一流のビジネスパーソンが、禅に解を求める理由 - 坐禅は多忙な日々を区切る、句読点となる -

京セラの創業者でありJALの再建を担った稲盛和夫氏、打撃の神様として崇拝された故・川上哲治氏・・・そしてAppleの創業者であり、伝説となった故・スティーブ・ジョブズ。一見、共通点のなさそうな彼らを繋ぐもの、それは「禅」。

かの偉人たちは、何を求めて禅に傾倒したのだろうか。

京セラの創業者でありJALの再建を担った稲盛和夫氏、打撃の神様として崇拝された故・川上哲治氏・・・そしてAppleの創業者であり、伝説となった故・スティーブ・ジョブズ。一見、共通点のなさそうな彼らを繋ぐもの、それは「禅」。

前編では、禅とは何かという事を大澤山 龍雲寺の住職である細川晋輔氏にうかがった。この後編では、偉人たちが何を求めて禅に傾倒したのか、そして禅の持つ魅力や影響について、より深く迫っている。

アクティビティを提唱するSTANDS!としては、毛色の違った企画ですが、きっと大切なことに気づけるハズ。

「今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいか?」

- なぜ、ジョブズや稲盛さんのような、いわゆる歴史に名を残したような方々は、坐禅を日常的に取り入れていたのでしょうか?

細川 私見ですが、自分の確立、自主性の確立を求めたのかなと思います。ジョブズの名言で、「今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいか?」という言葉がありますよね?

今日1日しか人生がないと思うと、やりたいことが数えきれないくらいあると思いますし、ダラダラと過ごすこともせず、やりたいことを一生懸命やると思うんです。

食事だって同じです。「これが最後の晩餐」って思った瞬間は、相当味わって食べると思います。その時に見ている景色にしても、焼き付けるように見ると思います。今、撮影していただいていますけど、残り一枚しかメモリがないという感覚だと、すごく集中して撮ると思うんです。

- たしかに、「これがラスト」という意識になると、人の行動は大きく変わるような気がします。

細川 あと、「Stay Hungry,Stay Foolish」というのも、ジョブズの言葉にあったと思うのですが、これも「釈迦、達磨(だるま)も今なお修行中」という禅宗の考えから来ているのかなと思います。

お釈迦様や達磨さんのような素晴らしい人が悟りの境地までいっても、油断していると、元の木阿弥になってしまうという考えです。常に上を目指していくことが大切で、常に修行しよう、常に終着点はないという考えが、禅の世界では大切にされています。

無になることで、いわゆる"ゾーン"に入りやすくなる。

- 多くのビジネスパーソンが禅に救いを求めようとしていると思いますが、それはやはり前述の偉人の影響が大きいのでしょうか?

細川 それも大きいと思いますが、やはり今は、"自分を見失いやすい時代"だからではないでしょうか?利益や成長、効率を懸命に追い求めて頑張ってきた人たちが、それが手に入った時に、「これではない」、ということに気付いたと聞きます。

利益と効率・・・その対極にあると言っても過言ではない坐禅。ただ座って、静かに自分と向き合うというわけですが、多忙な人や成長、効率を追い求めてきた人に限って、静かに自分に向き合ってみると、無の大切さに気づけたといいますね。

あと、無になることで、いわゆる"ゾーン"に入りやすくなるというのはありますね。

- ゾーン、ですか?

細川 はい。ここでいうゾーンというのは、集中できる状態、いわゆるフルスロットルで物事に取り組める状態です。坐禅を通して、無になる方法を体得することで、すぐに集中する状態に入りやすくなれます。

- 無になることで集中しやすい状態になれる。もっと具体的にはどのように行うのでしょうか?

細川 坐禅をする時に大切なのが、呼吸を整え、数えることなんです。呼吸を数えることだけに集中して、アタマの中を100%、その事だけで埋めてあげるわけです。

この方法を覚えると、仕事の時も目の前の仕事に100%の意識を注げるようになれるのです。一つの事でアタマの中が埋まるということは、ゼロになることと同意です。

よく坐禅の時に、目を閉じようとされる方がいらっしゃいますが、目を開けたまま行うのが基本です。視界を遮ってしまうと、余計な音などが気になってしまいますからね。

- 目を閉じないとは、初耳です。あと、坐禅と言えば警策(肩を叩くこと)が特徴的だと思いますが、あれは何のために行うのでしょうか?

細川 「罰」のような印象を持っている方が多いと思いますが、あれはあくまで励まし、言ってみれば気分転換の一環です。そして、私どもが気付いた時に打つのではなく、最近は自己申告制で皆様に警策を打っています。

特徴的なことなのでクローズアップされがちですが、私はいらないと思っています。海外の方とかはほとんどやりません。「なぜ叩かれなければいけないのか!?」と言っていますし(笑)。逆に日本人は95%以上の方が申告されます。でも実際は「きっかけ」ですので、は私は爪楊枝でつつくぐらいでいいと思いますね。

坐禅で毎日に、「、」と「。」を打つ。それだけで、シンプルに生きることができる。

- それでは最後に、あらためて、禅の魅力、そして坐禅の意義について読者の皆様にお伝えいただければと。

細川 私は、人の一生は小説のようなものだと思っています。一文、一文、自分の一生という小説を書き上げていくようなイメージです。その時、文と文とを繋ぎ区切る、「、」と「。」の存在は欠かせません。その句読点となる役割を果たすのが、坐禅だと私は考えています。

- やはり、一文が長くなりがちな、いわゆる忙しい方ほど、句読点を打つために坐禅を組みにくるのでしょうか?

細川 そうですね。実際、暇を持て余している方より、本当に忙しい人の割合が多いです。やっぱり、忙しい方ほどなかなか日々を振り返る時間がないのではないでしょうか。

書いてしまった文章、つまり過ぎ去ってしまった一日は取り返しがつきません。ではどうするのか?次の一文に集中すればいいだけなのです。そして、文章と文章の区切りとなるのが句読点ですから、忙しい人ほど、日々に小さな区切りをつけてリセットしたいのかと思います。

- 坐禅は、人生を豊かにするためのひとつの手段と言えますね。

細川 ありがとうございます(笑)。ただ、坐禅ばかりしていれば幸せかというと違います。友達と話したり、色々な人と交流する方が幸せですし、それでこそ豊かな人生だと思います。あくまで坐禅は、日々に句読点を打ち、ニュートラルにするためのものですから。

過去の成功にも失敗にもとらわれず、一日、そして一週間に「、」と「。」を打てれば、新鮮な気持ちであらたなスタートが切れると思います。

「一時停止」の標識と同じです。一度止まって左右を見る。後ろを振り返ってもいいけど、進む時は後ろを見てはいけない。そんな役割を禅、そして坐禅が担えればいいなと考えております。

- すごく贅沢なお話をいただけたと思っています。本当に有難うございました。

(おわり)

細川 晋輔 Shinsuke Hosokawa

臨済宗「龍雲寺」住職。都内で働くビジネスパーソン向けに展開している、『渋谷の朝学』で朝坐禅を企画・実行するなど、禅の魅力を幅広い世代に伝え、その普及と定着に務めている。

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