違いに対して味方=ALLYでありたいと思う姿勢が、多様性を力に変える

味方という意味での"ally"が今、求められています。

allyという言葉があります。意味は「同盟する」「類族させる」、名詞では「味方」という意味もあります。Allianceという言葉の方が聞き覚えがあるかもしれません。

味方という意味での"ally"が今、求められています。

予断を許さないLGBTに関するトランプ大統領令

アメリカでは、トランプ大統領が署名した大統領令のうち、難民の受け入れを制限するものやいくつかの国からの入国を制限するものが議論になっています。

そして昨日、LGBTに関してもある動きがありました。

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ドナルド・トランプ大統領が、職場、社会福祉、ビジネス、養子縁組など様々な領域においてLGBTQを差別することを認める大統領令を準備していることをLGBTQ Nationやワシントン・ポストのコラムニストのJosh Roginが明らかにした。

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しかし、今朝のニュースでは、トランプ大統領はオバマ前大統領が職場での差別から性的少数者を守るとする大統領令を維持するという報道がされました。

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米ホワイトハウスは1月31日、声明を出し、トランプ大統領は性的少数者(LGBT)を含む全ての米国民の権利を守ると表明した。

イスラム圏7カ国からの市民入国禁止が発表された後、トランプ氏は性的少数者に差別的な政策を導入するのではないかと人権団体などが懸念を示していた。

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ホッとする間もなく、次は連邦最高裁判所の判事に保守派のニール・ゴーサッチ氏を指名するという発表がありました。

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ゴーサッチ氏は49歳。ハーバード大学を卒業し、連邦控訴裁判所の判事をつとめ、避妊具を使用した産児制限に消極的な司法判断を示したことで知られます。

ゴーサッチ氏が議会で承認されれば、連邦最高裁の構成は、保守派が5人、リベラル派が4人となり、性的マイノリティーの権利の拡大など社会を2分する問題で保守派の意見が通りやすくなると見られます。

アメリカ連邦最高裁判所で同性婚禁止は違憲、つまり全州で同性婚が認められる判決がでたのが2015年の6月。この時の最終投票は賛成5、反対4でギリギリの結果でした。

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今回トランプ大統領が保守派の判事を指名したことによって、同性婚が再び禁止とされる可能性がなくはありません。発言は時によって異なるため、予断を許さない状況です。

性的少数者を守る大統領令の維持のニュースには正直安堵しました。しかし、それと同時に何とも言えない気まずさのような感情も抱きました。

もしかしたらそれは、LGBTさえ守られればそれで良いのかという思いからなのかもしれません。

今、allyが求められていると思う理由は、不寛容が広がりはじめている世界で、LGBTに限らず、違いに対して味方でありたいと思う人がもっと可視化されていく必要があると思うからです。

すれ違いの連鎖を断ち切るために

LGBTの文脈で語られるALLY(アライ)という存在は、Straight Ally(ストレートアライ)を指しています。

LGBTではない人、ストレートと呼ぶ時もありますが、シスジェンダーヘテロセクシュアル(心と体の性が一致していて、異性愛)の人でLGBTを理解したい、支援したいと思う人のことを指す言葉です。

例えば何か制度や社会規範を変えるとき、特にマイノリティが権利を獲得する際は当事者だけで社会を変えることは難しい。

公民権運動に参加した白人や、女性の権利のために活動する男性など、味方となってくれる非当事者の存在が重要になってきます。

日本におけるLGBTの人口は7.6%=13人に1人と言われています。13人に1人だけが声を上げるのではなく、13人のうち12人を味方につけることで社会は変わっていくのです。

こう書くと、何だかALLYという存在が仰々しく感じてしまうかもしれませんが、日本におけるALLYは、もっとハードルの低いものではないかとも思います。

現状としてあるのは、LGBTは「きっとカミングアウトしても受け入れられない」と思い込み、自分のコミュニティに居づらさや疎外感を感じてしまう。

それに対してLGBTではない人は、LGBTについて知らないし出会ったこともないと思い込み、悪気なく無意識にLGBTを傷つける言葉を使ってしまっていたりする。そういうお互いのすれ違いが連鎖的に続いていると思います。

