オトナの服選び。〜高円寺Lampa 遠山さんが選んだ過去と現在〜

はてさて、いま洋服はどこで買えばいいのか?

オトナが服を選ぶ場所、方法

音楽と服が密接にリンクしていたように、着ている服が人同士のコミュニティの形成を手伝った時代は終え、それぞれが「自由」にファッションを楽しむように。はてさて、いま洋服はどこで買えばいいのか?そして、どこの街にどのようなお店があるのか?

今回は90年代のファッション座談会のスピンオフ企画として、そのメンバーの一人である山田氏の協力を仰ぎ、高円寺Lampaの遠山氏についてお送りします。はてさて、ファッションの目覚めからその遍歴、そして今の服の選び方とは。

遠山勇(1972年生まれ)

高円寺のセレクトショップ「Lampa」の店主。生まれは東京、育ちも東京。趣味の音楽に影響された自身をそのまま表すかのような、比類なきミックス感覚が行き届いたお店には多くのお客さんが集まる。

山田耕史(1980年生まれ)

ファッションアナリスト。1980年兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後服飾専門学校に入学、渡仏。帰国後ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て現職。ブログを中心に誰もが簡単にファッションを楽しめる情報を発信中。

Twitter:@yamada0221

Interview:山田耕史

Photo:FACY MAN 編集部 ライターS

ヒップホップで合コンに行ってもモテない

"高円寺 Lampa / 店主 遠山氏"
"高円寺 Lampa / 店主 遠山氏"
溝口駿介

山田 事前に教えていただいた情報によると、遠山さんはファッションよりもまず音楽、という感じですよね。

遠山 昔はヒップホップのアーティストに憧れがあって、アーティストが着ている服からファッションに入っていきましたね。

山田 ヒップホップですか。

遠山 そうです。っていうのも部活がきっかけで。バトミントンをやっていたんですけど、体型がおかしいんです(笑)。スポーツやっている人特有の体型というか、ウェスト細いのにお尻と太ももだけはパンパンに張っていて、ウェスト73cmなのに腿が60cmくらいあったから普通の服が着られない。

山田 あるあるですね(笑)

遠山 でもヒップホップ系は裾を出して着られるから楽だし趣味とリンクするしで、そっちに傾倒してましたね。

溝口駿介

山田 とすると、ヒップホップがファッションへの目覚めですか?

遠山 そのときは部活に一生懸命だったので、本格的に目覚めたわけではないですね。高校時代はアメカジが流行っていました。リーバイス501にヘインズのTシャツ、スニーカー。ラルフ・ローレンのシャツと金ボタンの紺ブレ。あとはG.H Bassのローファーがかなり流行りましたね。

山田 じゃあ流行っているものを着てみよう、みたいな。

遠山 うーん、なんとなく着ている感じですね。当時のアメカジはシャツもTシャツも裾をパンツにインするスタイルもありましたが、自分には似合いませんでしたね。だからと言ってヒップホップで合コンに行ってもモテない(笑)。アメカジと両方着てました。当時一番女の子に好感を持たれていたのはポロシャツにチノパンの、後々プロデューサーなんて言われるようなちょっとキレイ目な格好。

山田 じゃあ合コンに行くときはプロデューサー、普段はヒップホップとオンとオフを切り替えていたんですね(笑)。

溝口駿介

遠山 そう(笑)。あと、ペインターパンツも流行っていました。ウェストに対して太ももが太いから自分の体に合ったんです。で、上にラルフ・ローレンのシャツ着て。シャツも大きいのと小さいの、2サイズ所有すると。

山田 わざわざ同じシャツを2つ買って使い分けているのって、当時のファッションに対する熱量の高さを感じますね。

遠山 モテたい熱量だね、間違いなく(笑)。あとはハンティングワールドのバッグやトニーラマ、レッドウィングのブーツも流行っていました。高校は学ランだったんですが、ボンタンじゃなくてブーツカットに改造してる人もいましたね。「膝のところ細いな〜」、みたいな(笑)。

「あそこに魚がいるぞ!」

溝口駿介

遠山 大学に入るとデッドストックを探しに、友達と地元のおじいちゃんおばあちゃんがやっているような地方の靴屋を周るようになって。コンバースのデットストックをごっそり買ったりしていましたね。

山田 あと、当時はエアマックスブームでしたよね。履いてました?

