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説明しよう。40歳になるとは、こういうことだっ!

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厄年どまんなかの中山です。こんにちは。

先日、とある飲みの席で、「40歳になるのって、けっこう精神的にクルよね」、「29→30歳より、39→40歳のほうが精神的ダメージがデカイね」って話題がのぼりました。

同席していた50代の人は「そうそうっ!」って力強く共感し、30代の人は「僕も気になってました、実際どうなんですか!?」って膝を乗り出してきて、「あ、これはきっと誰もが気になるコトなんだろう」と思ったのです。

年代がひとつ上がるのって、ひとつ歳を取る以上の重みがありますよね。「アタシもいよいよ三十路か……ハァ」とか、「オレもとうとう四十路に突入だぜ……フゥ」みたいな、新しいステージに上る感が。ぜんぜんうれしくないステージですけど。

ということで、39歳以下の方々のために、「40歳になるとはどういうことか」をぶっちゃけてみようと思います。

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■「40歳って、こんなんでいいの?」って驚く

40歳になってショックを受けるのは、「学生時代に抱いていた40歳のイメージと、実際に40歳を迎えた自分」のギャップの大きさです。

学生時代の40歳のイメージは、「落ち着きと教養に満ち、パリッとスーツを着こなすビジネス紳士。夜は行きつけのバーで紫煙をくゆらせつつ、バーボンをチビチビやり、週末はクラウンでゴルフ場へ」的なのでした。マンガキャラでいえば、課長島耕作とかランバ・ラル※です。

でも、実際の私ときたら、「ジーンズとスウェットで出社する、攻殻機動隊の新作ARISEにワクワクする、吉野家の50円引きクーポンはきっちり使う、酒は飲めず、タバコは持ったことすらない、週末は河川敷でサイクリング」と、見事にひとつも当てはまりません。「こんなんでいいのか、オレ?」感がすごいです。

でもですよ?39歳のとき好きだったものは、40歳になったって好きなわけで、そんな急に趣味嗜好は変わらないってことです。

ただ、「自分は年齢にふさわしい成長をしているのか?」、「自分はオトナになりきれていないのではないか?」といった、精神年齢が実年齢に追いついていないかも感がもたらす心のアンバランスさは、どうやら多数の方が抱く感情のようです。なので、あまり気に病む必要はないと思います。

※ランバ・ラル:機動戦士ガンダムの敵キャラ(ジオン軍)の大尉なんですが、Wikipediaによると、なんと35歳。いや、どう見ても40代後半だろ……(諸説あって、40代後半説もあります)。
 
 
■努力しないと、ベストコンディションを維持できない

サイクリングとサッカーが趣味なのでよく分かるのですが、持久力、瞬発力共に落ちてきます。
それ以上に痛感するのは、疲労回復力ですね。30代のときはぐっすり寝れば1日で回復していたのが、1.5〜2日かかるようになります。

ベストコンディションをキープするのに、プラスアルファの努力を要するようになってきます。私の健康管理のスタンスは、30代は「筋力アップ、持久力アップ(鍛錬&パワーアップモード)」だったのが、今は「体幹筋力アップ、疲労回復、柔軟性アップ(維持&メンテナンスモード)」にシフトしています。

しかしですね、50代でトライアスロンとかエクストリーム・トレイルランニングする人が周囲にいるのですが、彼らに言わせると、「身体なんて、いくつになっても鍛えられる。40歳はまだまだ若い」らしいですよ。よって、勝手に体力の限界を決めてしまうのはもったいないでしょう。それに、尊敬してやまない横浜FCのキングカズが46歳にしていまだに現役なので、彼より若い私がへこたれてはいかんと自分を戒めています。

もっとも、体力とは異なり、知力と気力は別物です。「いろんなことを学びたい、書籍を読みたい、行ったことのない場所にでかけたい、知らない世界に触れたい」という意欲はむしろ強まっています。知識欲、向上心、好奇心と年齢は無関係です。
 