そして、この連鎖を断ち切ることができるのがALLYという存在だと私は考えています。LGBTのことを知っていて、理解したいと思っていることを表明するALLYが可視化されることで、この相互のすれ違いが解消されていきます。

どうしたらALLYになることができるのかと考えた時、私は「知る」「変わる」「表明する」というたった3つのステップを実行できれば、その人はALLYなのではないかと思っています。

まずはLGBTや性の多様性について知り、その気づきから、差別的な言葉を使わないようにしたりして意識を変え、ALLYであることを表明する。たった3つのステップです。

表明する際は例えばSNSのプロフィールにさりげなくAllyと入れてみたり、性の多様性を表す6色のレインボーを身につけたりすることもALLYであることの表明になると思います。

あらゆる違いに対して味方でありたいと思った時、誰もが誰かのALLYになれる

トランプ大統領の就任式翌日、アメリカ・ワシントンD・Cでは女性の権利を訴え、トランプ大統領に反対するデモ「ウィメンズ・マーチ」が開催されました。私はそれに参加した男性たちの声を集めた記事を読みました。

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私たちの周りには、大勢の素晴らしい女性がいます。彼女たちなしでは、今の自分たちはなかった。彼女たち全てのために、今日はデモに加わります。

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これを呼んで、ふと「この人たちもALLYなんだ」と感じました。

ALLYとはLGBTではない人で、LGBTを理解したい、支援したいと思う人のことを指す言葉でした。

しかし、果たしてALLYが指す意味はそれだけなのでしょうか?

私はALLYという存在は、もっと広いものではないかと考えています。

例えば私はゲイですが、レズビアンやトランスジェンダー、他のセクシュアリティの人の気持ちを全て理解できるかというとそうではありません。それでも困っている時には味方でありたいと思っています。

つまり、LGBTもALLYになれるのではないかと考えているのです。

同じように、障害を持っていたり、生まれた地域が異なったり、話す言語が違ったり、理解することは難しいかもしれないけれど、味方でありたいと思うことも、きっとそれはALLYなのではないかと考えるようになりました。

他にも、子育て中の方や、シングルマザー、電車で泣いている赤ちゃん、高齢者、若者、貧困、難民など、それぞれの立場に対して味方でありたいと思う人はきっと多いのではないかと思います。

突き詰めれば同じ人間なんて1人もいないからこそ、その人の特性や属性にかかわらず、あらゆる違いに対して味方でありたいと思った時、誰もが誰かのALLYになれるのではないでしょうか。

自分自身が誰かにとってのALLYでありたいと思った時、ふと見渡してみると、自分に味方してくれている存在、自分にとってのALLYが実は周りにたくさんいることに気づけるはずです。

違いに対して味方=ALLYでありたいと思う姿勢が多様性をチカラに変える

世界が不寛容に向かって進みはじめているように見える最中、日本はやっと多様性を受け入れようという方向に向かおうとしています。

ただ、ダイバーシティという言葉がただのマジックワードになってしまっている部分もある気がしています。

多様性を受容するということは、自分と異なるものが目の前にあったとき、それを良しとする姿勢を自らとることだと思います。その時、もしかしたらこれまで自分が抱いていた規範との何かしらの齟齬が生じるかもしれません。

それと折り合いをつけるために、何かしらの我慢や忍耐が伴う場合もあります。自分の心の持ちように変化が必要になってくるかもしれません。

英語でToleranceという言葉があります。この言葉は「寛容」と同時に「我慢」という意味も持っています。寛容という言葉は、それだけ我慢や忍耐を必要とするものなのかもしれません。

それでも、違いに対して味方でありたいと思うこと、ALLYでありたいと思う姿勢が本質的に多様性をチカラに変えていくと私は信じています。