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広汎性発達障害、自閉症と診断された我が子。予想外の育児を乗り越えられたのは「特製育児書」のおかげ。

2016年03月26日 00時16分 JST | 更新 2017年03月02日 19時12分 JST

自分で築いた家族との「はじめての暮らし」。

結婚、妊娠、出産。どれもこれも、はじめてだらけ。

そんな暮らしの中で発覚した、子どもの障がい。

人生の体験談を投稿するサイト『STORYS.JP』に、自閉症のわが子とのストーリーが投稿されました。

障がいを持つ子ども、その障がいに気が付いたのは、子どもが2歳の時。

育児書とは違う"規格外の子育て"を経て実感した、生きるということ。

■初めまして、赤ちゃん。

30時間耐久陣痛は大変だったけど、やっと会えたね。

でも、君はよく泣くし、全然寝てくれない。寝たと思ったらすぐに起きて、オムツもきれい、お腹も空いて無さそうなのに、なぜか泣いた。覚えているのは泣き顔だけで、私をお母さんとしてチラリとも見ない。

「お母さんが神経質だと、赤ちゃんも泣いちゃうから」と言うけれど、初めての子育てだったお母さんにはわからなかったね。

■愛する我が子に慣れない日々

離乳食も受け付けなければ、靴下は履きたがらず、なぜかお座りも1歳半なのにできず。やっと歩いたと思ったら、親のことなぞ眼中になく一目散に自動販売機へ突撃していた、マイベイビー。

クルクルまわるものが大好きで、三輪車はまたがるのではなく、ひっくり返してタイヤを回して遊ぶもの。自動販売機はボタンを押して遊ぶもの。なぜか数字や色だけは覚えてくれるけど、いつの間にか消えちゃうという不思議な成長。

目と目を合わせて、さあ、笑顔を。なんてできないし、絵本はページをただめくって聞いちゃくれないし。ひたすらうろうろしまくって、ブロックは積むのではなく、かじりつくものだし。あなた本当にもうすぐ2歳??

そんなときだよね、弟が生まれたのは。

■「罰ゲーム」のような妊娠生活

2歳になっても挨拶をしない。バイバイって何?しゃべりもしない。たまにしゃべったかと思っても、発音が悪い。よだれはダラダラ。今思えば口周りの筋肉が発達していなかったのだろう。全体的に筋力が弱かったがゆえに、歩くことができず、お座りができたのは2歳過ぎてから。

お腹の弟の生育が順調かつ、私も妊娠の経過が良好だったため良かったのだが。

実家が遠い私には、「常に全力疾走で家でも外でも走り回る長男」との妊娠生活は、根性養成期間でありました。

しかも、親のほうはちらりとも見もせず、いきなり落ちている枯れ葉を拾っているのだから。

お母さん、葉っぱに負けた感ありあり。

予定日を10日以上超過しても生まれてこない弟くん。妊婦期間をボーナスサービスされたように思えれば良かったのでしょう。育児に食事管理に、家事にとストイックな妊娠生活を送る私には「罰ゲームですか」と思えたのでした。

■もしかしたら○○かもしれないよ

下の息子が生まれて2か月間、実家で暮らしていた時も、息子は絶好調。

散らかしたものを片づけないのは、まあ2歳だから許せるにしても、片づけたものを元通りに散らかさないと気が済まない。

2歳のお誕生日に買ってもらったレゴブロック。朝起きてはひっくり返して散らかしておく。私の母が片づけるけれど、すぐにひっくり返してまた散らかす。

結局、ブロックを踏むと危ないからということで、散らかすだけで遊びもしないレゴブロックは早々に押入れ行きになった。ブロックがまっとうに扱われるのに、それから2年かかり、弟が使っていた。

箸を見つければ目の前で高速ワイパーのごとく振り回す。さらに、走り回りながら口に入れ、大声をあげながら広い実家を縦横無尽。

朝から晩まで私にはりつき、赤ん坊が泣くと一発はたく。

私から離れれば「箸地獄」。側にいると新生児に「平手制裁」。

2歳児に怒っても仕方ないー仕方ないーと思っても、どうしても怒鳴ってしまう。

赤ちゃん返りにしては不可解な行動のオプション付き。それでも何が悪いのかとネットで検索したり、育児書を読み漁っていたので、「幼児の発達」には詳しくなった気はする。

里帰りが終わり、私たちは一戸建てに引っ越した。慣れない土地で外は大雪。意味不明な2歳児。手のかからない乳児。

里帰りから3か月後。長男2歳7か月。母親が電話越しで「もしかしたら自閉症かも知れないよ」と私に話した。

先天性の脳の機能障害?これって治るの?

