BLOG

自分のことも、子供のことも忘れてしまった。100万人に1人といわれる難病「全生活史健忘」になった妻と僕の5日間。

2016年04月30日 14時07分 JST | 更新 2017年04月28日 18時12分 JST

人生のストーリーを投稿するサイト『STORYS.JP』には、

病気や事故で人生が変わった、命や絆の物語が多く投稿されています。

無くしそうになって、やっと分かる大切さ。

どこか自分とは無関係だと思ってしまいがちな人生の岐路。

もしも自分の大切な人が、自分のことを忘れてしまったら?

治るかも分からない、早くても1年は時間がかかるという100万人に1人の病気になってしまったら?

なにもかもを忘れてしまった妻との5日間のストーリーを紹介します。

■自分の名前も分からない、100万人に1人に難病になった妻

「全生活史健忘(解離性症候群)」これが妻に告げられた病名である。

発症以前の出生以来すべての自分に関する記憶が思い出せない(逆向性・全健忘)状態。

自分の名前さえもわからず、「ここはどこ?私は誰?」という一般的に記憶喪失と呼ばれる状態である。「記憶喪失」と同視されている。障害されるのは主に自分に関する記憶であり、社会的なエピソードは覚えていることもある。

多くは心因性。まれに、頭部外傷をきっかけとして発症することがある。発症後、記憶は次第に戻ってくることが多い。治療としては、催眠療法で想起を促すことなどが行われる。日本で発症例は70数件。1億の人口がいる日本で、まだ解決事例も数件しかない。

突然、旦那である僕が誰なのかもわからない。

そして、自分の名前もわからない。

もちろん、自分の親の名前、自分の生まれた場所、

あげくには、毎日のように可愛がっていた自分の子供の名前もわからない。

妻がこの症状になった時、僕は「もしかしたら僕に相手してほしいだけで、わざとしているのかも。」と思った。

しかしその予想はすぐに消し去られる。

2人の間には、生後半年になる子供がいた。

半年間、昼夜関係なく毎日だっこをして、母乳も与え、

初めての子供なので、本当に良く面倒を見て可愛がってくれていた。

夫の僕でもそう思うぐらいのそんな妻が、

なんともぎこちない抱き方をしていたのである。

今にも子供を落してしまうんじゃないかと思ってしまうくらい。

そして、いつもは子供の名前で呼んでいたのが、

「赤ちゃん」と呼んでいたのである。

そして、母乳の与え方もわからず、スマホで調べる始末。

これは夢じゃないのか??

というよりも夢であってくれ。

でも何度目を瞑って開けても同じ光景、何度も考えても同じ結果、これが現実なんだ。本当に現実なんだ。

僕はこれからどうすればいいのだろう?