遠山 履いてましたね。エアマックス95かな?格好良いと思ったし、エアって履き心地が良くて凄いなと思いました。かかと、やべーって(笑)。

"ファッションアナリスト / 山田耕史氏"
"ファッションアナリスト / 山田耕史氏"
溝口駿介

山田 僕はファッションの目覚めがエアマックスブームだったんですよ。ファッションに興味を持ち出す16、7歳のときにちょうどエアマックスブームがきました。僕も普通の靴屋で買ったんですが、エアマックス95は買えなくて。マイナーなモデルを買ったんですが、それでもプレミアが付いていました

遠山 大学卒業後に就職した渋谷のショップでエアマックスはかなり売れてました。

山田 どんなショップだったんですか?

遠山 セレクトショップと言ってもいい、でも言っちゃだめ、みたいなショップ(笑)。ゲスくてひどいんですよ。ベースはストリートファッションで、セレクトはしているけど次の年に新しいファッションが流行ったらそっちにスタイルチェンジするっていう。

山田 今では考えられないですよね(笑)。確かに昔はそんな感じのショップって多かった。

遠山 でも当時は「あそこに魚がいるぞ!」ってところにうわーって網を投げるような感じ。で、「ここの漁場いなくなったね」ってなれば次の漁場に行って、そこに合わせた餌を考えると。こういう言い方がいいのかはわからないけど(笑)。去年来ていたお客さんが今年になると来なくなった、なんてこともよくあった。

山田 トレンドが明確でそれにみんなが食いついていたので、そんなショップが存在できていたんですね。

向こうに普通にいる人の格好がしたかった

溝口駿介

山田 そういえば、今回は90年代当時にまつわる服をお持ちいただきましたが。

遠山 そう!これはライディングマニアというブランド。プリントがパタゴニアのパロディーですね。

山田 格好良い!

遠山 しかもこれ、ボディがパタゴニアなんですよ。イっちゃってるでしょ。

山田 これはいつ頃のアイテムですか?

遠山 90年代後半、当時働いていた店で売っていました。カリフォルニアのブランドですね。プリントのモチーフが女の人になっていて、女の人と自転車に乗るって意味でしょう。色目もとても良いんですよ。値段もそんなに高くなかったし。これ懐かしいですね。

山田 いかにも90年代って感じですね。

遠山 これは記憶が定かではないんですが、PROGRESSIVE FOrMっていう、今もあるエレクトロニカ系のレーベルのアパレル。ボディと同色のプリント、控えめな主張が東京っぽい

溝口駿介

山田 この服もアーティストから入ったって感じですか?

遠山 90年代後半はヒップホップのアーティストがエレクトロニカの方に向かっていたんだよね。パソコンでDJをやり始めるのが出て来た頃だと思います。

山田 このグラフィックも90年代後半っぽい感じですもんね。

溝口駿介

遠山 あと、これはオーシャンパシフィック。これを見るとうちの店でメイプルを扱っている理由がわかってもらえると思います。もともとこういう海っぽいのも好きなの。これはヒップホップ期に着ていたTシャツ。当時からしたら、この色が珍しかったんだと思う。

山田 サイン入りですね。

遠山 これビズ・マーキーっていうラッパーのサイン。全然Tシャツとは関係ないのにサインもらった(笑)。レコード屋でサイン会をやっていたところに出くわしたんだけど、書いてもらうものがなくてこれに書いてもらいました。よく書いてくれたなって思います(笑)。ラジオ局のTシャツだけど、このグラフィックの感じもいいよね。

溝口駿介
溝口駿介

遠山 当時ヒップホップを好きな人はラルフ・ローレンやカルバン・クライン、ダナ・キャランといったブランドを着ていたんだけど、俺はこういうのを着たほうが向こうの黒人のリアルな普段着っぽいと思っていて。よそ行きじゃなくて何気ない感じで着ている普段着、という感じを出したかったんです。

山田 好きなアーティストの格好をそのまま真似るんではないんですね

遠山 そうそう。ラルフ・ローレンみたいな高級ブランドの服を普通の人が買えるわけないよね。そんな服を着ているのは一握りだけ。それよりも、向こうにいる普通の人の格好がしたかったんです。

渋谷にいないと不安

溝口駿介

山田 ところでご出身はどちらですか?

遠山 東京です。

山田 よく通っていたショップは?