■育児の仕切り直し・・・障がいと友達になること

敵(障害の特性)を知らねばなるまい・・・。

当時私は2歳と0歳の男の子のお母さん(もう31歳)だったのだが。

2歳になって初めて、長男が障害を持っていることを知ったので、改めて育児仕切り直しである。

市役所、児童相談所、通所施設、病院。

自閉症って引きこもりじゃないし、うつ病などの精神疾患でもない。

こんなに明るい引きこもりは居ない。2歳でうつ病もいない。

自閉症=敵ではなく、友達にならねばなるまい。

受け入れなきゃとわかっていても、もう、頭はぐるぐるで超パニック。

0歳児背負って、2歳児追いかけて、一人でワンボックスをブイブイ乗り回し。昼間は躁状態。夜は鬱状態。

自分はヤバイのではないかと思いながら、早期発見早期療育の言葉通りにがんばることが今自分ができる親としての務めなのではないかと思っていたのだった。

児童相談所で、正式に「広汎性発達障害」と診断がつき、発達指数は38と、ほぼ重度の判定。

お子さん障害?そんなことないってー!の嵐の中、相談員や指導員と相談しながら、個別支援計画と呼ばれる「うちの子特別育児計画」を作ってもらうことになったのだった。規格外な育児から、特性に基づいた特製育児書の出来上がりである。

■あれから10年、誰かに支えられながら、みんな生きている。

2歳だった息子は12歳。私は41歳。

2歳から3歳までは、療育施設に約1年、単独通園したのだが、年少になってからは普通の幼稚園に通わせた。

他の子たちは、息子を障害者と思わず「こういう人もいる」と捉えていたみたい。だから、小学校は地域の小学校を選ばずに、特別支援校を選んだ時は「なんで???」とハテナマークがたくさんついたそうで。

特別支援学校小学部に入学してからは、親も子も伸び伸びすることができたと思う。

それにしても思ったのが、入学するときに結構反対をうけたこと。それも、先輩お母さんたちに。

息子を見ないで、頭ごなしに「そういうところに入れるものではない」と本当に言われ。

いやいやいや、お宅のお子さんも30年前、同じ学校に入学したじゃないですか、と思ったのだが、時代と言うのもあるのだろう。

障害児者の親の中でも、進学先については意見が分かれるんだなー・・・と頭では理解しつつも、初対面の方に言われたり、知り合って早いもので3年のお母さんに言われると、結構反対派、多い??と思ったりもしたもので。

同じ学年で入学した親御さんたちと、メールでぶつぶつ言い合っていたのも懐かしい思い出。

自閉症の確定診断がついたのは、4歳のこと。お母さんになって4年目にわかった、この子の成長のタイプ。

思っていたのとは違う育児の道を歩いてきたけれど、支援者がいるからこそやっていけた。一人では理解できないこともたくさんあった。でも、頼れる専門家が道を示してくれた。

子どもを正しく知って、誰かに手伝ってもらいながら、次のステップへ。それは、どんな子だって同じかも。誰かに支えられながら、みんな生きている。

■育児書、ハウツーにこだわらない育児

世の中にあふれる育児のハウツー情報。

しかし、そのハウツーがすべて当てはまる子どもって、そんなに多くはないのではないでしょうか。

でも、きっとみんな、誰かの支えがあるから生きている。

子どもを正しく知って、その子だけの特製育児書を作り上げていく子育て。

家族、親族、友達、専門家。あなたの支えも、誰かが必要としてるかもしれません。

(ストーリー紹介=STORYS.JP編集部・阿部仁美)

■関連リンク

人生のストーリーが集まるサイト『STORYS.JP』

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