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自分が、政治家が、おそらく最後まで信じなくてはいけないもの

2016年01月03日 15時26分 JST | 更新 2016年01月03日 15時28分 JST

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。

12月は政局の季節です。来年には国政選挙があることもあり、

色々な選挙戦略・党利党略が聞こえてきます。

その中でどうしても、私がスッと許容できないのが、

「有権者なんて、どうせそこまで見ていない」

「選挙のためには、○○という風に見せておけば良いんだ」

といった類の意見です。

もちろん、軽減税率が世論調査で7割近くの支持を受けているなど、

国民の刹那的な判断に対して疑義を唱えたいことは沢山あります。ホント。

それでもね、われわれ政治家が、

有権者を突き放すよう結論は出してはいけないと思うのです。

私がいま議員という立場であり、一定の行動が許可されているのは、

1万人以上の方に「おときた駿」と名前を書いてもらい、

議会に送り出してもらったからに他なりません。

この敢然とした事実を時として、

政治家・議員は忘れがちなのだと思います。

いったい、どこの誰が、自分自身に力を与えてくれるのでしょうか。

政策も理念もわからない、ただ単に「顔を知ってる」から入れてくれる...

そんな有権者たちによって自分の立場があるのならば、

それはとても虚しいことではないでしょうか。

まだ議員ではない新人ならまだしも、

すでに現職の議員だったら、その責任はなおさら重大です。

「国民はわかってくれない」

と嘆くくらいであれば、何よりも

自分たちの情報発信力の弱さを悔やむべきです。

仮に有権者たちが誤った決断を下すのだとすれば、

ただ「知らない」からなのだからと、啓蒙に力を注ぐべきです。

「選挙に受かった後に、××すれば良い」

という考え方も同様にまた、納得することができません。

国民が政治家に対して明確に判断を下せる機会は選挙だけであり、

これではその場だけを乗り切った後、欺くことになるからです。

私自身が政治家として、政治の嫌な側面を死ぬほど見てきて、

ドブ板ばかりをする大物議員たちが絶大な権力を振るう現状に

希望を捨てそうになったことは多々あります。

それでも、諦めたくないんです。

有権者を、自分を選んでくれる人々を諦めたら、

いったいなにが政治なんでしょうか。

民主主義を選んだ意味って一体、何なんでしょうか。

だからこそ私は、愚直に情報発信を続けているのかもしれません。

すべての人が十分な知識を共有した上で、適切な判断を下していくこと。

道のりは遥か遠くても、それがきっと理想の政治のあり方だから。

政策・理念・信条...

われわれ政治の世界で、「一票にもならない」と言われている部分こそに、

何らかの核心があるし、そうであって欲しい。

たぶんアホでどうしようもないと思うんですが、

私はそんな風に思っています。

年末なのでね。脈絡もなくこんな話しを書きたくなりました。

それでは、また明日。

(2016年1月1日「おときた駿ブログ」より転載)

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