遠山 大学時代に通ってた、DJ MUROさんがマンションの一室でやってた口コミオンリーでしか行けないシークレットショップとかかな。マンションのエントランスでピンポンを鳴らして、「服、見に来ました」って言うと「◯◯◯号室です」と言われてドアを開けてもらうという感じで。今のジャーナルスタンダード渋谷店近くのマンションだったと思います。内緒のお店って感じで面白かったですね。

山田 初めて聞きました。

遠山 入るとMUROさんがいて、ミックステープや海外から買い付けて来たウェアがある。

山田 行ったら絶対に買わないといけないですね(笑)。

遠山 見たこともないものばっかり売ってるし、買うよね(笑)。魅力的すぎて。当時MUROさんにかなり憧れていたし。

山田 本人が売ってくれるんですもんね。

遠山 商品見ながら、「実物はこんな感じなんだ」なんて思ってたりもしてたけど(笑)。あとはアメリカの小さな香水とかも売ってました。香水も当時はあまりなかったんですよね。でも、マンションで売ってるのがバレてそのお店はすぐになくなっちゃいましたね。当時情報が早い友達が「こんなのあるよ」って教えてくれましたんですが、本当に少数の人しか知らなかったと思います。このことを色々なところで話しても知っている人ってほとんどいませんね。

山田 大学時代にそこに行けるのってすごいですね。当時はSNSがなかったじゃないですか。どうやってその情報を嗅ぎつけたんですか?

遠山 そこも音楽の趣味とリンクしてて。その時は中古レコードを漁りに渋谷によく言ってたんですよ。それで古着も買うっていう。

溝口駿介

山田 探すことを楽しんでいた。

遠山 そうそう。いろんなものに触れられるし。金がかかってしょうがなかったけど(笑)。そこで情報を集めてましたね。レコードには月5万円くらい使ってたし。だいたい1枚1,000円だから月に50枚。

山田 えー!

遠山 買わないと不安でしょうがない。

山田 不安、ですか?

遠山 特にヒップホップの頃は渋谷にいないと不安でしょうがなかった。当時の友達も、新譜チェックしていないと取り残された気分になるって言ってた。なにはともあれ渋谷に行っちゃうの。で、待ち合わせしなくてもレコード屋に行ったり歩いていたりすると、誰かに会うから。で、合流して一緒にレコード屋を周るっていう感じ。で、ノッてきたらそのままクラブに行っちゃう。今みたいにインターネットがないから、街に出てレコードや洋服、パーティなんかの情報交換をしてたね。

山田 まさに今のSNSですよね。僕にとってのツイッターみたい。平日はタイムラインを追えていますが、休日は隙間時間しかツイッターを見られないのでちょっと不安になることがあります。

アメリカのスタイルにちょっと飽きてきた

溝口駿介

山田 僕は1998年に大学に入学して本格的にファッションにのめり込むようになりました。高校のときはヴィンテージブームからの流れでアメカジ。そこからマルイ系、ビームスやユナイテッドアローズといったセレクトショップのキレイめに移行して、その後は当時多かったデザイナーズの個店系セレクトショップで買い物をするようになりました。クリストフ・ルメールやダーク・ビッケンバーグ。それを経てコムデギャルソンにどハマりするというのが98年から2000年くらいまでの流れですね。

遠山 ビッケンバーグね。ブーツが人気だったよね。あのぶっとんだ感じは今でも好きかもしれない。ロニ・サイズが履いてた記憶があるな。ドラムンベースの人ってそういうブランド着ててオシャレなんだよね。そういう背景を含めていいなと思ってて、デニムは穿いていたんだけど、靴は履かなかった。靴は何回も買おうと思って試着するんだけど結局買わなかった。「よし、今日買おう!」と思って買いに行くんだけど、一歩踏み出せずに終わる(笑)。

山田 遠山さんはその当時はハイブランドを着ていたみたいですが、何着てました?

遠山 その頃はファッション業界で仕事をしていこうと思っていたころで。着ないであれこれ言うのは嫌なので色々着てみました。マルタン・マルジェラ、ジル・サンダー、ヘルムート・ラングとか。その頃渋谷にミッドウエストができるんだよね。たまたま通りがかって入ってみたら、いいなーと思って。そこでステファン・シュナイダーを買った。ノリで。

山田 ステファン・シュナイダー!懐かしい!

遠山 そこからミッドウエストに通うようになった。ドラムンベースを聴くようになったのも同じ頃ですね。

山田 ミッドウェストってかなりモード系ですよね。そこに至るまではどんなファッション遍歴だったんですか?