その日は深夜ということもあり、考えても解決策が見当たらず、明日になれば治ってるかな、と現実逃避をしたような感じで就寝した。

■裸足で家を飛び出し、自分のことも、旦那である僕のことも、そして、子供のことも忘れてしまった

原因は、過度のストレスによるもの。

ストレスを溜めこみ過ぎて、身に危険を及ぼす状態にまでなると本能的に記憶をなくして、身を守るための行動をするらしい。

僕は、自分でビジネスをやっていることもあって、もちろん夜は帰るのが遅いし、休日も家にいないことが多い。

外で外食もするし、仕事上女性と食事に行くこともある。

そんな中、妻は毎日が子育て。

家の家事もしないといけないし、子供は泣くし寝ない。

そんなことも知らずに、僕は家に帰れば自分のしたいように過ごす。

それが本人の中ではものすごくストレスになっていたのだと思う。

元々、あまり上手に発散するタイプではないので、

それがどんどん溜まっていっていたのだと思う。

そしてある日、僕が先に寝ていると何か気配を感じ目が覚めた。

妻が僕の横で座りながら泣いている。そして、突然裸足のまま家を飛び出した。

後になって分かったが、

元々、妻が妊娠している最中に僕が女性と観光に行っていることが、

妻の中では相当ストレスだったようである。

僕はそんな深刻には考えていなかった。

特にやましい気持ちも一切なかったし、その女性は妻とも友達なので、

そんなことでというくらい軽い気持ちだった。

子育て、家事、そしてこの件、

いろいろと重なるものがあって、パニックのようになり家を飛び出していったのである。

以前より、大ケンカで何度か家出のようなことはあり(2,3日実家に帰ったり)、

今回も、「家を出る!」といって飛び出していった。

裸足で飛び出していったのと、家に半年の子供がいるので

僕はすぐに帰ってくるだろうと思っていたのだが、

一時間経っても帰ってこず、マンションの外に出て、近くの交番まで行ってみると、

予想的中。妻がいる。

前も一度、喧嘩したときに家を飛び出して交番に行っていたので、

またかと思いながら、「すみません」と言いながら妻の手を引き帰ろうとする。と、

妻の様子がいつもと違うと気づく。

僕の方をじーっと見ているのである。

「ん?どした?」と聞いても返事はない。

すると警察の方から、

「交番の前で倒れていて、通りすがりの人が交番につれて気てくれました。自分の名前がわからないみたいです。」と衝撃の事実を聞く。

そんなことありえない。冗談だろ。

と思いながら、僕の名前を尋ねてみるが首をかしげる。

どうやら本当に冗談じゃないと、僕も分かってきた。

とりあえず身分証明書を提示したりして、妻を連れてマンションへ帰ることができたが、

妻は「どこに連れて行かれるのだろう?」という顔。

家に戻っても、1時間前まで居た家を「見覚えがない。」と。

「僕と君は結婚していて」と伝えると、

「子供はいるんですか?」と妻が言う。

あれだけ毎日可愛がっていた子供も忘れている。

僕は事態が完全に飲み込めていなかった。本当にあの夜は夢のような感じがした。

■治るのには、早くて1年かかる。

次の日起きて僕は祈るようにして妻に聞いた。

「何か思い出した?」

「すみません。」妻は首を振る。

そして僕に敬語で話す。インターネットで症状について調べまくった。

どんな病気でどうすれば治るのか。

3日で治るというものもあれば、1年はかかるというものある。

そして、「一生治らない」というのもあった。

たまたま僕は社会福祉の経営をしていて、

僕は知識がなかったが、職員が知識を持った方ばかりであった。

その方の知り合いにあたってもらった。

幸運なことに、心理学を専門としているお医者さんが知り合いにいた。

そして衝撃の事実を宣告された。

「治るのは、早くても1年。それ以上かかることも。そしてストレスの原因になったところから離してあげて下さい。できれば住む場所も変えてもらって、発症となった場所から離れた方がいい」と。

僕は頭が真っ白になった。

子供の抱き方もわからない。

母乳の与え方もわからない。

おむつの換え方もわからない。

洗濯機の使い方もわからない。

自分の親兄弟もわからない。

僕の親兄弟もわからない。

家のどこに何があるのかもわからない。

僕が全部妻から教えてもらったはずなのに、

それを妻に全部教えている。不思議な感じだった。

それと同時に、ほとんど僕は妻の介護の状態であった。

僕はたまたま自分でビジネスをしていたので、スタッフに事情を話して頭を下げて、1週間お休みを貰ったので、

この1週間で何とか記憶がよみがえってほしい!そう願っていたのだが、なんと1年もかかる。

そして、この介護のような状況が1年続く。

僕はこの1,2日間で疲労困憊になっていたのが、

これから1年も続くと思うと、自分がおかしくなってしまうんじゃないかととてもとても不安になった。

それでも僕は、自分に都合の良い「3日で治った」というネットの情報だけを信じ込み、

この1週間で治ると信じきって、妻に接しようと心に決めた。

というよりも、自分の精神状態を保つには、そう思うしか無かった。

本当に現実を受け入れると気がおかしくなって自分が自分じゃなくなってしまう感じがした。

そしてこの数日間は、本当に生きた心地がしなかった。

こんな風にしてしまった妻に申し訳ない。子供にも。

何とか記憶がよみがえって欲しい。

これからの人生をどうしていこう。

妻を家に置いて、仕事場にいけるのか。

自分は人間として本当に最低。

一緒に生活していけるのかな。

いろんな感情が湧いて出てきた。

とりあえず、妻をストレスから解放させるため、いろんな場所に行った。

2人で初めて行ったデートの場所に行ったり、

ここでこういう話をして、ここでこんな約束をした。

このお店のこれが君は好きで、君はこういうのが得意だった。

家の周りをお散歩して、ここは知ってる?ここは覚えてる?

