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『夏の広島』69年前の、いつもの場所。

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歴史にはストーリーがある。年号やその年の出来事の中に、当時を生きた人々の想い、感情が秘められている。もっと言えば、私たち1人1人のストーリー、1人1人の他愛もない日常の積算こそが、いつの日か歴史と呼ばれるようになる。歴史とは、本当はそのようなもののはずだ。

今年の夏で終戦から69年を迎えた。

先月7月1日に閣議決定された「集団的自衛権の行使容認」。 
マスメディアやネット上では始終物議が醸され、首相官邸前ではデモ活動、新宿駅では反対を訴える者の焼身自殺(未遂)も起こった。「戦争」のワードを巡って、日本全体が動き、世界各国のメディアもそれを取り上げた。世界を代表する先進国であり、唯一の被爆国でもある日本。戦争という私たちの歴史。

そこには、私たちと同じように毎日を生きる人々のストーリーがあった。

今日は、69年前の夏の日「広島県産業奨励館」という場所で働いていた1人の母と、小学生だったその娘のストーリーを紹介したい。綴ってくれたのは、69年後の今大人になった、その少女の子供だ。

ーーーー本文転載(冒頭一部省略)ーーーー

おばあちゃんは『広島県産業奨励館』で働いていた。日本で初めてバームクーヘンを作った場所だ。

おばあちゃんはドイツ人とのハーフで、広島市にいたドイツ人たちとも会話ができた。
それで私のお母さんを育てながら、ずっと『広島県産業奨励館』で働いていた。

1945年の8月6日も、おばあちゃんは出勤していた。
コンクリートつくりの大きな建物は、蒼い空の下できらきらしていたって。
その日はとてもよく晴れていた。

ずこーん!という音を聞いたのは、お母さん。

お母さんは、ドイツ人の血が入っているからと、学校の友達にいじめられていた。
それで、朝早くから、学校の校庭の隅にある、防空壕に一人泣いてしゃがんでいた。
空襲警報も発動されていなかったから、まさか爆撃があるとお母さんは思っていない。

でも、爆撃よりひどい音がする。

校庭を見ると、遊んでボールを持ったままの体操服姿の子供たちが、
そのまんまの格好で黒くなって、うつぶせに倒れていた。

校庭の向こうから、駆け寄ってきた先生たちが、校庭の裏手に広がった火にまかれていく。
校庭の隅で飼っていた馬のしっぽに火がついた。
自分をいじめていた子供たちも、自分をなぐさめてくれた先生たちも、幼馴染も好きだった人も、火にまかれていく。

おかあさんは自分ではもうどうすることもできなくて、
おばあちゃんのいる『広島県産業奨励館』に走った。
おばあちゃんに抱きしめてもらったら、全部夢だと思えるはずだ。

でも、おばあちゃんの働いている『広島県産業奨励館』の付近は、学校よりずっとひどい。
川には黒焦げの顔のつぶれたぐちゃぐちゃな丸太がいっぱい。
道にも、屋根の上にも、ぐちゃぐちゃな丸太がいっぱい。

丸太が全部人間だと気づいたとき、お母さんは顔を覆った。
うずくまったら、自警団のお兄さんがお母さんを見つけて、抱きしめて走り出した。

『君、お母さんは?』
『あっち、あっちです。広島県産業奨励館にいるんです。お母さん、あっちで働いているんです』

お兄さんは、一瞬、真っ黒な雲に覆われた、真っ赤な街を見た。それからお母さんの肩を、抱いた。

『よし、わかった。君のおかあさんは、僕が見つけてこよう。だから君は病院に行っておいで。いいね、もう振り向いちゃいけないよ。頑張って走って、赤十字の病院に行くんだ』

お兄さんは、そう言ったきり、真っ赤に燃える街に走って行った。
お母さんは、そのお兄さんの後を追おうと思ったけれど、体も、足も火傷でひりひりしていた。
それに、おばあちゃんのことは、お兄さんが見つけてくれると思った。
鼻をおさえて病院に駆け込んで、それきり、意識を失ってしまった。

防空壕のなかにいたのに、お母さんの体にはいっぱい傷があった。
でも、防空壕にいなかったお母さんの同級生たちは、みんな、死んでしまった。
卒業写真は、お母さんと、顔にやけどを負った 女の子の 二人きりで撮った。

あの親切なお兄さんとも、その後一度も会えなかったって。
どこの方だったか聞けばよかったわね、とお母さんは言った。
でも、きっともう......生きていないんだわとお母さんは言う。

ぼくが代わりに探してくると言わなければ、女の子は爆心地から逃げないと思って、
あのお兄さんは走ったのね、とお母さんは言う。
私が生きて、お前が生きているのは、あのお兄さんが居たからよ、とお母さんは言った。

それで、おばあちゃんは......
まだ、見つかっていない。

おばあちゃんのいた『広島県産業奨励館』は、コンクリートだったから骨子は残った。
それで1992年に、世界遺産に登録された。

登録の名前は『原爆ドーム』だ。

あの日、『広島県産業奨励館』には30人の従業員が働いていた。
そのうちの29人が死亡。
その29人のうちの一人が、わたしのおばあちゃんだ。

原爆投下地点すぐの場所だったから、おばあちゃんは、建物の中で爆発音を聞いて、
建物の中で火にまかれて、建物の中で大量の放射線をあびて、同僚と一緒に死んだのだろう。

お母さんは、おばあちゃんを探しに『広島県産業奨励館』に行ったけれど、

どこにも死体はなかった。

どこにも死体はなかった。

あんまりに爆弾が落ちた場所に近すぎて、おばあちゃんはたくさんの同僚と一緒に、
建物についた黒いしみになって、死んでしまったの、とお母さんがいう。

だからわたしたち一家は、おばあちゃんのお墓参りをするときには、『原爆ドーム』に行く。
それでお母さんは、ドームについた黒いしみを見て毎年、

『ああ、きっとあのしみが、お前のおばあちゃんよ』という。

ーーーーーーーー本文転載〆ーーーーーーーー

かつて、原爆ドームは、原爆ドームではなかった。

「あの子のために働く場所」
『大好きなお母さんが、働いてる場所』

ある親子にとっての、 "いつもの場所" だった。

原爆ドームになったおばあちゃん。

(ストーリー紹介=STORYS.JP編集部・清瀬 史)

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