遠山 それまでは古着ですね。ヒップホップとアメカジ。DJの人ってラッパーとは違ってシュプリームとかサイラスとか、スケーター系を好む人が多かったんですが、それが嫌でズーヨークっていうブランドを着ていました。名前の雰囲気も好きだったし、自分のお店でも扱っていたので。あとUKカーハートとか。なんか時代がアメリカからUKの洗練された感じに移行していきましたよね。シルエットも今まで太かったのが、細くなってデザインもミニマムになって。色もダークめなのが受け入れられるようになって。俺もその流れに乗っかりました。アメリカのスタイルにちょっと飽きてきたというのもあったのかな。

ミックス

溝口駿介

山田 その後のファッション遍歴はどうなるんですか?

遠山 もうミックスだね。その時の気分にこれまでの趣味を足していく感じかな。だから聴く音楽も色々混ざってたと思う。マナスタッシュが出てきたころくらいに、ちょっとアウドドアっぽいのが好きになったりしたこともあった。マナスタッシュのスウェットにグラミチのパンツ、メレルのジャングルモック。当時はアークテリクスが流行ってたんだけど、あの始祖鳥マークがどうも苦手で(笑)。バッグをどうしようかなと思ってたら、中央線で高尾山に登山に行くおじさんやおばさんが持っているバッグが気になって。

山田 ガチ登山ですね。

遠山 そうそう。ああいう人たちがどんなブランドのバッグを使っているのか調べて買ってました。

山田 モンベルとかですか?

遠山 いや、全然違うね。渋谷のファンクションジャンクションっていうショップで買ったけど、メジャーなブランドではなかったと思う。色はパープルとグレー。で、安い。多分日本のガチなハイキングブランドだったと思う。2000年くらいかな。当時のグラミチってウェストは太いけど、裾は細くてそのシルエットが良かったですね。昔穿いたボンタンのシルエットに似てるから、ボンタン世代はグラミチは馴染みやすかった(笑)。で、インフォームのスウェットも着たり古着も着たりしていたんでミックスだよね。マルジェラとかも着てた。ハイブランドの服って細そうに見えて意外と着やすかったりするしね。

山田 マルジェラは今も着たりします?

遠山 もう着ないね。今はお店にあるもの以外着てない。

溝口駿介

山田 それでは今お店でかけている音楽もミックスと。

遠山 ほんとごちゃごちゃ。屋久島の風の音とか聴いてることもある(笑)。渋谷とか原宿のお店でアップテンポな曲がかかるってのは自然だと思うんだけど、高円寺って今すごく静かだし、ここでうちのお店だけジャカジャカやっても違うかなって思いますね。静かな音楽、ジャズとかを聴いていることが多いかもしれない。基本なんでも聴くけど、いわゆるパンクみたいのなのは聴かないかな。それが唯一自分の中にない要素。

人と一緒が嫌

溝口駿介

山田 学生時代から自分のお店をやりたいって思っていたんですか?

遠山 一瞬はね(笑)。でも学生ならではの妄想みたいなもので。就職するときに、音楽の仕事にしようかファッションの仕事にしようかってのはありました。最初は音楽レーベルの入社試験を受けたんですが、案の定落ちるわけですよ(笑)。で、全然違う会社に入ったんだけど、すぐに倒産しちゃって。アパレルに入ってた友達から「今なにやってんの」と聞かれて、「いや、なにもやってない」って答えたら「新しいお店がオープンするみたいだから受けてみたら?」って言われたのがきっかけ。そんなに意識してアパレル業界で働き始めたわけではなかったんです。

山田 なるほど。お店を始められたのはいつですか?

遠山 12年前、2005年ですね。

山田 今でも変わらない服選びの基準は?

遠山 根本的にあるのは人と一緒が嫌ってこと。音楽もそのときの流行りの曲をそのままかけるのに抵抗がある。「こんな感じのものって他にもあるんじゃないかな」って探してしまう。安易に乗っかりたくはない。それは洋服も一緒かも。

プロの仕事

溝口駿介

山田 実際、どんなブランドを扱っているんですか?

