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小学校教諭「誰だオカマは」と差別発言、これは氷山の一角にすぎない

2017年06月21日 16時45分 JST

埼玉県の小学校で、5年生の授業中に男性教諭が「誰だオカマは」など差別的な発言をしたというニュースがありました。

クラスに在籍している「男女両方の性に違和感を持っている」ことをオープンにしている児童が帰宅後保護者に相談。保護者が学校に抗議した所、教諭から謝罪があったそうです。

この教諭に対して憤る気持ちはもちろんありますが、殊更に個別ケースとしてのこの教諭を責め立てることが、必ずしもこの問題の本質的な解決ではありません。

2015年には文部科学省から全国の教育委員会に性的マイノリティに関する通知を出しているにもかかわらず、こうした問題がなぜ起きてしまっているのか。

氷山の一角にすぎないこの件をもう少し大きな視点から捉え、今後どうすれば同じような問題を未然に防ぐことができるのかを考えたい。

この記事では、

  1. 今回の件のどこが問題だったのかについて振り返り、
  2. 現状の制度における課題を整理し、
  3. 同じような問題が起きないために今後どうすれば良いか

を順番に考えていきます。

それではまず、今回の件のどこが問題だったのか、から振り返ってみましょう。

■先生が率先して「セクシュアリティを揶揄する」ことを示してしまっている

小学校5年生の社会科を担当していた男性教諭は「教科書の音読中、男子児童の一人が(女性のように)声色を変えてふざけたので、注意しようと不用意に『ここにオカマがいるのか。誰だオカマは』と発言してしまった」と話しているそうです。

発言をした教諭は、クラスに男女両方の性に違和感をもっているという児童がいたことを把握していました。

どういったシチュエーションでその発言があったのかはわかりませんが、クラスに当事者がいることを認識していたにもかかわらず、「女性のように声色を変えていること」=「オカマ」と揶揄したり、「不用意に発言」という所からも偏見があったことは明らかです。

そしてそれが誰かを傷つける可能性があるという想像力はなかったのではないか。「多様な性について知らなかった」では済まされないですが、教職員にとってもまだまだ適切に知る機会が多くないことも事実です。

また、知ったとしてもそのことが本当の意味で身につくかというと、まだそこまでは至らないのが現状かもしれません。

いずれにせよ、性的指向(どの性別の人を好きになるか/ならないか)、性自認(自分の性別をどう認識しているか)が何であっても、それを理由に揶揄したり差別的な発言をすることは、教室にいるかもしれない性的マイノリティの児童生徒や、まだ自分のセクシュアリティに悩んでいる人、これから向き合うかもしれない人、当事者の友人がいる人など、教室にいる"誰か"を傷つけてしまうことがあります。

当事者がそこにいるかいないか、見えているかいないかにかかわらず、本来児童生徒を守る立場であるはずの教員が、率先して「セクシュアリティを揶揄する」ことを他の児童にも示してしまっているという点も、教育として非常に問題があると考えます。

■現状の制度における課題を4つのポイントから整理してみる

次に、現状の制度における課題を整理してみましょう。

抑えておきたいポイントは以下の4つ

  • 文部科学省の通知の限界
  • 学習指導要領にLGBTは含まれていない
  • 全ての教職員に対して研修は実施されていない
  • 日本にはLGBTを保護/承認する法律がない

今回の件で唯一良かったと思う点は、教諭の差別発言に対して児童とその保護者が正式に抗議できたことです。ここには社会の変化を感じました。

しかし、たまたま明るみになった今回の件は、実は氷山の一角にすぎません。

学校で先生にカミングアウトをしたことがある人は1割程度という調査もあり、当事者は見えにくい状態です。差別的な発言があっても抗議できる可能性は低いでしょう。

現状の課題①「文部科学省の通知の限界」

冒頭に少し触れましたが、2015年の4月には文部科学省から全国の教育委員会に対して「性的マイノリティへの配慮や相談体制を整える」必要があるというような内容が含まれた通知を出しています。