など、二人が何をしていてどうやって今にたどり着いたのかを妻に教えていった。

そして、2人のLINEなども見返したり、

お互い手紙もよく書いていたので、それも全部振り返った。

LINEなんて、2年以上も振り返っていた。

妻は全く僕の事を覚えていない。

僕のことが好きなのかどうかもわからない。

それでも、今まで喧嘩したりしたけど、

2人が好きでこうやって一緒にいること。

有難いことに子供もいること。

を話し、一緒に生活をしていると

2,3日後には、妻の対応は変わっていった。

最初は他人に接するような感じで、よそよそしかったのが

だんだんと「僕のことを信用してくれている」そう感じるようになった。

話し方、行動、しぐさ、声のトーンからそんな感じがした。

嬉しかった。

そして何より、

神様がもう1度初心に戻らせるために、

わざと起こした出来事なのかなとプラスに思えるようになった。

この時から、「もう無理に記憶は戻らなくてもいいかな。」そう思えるようになっていた。

今までの思い出は僕の中にしまっておいて、

これから新しい妻と一緒に思い出を作っていけばいい。

それからは以前よりも気持ちが寸分楽になった。

そして、妻も、記憶が戻ることが怖いと言っていた。

なにか別の自分に戻るんじゃないかと。

今の記憶がまた無くなってしまうんじゃないかと。

何よりもう一度あのころの二人の気持ちに戻れたことがなくなっちゃうんじゃないかと。

それでも翌日朝起きると、どこか期待して聞いてしまう。

「何か思い出した?」

そして妻はいつも首を横に振る。

まぁいっかとは思いつつも、どこか諦めきれていない自分がいた。

LINEを読ませたりして、記憶を呼び戻そうとさせている自分がいた。

■「ごめんね」と「ありがとう」を繰り返した

記憶を無くして5日ほど経った日、妻が過呼吸になった。

記憶を無くしてからも、LINEを読んだり、写真を見返したり過去の記憶を戻そうとしているときに、

ストレスとなった原因に触れたりすると過呼吸になっていた。

過呼吸になりながら、パニックとなり暴れだす。

必死に「大丈夫。大丈夫。」と言ってなだめるが、暴れまわって何度も殴られた。

が、それでも僕は落ち着かせてなだめる。

今回は、記憶を無くしてから3回目くらいの過呼吸だったと思う。

同じようにして、10分ほどかけてなだめる。

そして意識を失ったかのように寝る。呼吸はある。

その時ポロっと小さい声で

「ずっと一緒にいたい。」と言ってくれた。

いつも過呼吸になると、

「もう嫌!どこか行って!」などネガティブな言葉ばかりだったのが、

今回はプラスの言葉が出た。なにか変ったかな?と思った。

トイレから戻ってくると妻が起きていた。

「あ、起きた?」と声をかけると

ビクッとし「あれ帰ってたの?」という意味不明な

僕にとっては期待のする言葉を言ってくれる。

「おー、思い出した?!」って聞くと「?」という顔をする。

「俺の名前は?」と聞くと、いつもの呼び方をしてくれる。

本当に嬉しかった。あの時は人生で1番くらいうれしかったかもしれない。

親の名前もわかる、生まれた場所もわかる、

生年月日も、そして、子供の名前もいつもの呼び方をしてくれる。

僕は何度も妻に「ごめん。」と「ありがとう。」を繰り返していた。

1年かかると言われていた症状を、5日で治すことができた。

これは僕がこの5日間、妻にしてきたことに対して、妻自身が「今のこの人なら大丈夫だろう。」と思って戻ってきてくれたのだと思う。記憶がなくなるくらいストレスを抱えさせ、全く気の回らない旦那を許してくれたのである。

今でも頭が上がらない想いである。

それから、僕は毎日19時までには帰るようになったし、

土日は、妻と子供との時間を過ごすようにしている。

洗濯ものを回したり干したり畳んだり、掃除機もかける。

料理は出来ないので任せっぱなしだが、皿洗いはする。

今までの自分なら、「それは妻の仕事」という意識だったが、

そんな考えも無くなり、今の妻がいてくれるのであれば全然できる。

当たり前の幸せに気づけるようになった。

そんな5日間であった。

あの時の気持は忘れてはいけない。

いつもケンカしたり、けなしあったり無視したりするけれども、