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コミュニケーションに「飢える」高齢化社会をどう迎えるか

2014年09月23日 17時27分 JST | 更新 2014年11月22日 19時12分 JST

昨日のポスティング大会には、多くの方にお集まりいただけまして、

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チラシの在庫よりも配り手の方が多くなってしまったため(汗)、

街頭演説部隊を組織して赤羽駅東口・西口でがっつりと

バースデー駅頭を行いました。

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(撮影してくださった新田さん、ありがとうございます!)

最近、駅頭は朝オンリーだったので、

日中の活動は久しぶりに行ったんですけど、

当然のことながらアプローチできる層が異なります。

簡単に言うと、高齢者の方がすごい話しかけて下さるんですよね。

ふと見ると、あちこちでボランティアスタッフたちが

おじいちゃんおばあちゃんに捕まっている(笑)。

もちろん政治や政局についてご意見を述べる方もいらっしゃいますが、

それよりも世間話をされていく方が圧倒的に多いです。

「うちの孫は、地方で○○をやっててねえ...」

「いつも散歩コースで、どこどこまで歩くんだよー」

と、取り留めのないことを長時間しゃべり、

チラシを一瞥して去っていく...。

まあ、何気ない一コマでありますが、

色々な日本の問題点が凝縮されている光景だなーと思ったりします。

高齢者の方々は、コミュニケーションを求めている。

飢えている、と言ってしまってもいいのではないでしょうか。

家族と離れて暮らし、気軽に会える友人たちも身近にはおらず...

駅前にいる政治家とそのスタッフたちなら、邪険にせず話を聞いてくれるだろう!

そんな思いが手に取るようにわかります。

「茶飲み受診」

とも揶揄される、医療費を圧迫する健康な高齢者たちの

病院受診が問題になりますが、合法的に医師やそこに集う仲間たちと

コミュニケーションが取れる機会を求める高齢者の行動を止めることはできません。

医療や介護といったサービスは、不足していると言えど、

行政が提供することができます。しかし、コミュニケーションという

人間社会に根源的なものは、政治や行政が与えることは難しいものです。

お金を出して話し相手になってあげるようなサービスは、

きっと見透かさせて、うまく機能することはないでしょう。

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31歳の誕生日を迎え、私にはコミュニケーションを取れる

「仲間」たちがたくさんいます。本当にありがたいことです。

しかし、やがて確実に老いていった時に、

コミュニケーションを求めて街を彷徨わない保証が、どこにあるだろうか...

結論めいたものはなくて申し訳ありませんが、

そんなことを思った31回目の誕生日でした。

今年も政界という荒波の中でたくましく生き抜いていけるよう、

研鑽を重ねる一年にしていきたいと思います。

今後ともご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします!

それでは、また明日。

(2014年9月23日おときた駿ブログより転載)