さらに翌年には教職員向けのパンフレットも作成しています。

これによって確実に、学校で多様な性に関する理解を深めようとする機運は高まりつつあります。しかし、やはり現状としてこの通知は全ての学校に周知徹底されているわけではありません。

例え法律があったとしても全ての現場が適切な対応を取れているわけではないように思います。増して「通知」だけで現場にきちんと知れ渡るものなのかは少々疑問です。

内容的にも、どういう発言が差別にあたるのか等細かく書いてあるわけではないため、現場の教員にもなかなか浸透しにくい状況です。

現状の課題②「学習指導要領にLGBTは含まれていない」

小学校や中学校の保健の教科書には「思春期になると自然と異性に関心が高まる」という内容が記載されおり、性的マイノリティの存在が想定されていません。

今年2月の学習指導要領の改訂の際に、多様な性について学習指導要領に取り入れてほしいという声が多数あがりましたが、文科省は「LGBTを指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」と判断し、結局内容は変わりませんでした。

そのため、教員養成課程においても、多様な性について学ぶ機会は未だ必修ではありません。人によっては何も学ばず現場にでてしまい、今回のような差別発言を「不用意に」言ってしまうかもしれない状況なのです。

現状の課題③「全ての教職員に対して研修は実施されていない」

各学校ごとではありますが、教職員が多様な性について学ぶ機会は全国的に増えてきています。

しかし、実施している/していない学校、さらに研修をしていても、個々人の教員の受け止めなど、理解状況はバラバラで、環境の整っていない学校に通っている児童生徒にとっては、自分らしく生きることは非常に厳しい状態です。

やはり全ての地域で一定水準の研修を実施すべきだと思います。

現状の課題④「日本にはLGBTを保護/承認する法律がない」

日本には性的指向や性自認を理由とした差別を禁止するような法律がありません。

文科省からの通知が出ていても教員全てに行き渡っているわけではない中で、今回のような発言をなくしていくためには、少なくとも学校現場において「こういう言動はダメ」ということが明確に示される必要があると思います。

さらに③で述べたのように、残念ながら多様な性に関する研修を行うかどうかは学校の主体性に任されてしまっており、現状全国の学校で研修を実施することはできていません。

法律ができることによって広く研修を実施することの後押しになると思います。

■差別的な言動にNOと言える法律も、丁寧に理解を広げることも両方必要

同じような問題を起こさないために今後どうすれば良いのか。

課題を整理して見えてくるのは「差別的な言動に対しNOと言える法律」も、「丁寧にコミュニケーションを重ねて理解を広げること」も両方必要だということです。

もちろん法律だけあればこの問題が解決されるわけではない。

けれども、今回大きな問題なのは、既に文科省が施策を打っているにも関わらず、教員という公的で、子どもたちに与える影響の大きい立場にいる人が、「目の前に当事者がいたにもかかわらず(本来は当事者の有無にかかわらずですが)不用意に差別的発言が出てしまった」ということであり、これが氷山の一角だと思われる点です。

そして、当たり前ですがこれは学校現場だけのことではありません。

まだまだ差別的な発言にNOという理解の浸透が、表層的なものとなっているように思います。

職場や行政、医療、民間サービスなど、社会全体で法律として「差別的な言動にNO」と示しつつ、ひとりひとりに理解を広げるための「丁寧なコミュニケーション」の両輪で回していくことが必要ではないでしょうか。

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最後に余談ですが、今回の報道の中で「男女両方の性に違和感を持っている」児童のことを「LGBTの児童」と呼んでいたところに違和感を感じました。

LGBTという言葉は性的マイノリティを表す総称の一つとしても使われていますが、個人を表す時など、場合によってはその存在を抽象化しすぎて「LGBTという人」がいるかのような表現になってしまいます。

本来はその人のセクシュアリティをそのまま書く方が適切だと思いますが、ただ、「LGBTの児童」という記載となってしまう背景には、「LGBT」と「SOGI」の関係など、概念を適切に把握しきれていないことが垣間見られます。

ここでも、社会全体に向けた表層的でない理解の浸透が課題となっているように思います。