見返り要求と口利きの狭間...政治献金を巡る政治家の苦悩

この感情と金額・方法論が一線を超えてしまうと、今回の甘利大臣のような不祥事につながってしまうわけですね。

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

今日は地元JR十条駅前の都市計画説明会が行われ、地域住民の方々と共に計画の説明を聞くために参加しておりました。

現在、十条駅付近は駅前ロータリーの再開発、大型の都市計画道路の敷設、そして今回の踏切高架事業と非常に多くの計画が同時に進行している状態で、こうなると多いのが

「古き良き町並みを守れ!再開発反対!」

「どうしても立ち退きたくない、なんとかならないか?」

「ウチの敷地をなんとか、計画線から外してくれ」

などの相談・陳情案件です。

そんな折に甘利大臣の事件に関連してこんな記事が出ておりまして、

交通違反もみ消し・裏口入学… 口利き依頼は日常茶飯事

私のようないち無所属の地方議員にはどれもそれほど縁のない話ですが、それでも色々と「献金と見返りの関係」については思うところがあります。

例えば以前に、こんな出来事が。

北区内のとある都市計画道路の建設計画について、強く反対をしている団体から「話を聞いて欲しい」との連絡がありました。

私は基本的に再開発や道路計画には肯定的な立場であり、その旨を断った上でお話を聞きにいくと、確かに行政手続き上の瑕疵があると思われる部分があったので、そこを直近の議会で取り上げて質問。

それなりに次につながる答弁が引き出せたこともあって、その後こちらの団体の方々とは、考え方の相違はあれど良好な関係が続き、

「頑張ってくれているので、少額ながら献金をしたい」

とのお申し出をいただきました。

企業団体献金は受け取っていない旨を説明すると、代表の方が個人名義で献金申請をしてくださり、お受け取り致しました。

上記の流れはもちろん「口利き」には当たりませんし、先方もそういったことを期待するような方々ではないと思います。

ただ結局、企業団体献金を自粛している政治家であれ、

なんらかの対応→その御礼

という構図自体は成立するということです。

公共の課題について解決する姿勢に対して共感し、献金を行うことはまったく咎められるものではありません。

むしろ民主主義下で政治家・議員を育てる健全な行動です。

しかしこれがあまりにも個別案件に寄ってきたり、あからさまな利益供与を求めるようになると

見返り要求↔口利き実施

という形になってしまいます。

これは非常に難しい問題で、政治家は票とお金が喉から手が出るほど欲しい。

有権者も献金する以上、なんらかの目に見える成果を求める…。

この感情と金額・方法論が一線を超えてしまうと、今回の甘利大臣のような不祥事につながってしまうわけですね。

(国会議員だとそこにさらに、「秘書の私欲」という要素が加わるのですが…)

私は折にふれて「民主主義のコスト」について言及していますが、政治家が選挙という洗礼をクリアしなければならない以上、こうした誘惑は避けて通れない事象です。

一方で「政治家は有権者を映す鏡である」と言われるように、政治とカネの不祥事が一向に止まらないのは、見返りを求める有権者たちの行動と真理によるものであるとも言えます。

今回の不祥事をいち閣僚、いち政治事務所・秘書の欲望に因るものだと矮小化することなく、こうした構造そのものを創りだす選挙制度・有権者意識にもしっかりと目を向けていかなければならないと思います。

断る勇気!政治家は「個人的なお願い(公私混同案件)」を受けてはいけない

私も常に自らの行いを省みる努力を行うとともに、見返りを求める側の有権者たちの意識変革が起こることを期待し、微力ながら啓蒙していきたいと思います。

それでは、また明日。

(2016年1月30日「おときた駿ブログ」より転載)

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