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「生放送中に子供が乱入」動画を見て、母親をベビーシッターと勘違いした私の後悔と考察

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BBC
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ある男性がBBCニュースのインタビューを受けている最中、子供たちが邪魔をする動画がインターネットに出回ったのは、3月10日のことだった。この動画の中で男性は、キャスターに「あなたのお子さんが入って来たようですが」と言われても、なんとか平静を保っていた。2人の子供が部屋に侵入し、パニック状態の女性がカメラに映らないようにしながら子供たちを素早く引きずり出した。これが騒ぎの元になった。

この動画の男性は釜山大学の政治学准教授ロバート・ケリー氏だと分かったが、女性の身元は分からなかった。そして多くの人がこの女性、キム・ジョンアさんを、男性の妻ではなくベビーシッターだと決めつけた。結局、この2人は夫婦だと判明したが、この女性は誰なのかという憶測に関する解釈が、結果的にハッシュタグ#NotTheNanny(ベビーシッターじゃない)、となった。

世の中のみんなと同じように、私も最初は、この女性は奥さんかもと思ったが、その後、子供たちのベビーシッターなのでは、と考えた。私はこの動画をFacebookでシェアし、「もし彼女がベビーシッターだったら、クビにならなければいいけど」とコメントを付けた。相手が結婚相手だったら、夫でも妻でも、相手に一瞬ムカつくくらいで済むだろうが、うんざりした雇用主ならベビーシッターをクビにしかねない。ベビーシッターの95%は女性だ。私はTwitter上でこの動画をリツイートし、彼女のことを「奥さんかもしれないし、ベビーシッターかもしれない」とつぶやき、最終的には奥さんだったと確認したことをシェアした。

ここに至るまで、多くの人から私は人種差別主義者だと言われた。情報がない中で、この女性を奥さんよりベビーシッターの可能性が高いとコメントしたからだ。私の憶測を裏付ける事実があると思っていたが、ほぼ確実に潜在的な偏見があった。

私がこの動画の女性はベビーシッターの可能性が高いとコメントした時、それを偏見だとは思っていなかった。それこそが偏見の作用だ。私の頭の中では、白人が白人でない人と結婚する率は非常に少ないということがめぐっていた。ピュー・リサーチ・センター(アメリカの世論調査機関)によると、2015年に新しく結婚した白人の中で人種を超えて結婚した人はたったの7%。これに対して、黒人は19%、アジア人は28%、アメリカ先住民は58%だった。この男性は北ヨーロッパ系に見えたので、この女性は奥さんではないだろうと考えるのは公平に思えた。

だからといって私に偏見がなかったわけではない。私自身が全く同じ思い込みをされたことがある側だったとしても。偏見の本質は、無意識のうちにみんなが持っているものなのだ。自身が偏見を受ける身である人でも偏見を持っている。その例としては、黒人の警官が黒人市民に対して示す人種的偏見がある。女性も含めた多くの人が、男性の表情に現れる痛みは感じとれるが、女性の表情からは痛みを感じとれない

私の子供たちがまだ小さかった頃、私は、大人からも子供からも日常的にベビーシッターと間違えられていた。6歳の子供の友達が我が家に初めて遊びに来て2時間が経った。この友達は、娘が私を「ママ」と呼ぶことに純粋に戸惑っていて、そのことを隠しもしなかった。友達は部屋を見渡し、他の女性がいないか探したが見つからず、困惑していた。私の娘がまたママと呼んだ。この友達が、私の容姿を観察し、私の立ち位置と権威を見直している様子がうかがえた。別の場合には、私が抱っこしているのは私の赤ちゃんだとはっきり言った時、ある女性は私がこの赤ちゃんの血のつながった母であるはずはない、この赤ちゃんは養子だ、と決めつけて、「どこで赤ちゃんをもらってきたの?」と私にたずねた。9・11が起こってからは、子供たちと私だけで旅行をするときは、子供たちを取り上げられるのではないかといつも怯えていた。

