファソン・デイビス、トーマス・J・ジャクソン(これがトランプ大統領のツイートにある、通称「ストーンウォール・ジャクソン」である)という南軍の指揮官たちが彫り込まれた世界最大の花崗岩彫刻がある。

すでに米国では議論があるようだが、これ、どうするつもりなのだろう。まさか削り取るような愚行に走りはしないだろうかと、現在のヒステリックな動きを見て心配してしまう。

私個人としては、アメリカの美徳のひとつは、その寛容、鷹揚な精神にあると思う。戦火を交えた理由が何であれ、歴史を克服して敗者と握手できるのが、アメリカのカッコいいところだと、アメリカに大敗を喫した国の国民の一人として思う(もちろん嫌いなところは他にたくさんある)。オバマ前大統領が昨年、広島を訪問したのはその美徳の一例だ。

国を二分した戦いがあったこと、それぞれの生き方、考え方を懸けて戦ったこと、その歴史の跡を残していくことは意味のあることだと思うのだ。そして、忘れてならないのが、当時の人間を現在の価値観で裁くことの異様さだ。事実は事実として、歴史を生きた人間たちに敬意を払うことはできないのだろうか。

つまり、この点に関しては、私はトランプ大統領と考えが同じなのだが、そうなるとやはり「お前は人種差別主義者だ!」と指弾されてしまうのだろうか。いや、私は日本人で、かの国に行けば差別されるかもしれない側の有色人種なのだが。

もしかしたら、「オバマを賛美しておいて、トランプに同調するのか」などと思う人もいるかもしれない。私はあくまでも是是非非だ。いいところはいい、悪いところは悪い。それだけだ。

単純化した全否定も全肯定も戒めたいものである。

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