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【異業種の経験は強み】獣医を辞め営業でトップセールスになり、再び獣医に復職して分かったこと

2016年04月09日 22時22分 JST | 更新 2017年04月08日 18時12分 JST

思っていたものと現実は全く異なるものだった。

誰しも、そういった経験をお持ちなのではないでしょうか。

もしくは、これから経験していくのではないでしょうか。

自分なりに考えて決めた将来、小さいころからの夢、それに向けて尽くした努力。

でも、いざそこに立つと、見える景色も感じるものも、すべてが予想外だった。

そんなとき、あなたはどんな行動に出ますか?

気づかぬふりをするのか、

一度違うところに立ってみるのか。

人生のストーリーを投稿するサイト『STORYS.JP』に、獣医を辞め営業職に就き、そして再び獣医として活躍している女性のストーリーがあります。全くの異業種を経験することで、彼女はどんな学びを得たのでしょうか。

■4年浪人し獣医学科に入った。夢だった獣医師の仕事は、想像以上に厳しかった。

6年間、授業料免除をかけて必死に勉強し、電話帳のような国家試験の問題集を解きまくり、獣医師国家試験に合格し「獣医師免許」を取得した。

いよいよ動物病院に就職し、一人前の獣医師に向かってまっしぐらのはずだった。

残念ながら待っていたのは、挫折の日々。

毎日、院長や先輩の獣医師、看護師に怒られる。

大学ではトップを走っていたつもりだった。

でも、動物病院という現場に出たら本当に頭でっかちの役立たずだった。

理屈を本で知っているだけだった。

大学では、この病気はこんな症状で、こんな検査をして、こんな風に治療すると学んだ。

ところが現場では、「食欲がなくて、吐いていて、ぐったり」という感じでやってくる。

よくある症状の話をしながら紐解いていき、どの病気かという結論を導き出し治療を決定する。

学んだこととは正反対の方向から攻めないといけない。

インプットはあるが、アウトプットができない状況だった。

毎日、怒鳴られ、呆れられ、夜中に帰り早朝出勤する。

いつの間にか、私の目の前を仕事 がスルーしていくようになった。

つまり、信用されなくなってしまったのだ。

そんなに私はできない人だったっけ?そんなことなかったのに。。。

大学の教育レベルが低いのではない。

自分ができると思い上がっていたレベルと、動物病院という現場で働く実践力重視の人たちとの間では大いなる差があった。

完全に自信喪失してしまった。

■ストレスで退職、再就職の足かせ

そんな毎日の繰り返しで、最終的に心が疲れてしまって朝起きることができなくなってしまった。

起きても、おなかが痛くてトイレにこもっていた。完全にストレス性のものだった。

遅刻になった事情を電話で話し今から行きますと言った。

「別に、来なくても差し障りないから来なくていいよ。」

いらないんだ、私の存在など。そう思った。

決定打は臨床研究室ではなく基礎研究室の同期入社の獣医師と比較されたことだった。

「研究室、内科だったよね。基礎系の△△さんよりだめだよね。少しは見習ったら?」

基礎系とは内科や外科以外の研究室のことで病気の治療とはほぼ関係のない研究をするところをいう。

ちっぽけなプライドが崩れ、気持ちが完全に引きこもってしまった。

やる気あるの?ねえ?どうなの?