 
■年に1度、「死」を真剣に考える

日本人男性の平均余命はおおよそ80歳(女性は87歳)です。つまり、男性にとって40歳は、「人生の折り返し地点」です。箱根駅伝で言えば、復路です。これまでの人生を振り返ったり、これからの人生に思いを馳せずにはいられません。

厚生労働省 主な年齢の平均余命表

縁起の悪い話ですが、「死」をリアルに意識する機会が増えるでしょう。自分より年下の知人や親戚縁者、もしくは著名人が亡くなるのを見聞きし、なんとも言えないやりきれない気持ちになるのもこの時期です。

年イチくらいのペースで、

「死因はなんだろう。どこで死ぬんだろう。このご時世、畳の上で死ぬのは難しいだろうな。死因がなんであれ、痛いのはゴメンだな。事故とか突然死はもっとイヤだな。子供や孫に囲まれ、朝日の差しこむ病院ベッドの上で、『みんな達者で幸せにな、仲良くして、争い事は避けるんじゃよ。じゃあ、じいちゃんはそろそろ逝くよ・・(ガクッ)』的なのが理想だけど、ドラマじゃあるまいし、そりゃないな。順番からして妻よりオレが先に死ぬだろうな。遺言って何書けばいいのかな。死ぬ瞬間って何に後悔するのかな。もっと生きたいよ〜ってジタバタすんのかな。湿っぽい葬式にはしたくないから予め妻に伝えておかなきゃな」

……って瞬間が訪れます。ちょっぴりブルーになります。
 
 
■「大切なのは、気の持ちようだ」と思い至る

考えようによっては、40歳は中途半端な年齢です。

学生から見れば、完全無欠のおっさん(おばさん)だけど、年長者から見れば、おっさん(おばさん)としては青二才。角度によって、若くも見えるし、老けても見える。それが40歳。若さとは相対的なものです。気の持ちよう次第でなんとでもなってしまうのです。そう気づいてからは、自分の年齢も他人の年齢も意識しなくなりました。

「◯◯歳を超えたんだから、いいかげん落ち着いたら?」とか、「いい歳をして、そんな(馬鹿げた or 子供じみた or 無謀な or くだらない)ことやるなんて」ってフレーズ、誰しも言われた経験がありますよね?
(私は、いまだにサッカーをする私を快く思っていないオカンから、「いい歳して、いまだに若者のスポーツにうつつを抜かしおって、けしからん。ケガでもしたらどうするのじゃ?そうじゃ、二度とサッカーが出来ないような大ケガをすればよいのじゃ」という矛盾に満ちたセリフを真顔で言われ、二の句がつなげなかったことがあります)

こういったスレテオタイプにはめ込むようなセリフは、個人的に好きではありません。他人の価値観で決められた「その年代にふさわしい行動の基準」に捕らわれて、「本当に自分のしたいこと」を見失うなんて、おかしいと思うわけです。

ちなみに、この記事を書くために、Wikipediaで「厄年」を検索し、前厄、本厄、後厄の詳細を知りました。本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳だそうです。私は数週間前に本厄を終えたことが今、発覚しました。「あ、本厄だったんだ(笑)」ってかんじです。

最後に、ヒクソン・グレイシー※の言葉で締めくくりましょう。

「私は時間の概念を知っているし、年齢の存在も知っている。でも、私は年齢を信じていないんだ。私には過去も未来も関係ない。どこでいつ生まれたか、今何歳で、いつ死ぬのか、そういう概念の外で生きようと思っている。時間を超越したところで生きたいと思っているんだ。私にとって大切なのは『プレゼンス=今』だ。ある人にとっては20歳は若く、80歳は年老いているかもしれないけれど、私はそうは思わない。私が信じているのは『今』だけだ。だから、私は年齢を考えたことがないんだ」

※ブラジルの柔術家、400戦無敗の男として有名、1959年生まれの53歳

この言葉を、「馬鹿馬鹿しい」と思うか、「一理ある」と思うか?

年はとっても、年寄りにならないよう、いつまでも瑞々しい心を持ち続けたいものです。

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