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「同性愛について違和感はあるけど、嫌いという訳ではない」という人こそ考えて欲しい"無意識のうちの嫌悪"

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Dictionary.comが選んだ今年の単語2016が「Xenophobia:ゼノフォビア、外国人(異なる文化への)嫌悪」だったというニュースが記憶に新しいです。

「〜フォビア」という言葉、日本語ではよく「嫌悪」と訳されますが、恐怖症だったり、憎み嫌うこと、強い不快感を持つことを表しているようです。

「ホモフォビア:同性愛嫌悪」や「トランスフォビア:トランスジェンダー嫌悪」は未だ世界中で確認されています。もちろん日本も例外ではありません。

「嫌悪」とは何なのでしょうか、少しでも減らしていくために私たち一人一人に出来ることは何なのでしょうか。

■ 国際反同性愛嫌悪・トランスジェンダー嫌悪の日


5月17日はIDAHOT(International Day Against Homophobia and Transphobia:国際反同性愛嫌悪・トランスジェンダー嫌悪の日)です。

1990年の5月17日に世界保健機関(WHO)が同性愛を精神疾患のリストから外したことを記念して、この日を「同性愛嫌悪やトランスジェンダー嫌悪に反対する国際デー」と位置付けました。現在も世界中で様々なアクションが行われています。

日本では「多様な性のYESの日」という名前で記念日として認定されているそうです。

■同性愛嫌悪による迫害や事件


実際に以前まで同性愛は精神疾患として扱われていたり、多くの国で同性愛は犯罪とされていました。

1933年からのナチス・ドイツ下では同性愛者は強制収容所に送られ、迫害されていました。(その時に付けられた識別胸章がピンク色の三角形だったため「ピンクトライアングル」と呼ばれ、現在では反対に、性的少数者の権利を象徴するシンボルとして使われています。)

世界を見渡すと、現在でも同性愛の迫害が行われている場所は多くあります。昨年の6月、アメリカ、フロリダ州オーランドにあるゲイクラブで銃撃事件がおき、約50人が死亡しました。

つい先日もロシア南部のチェチェンで100人以上の男性同性愛者らが拘束され、少なくとも3人が死亡したと報じられています。

■無意識のうちの嫌悪


こうして見ていると、同性愛嫌悪というのは主に宗教などによって対立が起きている諸外国での話であって、日本にはあまり関係ないと思う人がいるかもしれません。

確かに日本では先ほどあげたようなニュースを普段目にすることはあまりありません。

しかし、ゲイ・バイセクシュアルの男性5731人を対象にした調査では、自殺を考えたことがあると回答した人の割合が約60%だったり、2015年の8月に一橋大学法科大学院に通っていたゲイの大学院生が、自身のセクシュアリティを第三者に暴露される「アウティング」を理由に自殺してしまい、現在も遺族による裁判は継続中です。

このように、偏見による社会からの「嫌悪」によって、当事者が自らを死に追いやってしまったり、居場所を失ってしまう事例が日本でもまだまだ起きているのです。

ただ、「嫌悪」という言葉について考えたとき、もしかしたら「同性愛について違和感はあるけど、強い憎悪や不快感を持っているわけではない」「むしろ嫌悪は良くないことだ」と思っている人も多いのではないかと個人的には感じています。

この「違和感」について、ぜひ考えてみてほしいです。

■「気づく」ことができれば「変わる」こともできる


よく最寄の駅前の牛丼チェーンで弁当を買って帰ることがありますが、最近は外国人の従業員の方が以前より多くなってきていると感じています。

ある時、店員さんに日本語があまり通じず、なかなか注文したいメニューが伝わらなかったり、出てくるはずのものが出てこなかったり、弁当のセットのものが入っている袋をレジに置き忘れたりということが重なったことがありました。

しかし、店員さんは私が置き忘れていた袋には目もくれないような印象で、その時、私の中のどこかで「結局外国人は...」という感情が芽生えてしまっていたのです。

こんなことを偉そうに述べていること自体恥ずかしい気持ちになりますが、店員さんの対応が「いつも通りじゃなかった」ことと「外国人(だと勝手に判断している)」ことはもちろん全く関係ありません。

そもそも、その従業員の方はまだ働き始めて数日なのかもしれませんし、そもそも、もしこの店員さんが日本人(だと勝手に判断している)だったら良かったのかと聞かれると全くそんなことはありません。

結局自分の中にも、誰かをカテゴリー化して差別してしまう感情があったことに気づいてしまいました。

しかし、同時に「気づく」ことができるということは「変わる」こともできるんだということを実感しました。

■いつでもアップデートし続ける姿勢


誰でも、無知や偏見に基づく、自分自身も気づいていないような無意識的な嫌悪はあるのではないかと思います。

5月15日の西日本新聞には「女装して自転車で疾走する中年男が出没」というニュースが報じられました。現在は記事が削除されていますが、内容には「14日午後5時ごろ、福島県糸島市神在で、女装した男が出没しているのが確認された。(中略)エプロンのような服を着て女装し、銀色か白色の自転車に乗っているという。」と書かれていました。

何もしていないのに、"中年の男性"が"女性の服装"を着て"自転車に乗る"ことは「不審者」になるというのは、これは明らかな「嫌悪」です。しかし、それを容認してしまっている社会による無意識のうちの「嫌悪」は見落とされがちだと私は思います。

「LGBTの権利を保障するなら『LGBTが嫌いだ、気持ち悪い』と言う権利も保証しろ」という声をよく耳にします。

個人間の付き合いの中では性格が合わない人もいると思います。好きな人もいれば嫌いな人もいる。しかし、何かのカテゴリーや属性で「嫌い」と言うことはヘイトスピーチです。それは思考の停止、分断につながります。思考を止めることは楽です。ただ、それと同時に誰かを切り捨てることにつながってしまう可能性もあります。

自分のたった一つの言葉や行動で、無意識のうちにどこかで誰かを傷つけている可能性がある。それは誰にとっても同じだし、私たちは常にそれと付き合っていかなければいけません。

しかし、そう思えるスタンスがあれば、きっと「気づいた」ときに「変わる」ことができる。そのためには、知識やいろんな価値観の人たちとの出会いも必要になってくると思います。

属性で人を判断しないよう、自分の中にある、何かに対する無意識のうちの嫌悪と向き合い続け、常にアップデートしていく姿勢を「良い」と思う人がひとりでも増えていくと良いなと思いますし、私も続けていきたいです。