BLOG

生まれてすぐ大病にかかった娘が教えてくれた「幸せ」 

2014年04月02日 20時01分 JST | 更新 2014年05月29日 18時12分 JST

「元気な赤ちゃんですよ」

その言葉には、どれだけの喜びと命への感謝があるのだろうか。

生まれたばかりの娘が患った細菌性髄膜炎という病気。三人に一人が亡くなり、生き延びても脳に障害が残る可能性も高い。それが、一週間の産後入院を経て、これからの新しい家族との生活に胸が躍る一家に突き付けられた現実だった。

細菌性髄膜炎になった娘に気付かされたこと

主治医は命は大丈夫とは言ってくれなかった。

高熱、痙攣、呼吸の衰え。

脳と脊髄を取り巻く膜に細菌が入ったために起こっているらしい。

ドラマのように泣き崩れることはない。

ただ茫然と現実が呑み込めないだけ。

調べてみると、死亡する確率は約30パーセント。

この数字が高いのか低いのか分からなかった。

まだ娘が生まれたという実感すらない僕が、娘の死を想像する。

完全に僕のキャパを超えていた。

<別病室の女性と子供>

仕事が終わると病院に行く生活に戻った。

遅いと10時を超えている日もあった。

ほとんどの病室は電気が消えている。そんな中、ドアが開いている病室の中に女性と子供が見えた。

女性は子供に声をかけながら、足を拭いていた。

子どもの様子はおかしい。

うまく言い表せないが、体が硬直して子供とは思えない低い雄たけびをあげている。

時間にしたら5秒ほどだったと思う。しかし、衝撃的過ぎて目に焼き付いた。

障害が残る可能性。未来へ落とされた影

<一週間後>

" 「命は大丈夫です」

  「ただ脳にダメージがあるのか、障害が残ったのかは成長してみないと分かりません」 "

主治医の言葉に未来への不安が広がる。

偶然見かけた別の病室の女性と子どもの姿が、自分たち夫婦と娘の未来に重なった。

" この娘は普通の子と同じ人生は送れないかもしれない "

一つの覚悟と娘が教えてくれたこと

時が経つにつれ、障害が残るかもしれないと言うことに覚悟が出来た。

「この娘は生きているのだ」

障害は幸せの障害になるのだろうか?

娘が生きてくれたという幸せの前に、障害があるかなんて小さな問題に思えた。

例え

「耳が聞こえなくても」

「足が動かなくても」

「意思疎通がうまくいかなくても」

娘も家族も幸せなら。

あの時別の病室で偶然見かけた母親と子供。僕は未来の娘の姿と重ね合わせ、不安になっていた。

それは、

「不自由」、「不幸」、「かわいそう」等という感情があったからだ。

けれど、今思い返すと暗い病室で子供の足を拭く母親は幸せに満ちた顔をしていたのではないかと思う。

きっと同じ立場でも僕は笑って、幸せな顔をして足を拭いている。

人の幸せを妨げるものとは?

皆さんは障害に対してどのような印象があるだろう。

教育では、差別はいけません、困っている人がいたら助けてあげましょう。と言い、目が見えない人や車いすに乗った人が挙げられる。

確かに体が不自由であり、必要なら手を貸すべきであろう。またそのような状況をなくす努力も必要だ。

けれど

「かわいそう」「不幸」などの感情は正しいのだろうか?

このような感情を持っていた自分が、一方向の感情しか理解できない不自由で不幸な考えを持っていたのだとしたら。

生まれてすぐ大病を患った娘は、彼に大切なことを気付かせてくれた。

障害。不自由。不幸。「かわいそう」という感情。

人の幸せを妨げるものとは?

生まれてすぐ大病にかかった娘が教えてくれた幸せの意味。

細菌性髄膜炎になった娘に気付かされたこと

STORYS.JP

URL: http://storys.jp