一番すごいエピソードといえば、ある母親が公園で私に雇用者の連絡先を出すよう求めてきたことだ。私の娘の中に木登り名人の娘がいる。この子がジャングルジムのかなり高いところに登っていった。女性は雇用主の名前と電話番号を強く求めてきた。そして大声で、「子供の安全」を守ることを怠っている私のことを雇用主に報告するから、と強調した。私は彼女に自分の名前と電話番号を渡し、私たちが家に帰るまではあなたの電話に出られないことを説明した。彼女は青ざめて、それ以上何も言わなかった。

だからといって、私が同じように偏見を持っていないという訳ではない。

このようなやりとりには害がないことが多いが、そうでない場合もある。私はこのような経験から多くを学んだ。嫌な思いもした。白人であること、母であること、女性から無神経で残酷な対応をされたこと、尊重されず、報酬の少ないベビーシッターについて考えさせられた。自分自身の中にある偏見、私から子供たちに伝えているかもしれないことをよく考えた。女性が他の女性に対して、ほとんど、または全く尊重していないことはよくある。女性の尊厳、人間性、個々の感情や生活を無視しているのだ。

「妻」と「ベビーシッター」の違いは、ステータスの違いだ。男性に対してのステータス、他の女性に対してのステータスだ。私の叔母が叔父と共にハイチからアメリカに来たとき、彼らは自分たちの3人の子供をハイチに残し、叔母は他人の3人の子供のベビーシッターになった。彼女は政治難民だったが、ベビーシッターをしている女性は、経済的な理由で子供たちと離れざるを得なかった人がほとんどだ。私の叔母は穏やかに話す人で、好奇心旺盛で、ユーモアがあり、優しかった。2カ国語を話し、博識で聡明な人だった。多くのベビーシッターがそうであるように、彼女も報酬に応じて態度を変えるようなことはせず、子供たちのことを気にかけ、深く愛し、彼らが大人になっても連絡を取っていた。ベビーシッターがみんなそうであるように、叔母も自分が気にかけている子供たちの母親とは複雑な関係にあった(ジェシカ・オーバック氏の2007年に出版された「And Nanny Makes Three(意味:ベビーシッターを入れて3人)――母親とベビーシッターが、仕事、愛、お金、お互いについて本音を語る」では、この話も含めた話題がうまく書かれている)

多くの人は、ベビーシッターとして自分の地位が低くなったことを叔母が気付いていると思っていた。彼女自身はそうは感じていなかった。自分の仕事にいつも誇りを感じていた。しかし彼女は、よく軽く見られたり、無知なことを聞かれたりといった経験をしていた。

この動画に対する人々の反応を見てみると、学校、公園、通り、家で同じようなやりとりが数多くあることがわかる。現状では、主に女性が毎日の子供の世話をしているし、共働きの家族が多く、子供の世話をしてくれる人を雇うか、親族に頼むかを考えなければいけない。この動画に対する視聴者の反応の背後には、人種、民族、ジェンダーに対する固定観念がある。そして、経済的、社会的な現実も反映している。大多数の人にとっては当たり前の生活なのに、なかなか表立って議論されない現実だ。

グローバル化に伴う最も大きな問題は、テクノロジーや製造分野にあると多くの人は思っているが、実際には、移民、植民地化、トランスジェンダーといった問題が、子育てと介護の分野で起きている。女性は母として、子育てをする者として、今差し迫っている人種、階級、ジェンダー、権限移譲といった問題に深く関わっている。ほとんどの男性は、私たちの国の政権にいるあの男たちはもちろんのこと、そんなことを考えもしないし、考えたとしても私たちのように深く日々考えることはないだろう。

アーリー・ホクシルド氏とバーバラ・エーレンリーチ氏は著書「Global Woman(グローバル・ウーマン):新経済のベビーシッター、メイド、セックスワーカー」の中で、家政婦業は、主に裕福な国や社会の中流と上流階級の白人たち(そうでない場合もあるが)が、成功を目指し、よく働き、リスクをいとわない貧しい国から来た女性たちと協力することだと書いている。アメリカの不法滞在者のうち、女性と子供は50%を占める。そのうちの75%はアメリカへの移住を望んでいる。60%近くの移民女性が家政婦業やベビーシッター業に関わっている。アメリカの就労ビザが与えられる女性は27%に過ぎない。世界中のどこでも、こうした女性が仕事を見つけたとしても、最低な条件での仕事にとどまっている。