遠山 セレクトするブランドはそれぞれ役割を持たせています。このブランドはこれ担当、みたいな。例えば『CCP(シーシーピー)』はモード担当なんです。機能性を追求している服なんだけどモードっぽい。そこを追求するって形の美しさに通ずるんだよね。これと真逆なのが今結構気に入っている『BRENA(ブレナ)』っていう大阪のブランド。デッドストックのフレンチカバーオールを解体して作り直してテーラーの職人が丸縫いして作ってるから数量限定。生地がめちゃくちゃいい。

溝口駿介
溝口駿介

山田 これ、すごく格好良いですね。欲しい。

遠山 お店のなかで、CCPが一番モード、BRENAが一番オーセンティックっていう位置づけで、このふたつのブランドの間に他のブランドがいっぱいあってそれをミックスするっていうのがうちの特徴かな。こういうのが共存しているお店ってあまりないと思う。BRENAのカバーオールの下にCCPのカットソーを着るのも全然アリだと思ってる。still by handも他の扱っているところと、うちとでは全然印象が違うと思うし。同じブランドの服でも、うちのお店で見るのと他のお店で見るのとでは全然見え方が違ってくるんじゃないかな。

山田 そうですね。遠山さんのバックボーンを聞くと余計。Lampaはどういう顧客さんが多いんですか?

遠山 基本スーツじゃない、私服で仕事している人たち。映像関係、IT、飲食とか。カウンセラーや化粧品の成分をつくっている人みたいな、へぇ、そんな仕事をしているんだ、っていう人も多い。あとうち、カメラマンのお客さん結構いるんですよ。撮影で外に行くのにすぐにダメになる服じゃいけないし、かといって動きやすいスポーツウェアで行っても「お前、おしゃれな写真撮れるのか」ってなるし(笑)。IT関係の人も、ジャケット着たままパソコン仕事ができるとか、普段着であるけど機能的であるってのが喜ばれますね

溝口駿介

山田 それはセレクトするときも機能性に意識を向けているんですか?

遠山 そう。でも機能性はなくても良いっちゃ良いし、そればかり求めるのもなーとも思う。お客さんからすれば機能的な服があるお店だと思われてるんじゃないかな。そこを求められているんだろうなってのはあります。そういう服って東京っぽいかなって自分でも思いますね。

山田 今後もブランドを増やしていく予定はあるんですか?

遠山 まだ自分の全てを出し切ってないからその予定です。ただ今まで色々なファッションを通ってるからまだ引き出しはあるんだけど、出し切るとわかりづらいお店になっちゃうと思う。本当はもっとやりたいんだけど、今は伝わりやすいようにしてる。

山田 今後はもっとディープになっていくんですか?

遠山 したいんだけど、できないかな。それを魅力的に伝えるのは難しいと思う。それよりも今みたいに色々なジャンルの服があるほうがいいなって思う。ちょっと渋めな感じの色で。

山田 なるほど。

遠山 今お店にある商品は全部自分が着る視点で選んでる。モノを見てたら「こうやって合わせればいいんだな」というのが思いつくので、ブランドは色々あるけどお店として統一感があるっていうのがうちの魅力かな。だからブランドのことを全く知らないで買っているお客さんも多いね。色々なジャンルのブランドがあるけど、合わせてもおかしくないように。そういうミックス感覚は90年代のノリなんじゃないかなと思いますね。

90年代以前ってアメリカはアメリカ、イギリスはイギリス、それらが混ざることがなかった。だけど90年代はアメリカとかイギリスとかストリートとか裏原とか、色々ミックスすることを面白がるようになって、それが東京っぽさになってて。その感覚が今のお店にもあるんだと思う。同じブランドでまとめるのは簡単なんだけど、それをプロがやっちゃうのはどうかなと思う。大変だけどね(笑)。

~おわり~

溝口駿介

対談を終えて

最近、セレクトショップという看板を掲げつつも、品揃えの中心はオリジナル商品でセレクトされている商品はごく一部、というショップが増えており、「どのショップを見ても同じ」という指摘を目にすることもあります。実際に僕自身も自分がファッションに熱中していた90年代に比べると、じっくり時間をかけて楽しめるお店が少なくなっているような気はしていました。

Lampaには今回初めてお邪魔。店内をじっくり見る間もなく対談が始まったのですが、遠山さんのお話を伺っていると、お店がまるで遠山さんの分身のように感じられてきました。ヒップホップ、渋谷、アメカジなど、遠山さんが今まで経験してきた全てが凝縮されているのでしょう。だから、ひとつひとつの商品からお店での陳列、オンラインストアの文章まで、Lampaにまつわる全てのものから遠山さんらしさが感じられるのです。誰かそっくりそのまま同じブランドを並べたショップをつくっても、それはLampaとは全く違うショップになるはず。セレクトショップは「人」なんだと、教えてもらえました。(山田耕史)

Text&Edit : ライターS

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