ほんと、給料泥棒だよね。やる気無いんなら辞めても良いんだけど。

そんな言葉をずっと聴きながら、

「4年も浪人して獣医になったけどつらいな。」と思う気持ちが心の中を占拠していった。

雑巾を持ち床を這って掃除しながら、やめようと思った。

最後に病院を出ると時にドアに鍵をかけて、郵便受けから病院の中に鍵を投げ込んだ。情けない辞め方だった。

獣医を辞め、少々の貯金を崩しながら食べ繋いでいた。

底をついてしまうのは分かりきっていることだった。

仕事を探そうと思い、ハローワークに通った。

面接にこぎつけても採用には至らず、勇気を持って不採用の理由を聞いたことがあった。

「だって、獣医でしょ。何のためにここへ面接に来るの?場違いだし、ここへ来る理由が分からない。」

その通りだった。

獣医師という肩書は「研究所」「動物病院」「製薬会社」「公務員」なら何の違和感もないが、いったん、そんな仕事から離れると行き先がなかった。

獣医であることにそれなりのプライドを持っていた。それだけの努力もした。

それなのに《獣医師》という肩書きが、獣医らしい職場を失った私の就職を阻むものになるとは想像もしていなかった。

■結婚・出産を経て、母親として獣医師に復職

結婚・出産を経て、子供の笑い声を聞きながらの生活も悪くない、などと思いはじめていた。

罵声のない日々、命の重さをゆだねられない日々。

そんな矢先、偶然獣医系雑誌で同級生が翻訳した論文を見た。

想像以上に心がズキッと音を立てた。

そんなタイミングは重なるもので「元気?」と大学の同級生からの電話。

「〇〇さん、開業したんだって。すごいね!獣医と結婚して2人でやってくらしいよ。」

途中からまったく聞こえていなかった。

4年浪人してでもやりたかった獣医師の夢を、簡単に手放してしまった自分に震えが出るほど腹が立った。

皆きつい思いをして勤務していることも聞いていたし、私にとってスーパースターだった先輩たちだって、みんな就職先の院長から叱られまくりで、それでも頑張っていた。

獣医に戻りたい。そう思った。

電話帳を頼りに動物病院に電話をかけ、面接をしてくれるところを探した。

子供のいる女性獣医師が就職できる動病院は本当に少なかった。

そんな中でも、面接をしてくれる病院が見つかった。

院長先生から、やはり子供のことを言われた。

その職場だけでなく、子供を理由に休まない事が、その当時女性が働く場所を得ることの必須条件だった。

子供の病気では休まないことを約束し、4月からの採用が決まった。

子供を保育園に預けた私は、再び獣医師という肩書きを持ち、現場に戻った。

■子育てをする女性のキャリア、幼稚園の先生に言われた「謝るな」の言葉

私の獣医のキャリアは途切れ途切れだ。

その理由は、子育て。

そのことを恨んだり、子供がいなかったらよかったのにと思ったことは一度もない。

私自身仕事をしている両親の背中を見て育った。

謝る姿、熱があるのに仕事をしている姿、ご飯抜きで仕事をしている姿、休みでもお客さんが来たら喜んで引き受ける姿、様々な姿を見てきた。だから、私もそうありたかった。

仕事をしている私というものを子供たちに見てもらいたかった。

必死に命と向き合い、助けられない事を思いっきり悲しみ、助かったことや良くなっていく事を狂喜乱舞する姿を見てもらいたかった。

「ママーッ」と泣き叫ぶ子供を保育園に預け、泣き声を聞きながら子供に背中を向けるのはかなりの勇気が必要だった。私はとてもひどいことをしているんじゃないか、顕微鏡を覗きながらふと子供のことを思い出すと視界が曇った。