現政権が行っている最悪な国境パトロール、男性上位、労働、移民、医療、経済政策、社会政策に伴って、女性は(母としても、ベビーシッターとしても)いろんな意味で傷つくことになるだろう。私たちの政府は、子育てと介護の仕事の需要がこの先10年で48%増えると予想されている事実をあえて無視し、その代わり、女性が家庭に留まり、そのコストを軽減することに頼ろうとしている。「子育ての砂漠介護の砂漠もそう遠くない)」と呼ばれる現象の影響として、給料がもらえる仕事を離れるアメリカの女性が増え続ける。そして家族を養い、子供たちに教育を与えることができるように、富への階段を上るのに必要な、最も身近で最初のステップを手に入れるチャンスをつかむ移民女性や貧しい女性が減る。この傾向は10年近く続いている(大事なことは、給料の出るベビーシッターの労働はGDPにカウントされるが、主婦や母の給料の出ない労働はカウントされないということだ)。

妻、ベビーシッター、家政婦。こうした問題の背後にある偏見は最も影響力がある。女性が家事や子育てを続けるという思い込みだ。給料がない場合も、わずかな給料がある場合も、極めて不公平な考え方だ。この思い込みは私たちの経済の基盤となっていて、共和党の社会・経済政策でもある。

動画の男性と女性の見かけが同じ人種だったら、彼らが夫婦なのかどうか。一瞬立ち止まって考える人はほとんどいなかっただろう。しかしこの他にもコメントはほとんどされなかったが、みんなが陥った重要な思い込みがある。彼女たちも大事なのだ。#NotTheNannyで議論されている民族や人種の偏見は、もっと大きな性の偏見のバブルの中に存在する。

まず、もしこの女性がテレビに出る専門家で、男性が後始末をした大人だったとしたら、こんな話は出なかっただろう。男性の人種に関係なく、この男性を夫ではなくベビーシッターだと思う人はほとんどいないだろう。次に、もし女性がやさしく笑顔で子供を引っ込めていたら、世界に広まった大騒ぎも半分くらいだっただろう。見出しも、「子供がBBCニュースのインタビュー中に侵入」とか、「BBCニュースのインタビュー中に子供が侵入。その時の教授の落ち着きぶり」くらいのもので、「コメディ」や「おもしろ動画」というカテゴリーには入らなかっただろう。そのかわり、「子育て」とか「働き方」のカテゴリーになり、タイトルは「生中継中にママが子供の顔を押し込める」とか、「働く女性がプロ意識の基準を下げる?」という感じだっただろう。

ロクセイン・ゲイ氏は、今週はじめに「心当たりのある人は、あのお母さんをベビーシッターだと決めつけた理由を時間をかけてよく考えるべきだ」とツイートしているが、私は付け加えたい。男であるという理由でメディアはこの父親を素晴らしいと取り上げているのはなぜなのか、時間をかけてよく考えて欲しい。

ここ数日、多くの人が世間に示したのはあからさまな人種差別ではなく、吟味をされないまま膨らんだ偏見だ。偏見は人種差別や性差別とは別物で、一つにまとめようにもまとまらない。タミー・ウィンフリー氏の本は、私が読んだ中で最高の本の一つだが、人は偏見を道徳の問題とするが、人間の欠陥とはしない傾向にあると区別している。その違いを理解したり、偏見を分析し対処し、それを習慣化させたりすることができないことから人種差別や性差別が生じる。

私は間違った方向に行ってしまった。それが何を意味したのか、とても考えさせられた。自分の間違いを後悔すると同時に、この偏見の問題が取り上げられ、頻繁に掘り下げて広く議論されていることを本当に嬉しく思う。

ハフィントンポストUS版より翻訳しました。

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