保育園のお迎え時間に間に合わなかったことがあった。

閉園時間を過ぎ、先生にも子供にも申し訳なくて急いで行きたいのに、そんな時に限って渋滞。

やっと保育園に到着し、先生に感謝と謝罪をし、

「遅くなってごめんね。」と、子供に言ったその瞬間、園長先生の雷が落ちた。

「謝ったらいけません。頑張ってきたよと言ってください。何も、悪いことをしているのではない。間違ったことをしているのでも

ない。謝られることで子供は後ろめたさを覚えます。だから、お母さんは仕事で遅くなった時にごめんねといってはいけません。お

仕事、頑張ってきたよと代わりに言ってあげてください」

きっぱりとした一言だった。それから、仕事で遅くなっても「ごめんね」は言わなくなった。

■逃げてしまう自分。出直すために営業職に

子供の親になってから何度か職場がかわった。

その中で、私の考えを根底から覆した職場がある。

そこはまるで毎日が戦場だった。

こんなに激烈で、命のために戦う動物病院があるのかと思った。

その動物病院では私はまるで何もわからない役立たずだった。

手を出す隙がまったくなかった。どこにも手を出せなかったのだ。

新米の獣医師がやるくらいの仕事は、看護師たちがスピーディーに正確にやってのけた。

私はといえば、言われたことを「はい」と言ってやる。それだけ。

その当時の私とその病院のスタッフは、「レベル」も「心構え」も「根性」も何もかもが桁外れに違った。

罵声は私には飛んでこない。その代わり、だんだん、声を掛けられなくなっていった。

またもや負け犬になった私は、マネージャーに退職について相談した。

仕事で苦手なことは何か、と聞かれ「営業だ」と答えた。

「それなら、営業やってみたら?獣医に戻るための苦手の克服として。じゃあ、がんばって!」

あっけない幕切れだった。引き止める人が誰もいない退職だった。

いつも、逃げてしまう私。弱い私。言い訳がましい私。全部嫌いだった。

本当に頑張ったのかといわれれば、そうではなかった。

完璧な実力の違いを同じ獣医師に見せ付けられて、比べられることが辛かった。

肩書きだけはあるけど、できなければ、意味がない。

本物の獣医になりたいと、治療できなかった・助けることができなかったと壁を殴って本気で悔しいと泣く、そんな熱い獣医になりたいと思った。気持ちが逃げている私に、なれるわけがなかった。

「性根入れて、出直そう。」

アドバイス通り、営業の仕事につくことにした。

■契約ゼロからトップセールスに

営業職の求人を探した。想像以上に多かった。

せめて馴染みのあるものをと思ったら、生協の営業が見つかった。

面接に行き、晴れて営業の仕事につくことになった。

・テレホンアポイントメント(テレアポ)

・ルートセールス(約束があるところへ営業に行く)

・飛び込み営業(その字の通り)

当然どれもやったことがなかった。

最初は事務所内で同僚や上司相手に練習した。

商品説明、電話営業のやり方、訪問してから帰るまでの流れ。

そして、電話帳のリストをもらい電話を掛け始めた。

「もしもし、私○〇生協の××と申します。お忙しいところ大変申し訳ありません。」

「いそがしいから」

ガチャン!

これの繰り返しだった。電話を何時間も掛けると耳が痛くなった。

約束が取れなくて電話を掛けただけの日もあった。1日に200件以上かける。

こんな毎日が続くと、気持ちがグダグダしてくる。

時々、話だけならいいですよという人がいる。

訪問の日時を決めて、実際に伺う。商品サンプルを説明し、利用方法を話す。

「試してからね」「高いね」「スーパーのほうが安いよね」

加入したいんですけど、とお客様から連絡が入った場合は当然のように契約に結びついた。

でも、それ以外は全然、まったく契約が取れなかった。

営業なので当然ノルマがある。

個々人の数字は言われないが、全体の達成目標はちゃんとある。

この期間にこれだけの契約数。

ほかの方の営業力はすばらしいもので、ぐんぐん目標に近づいていた。

しかしながら、私の成績はゼロのままだった。

またもや、居場所がなかった。

営業に行って帰り、「どうだった?」と聞かれるのが本当に辛かった。

ある日、営業成績トップの人と一緒に仕事をする機会があった。

ずっと、お客様との会話を聞いていた。

まさかの、雑談からだった。

雑談をしているうちに、そのお客様が何が好きで、何に困っていて、どうしたいのかを掴んでしまっていた。

本当に相手のハートをガッチリ掴んでしまっていた。

そして話の内容が、信じられないくらいシンプル。びっくりするくらいシンプルでわかりやすい。

「これだ!」

私の話は「小難しく」「説教がましく」「屁理屈が多い」

だから、お客様がよくわからなくて、面倒くさくなっていたのだ。

次の日、本当に軽い感じで営業に行った。雑談から入って、世間話して。

「試しにやってみて無理と思ったらやめたらいいし、意外によかったら続ければいいですし、そんな難しく構えなくてもいいですよ。ケーキを作ったりされるなら、この生クリーム使ってみてください。スーパーのものより100円高いけど、使っていただいたら絶対にわかります。本当においしいんですよ。」

「じゃあ、試しにやってみようかな。」と、簡単に契約が取れてしまった。

今までもっと詳しく、ああでもない・こうでもないと沢山喋っていたのに、

結局、お客様の心には何ひとつ届いてなかった。

その日は契約が全部取れてしまった。天変地異だった。

事務所に帰って契約書を出したら、大騒ぎだった。

いっぱい褒められて本当に嬉しかった。

それからは、水を得た魚のようだった。

・気楽に試したい人

・アレルギーがひどくて困っている人

・無農薬、無添加のものを探している人

・安全なものを子供に食べさせたい人

相手の求めるものに応じて、自分の喋りを完?