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マグニチュード7.3の震源地から4kmの病院で当直していた夜の出来事

2016年04月19日 15時30分 JST | 更新 2017年04月19日 18時12分 JST

4月14日に熊本県を震源地とし発生した地震、平成28年度(2016年)熊本地震。

人生のストーリーを投稿するサイトSTORYS.JPに、震源地から4km離れた場所の病院で当直勤務をしていた医師の方から

地震発生時の状況などが書かれたストーリーが投稿されました。

■「おかしい、揺れている時間が長い。」

シャンプーのために髪を濡らした直後、ユニットバス全体が、グラッと揺れた。

地震?と思ったが、揺れがだんだん大きくなってきて初めておかしいと思った。

おかしい、揺れている時間が長い。床じゃない、全部が揺れてる。

外から何者かがユニットバスを掴んで揺さぶっているようで、

地面が揺れるのではなく、空間全部が激しく動いて、湯船の縁に必死にしがみついた。

少し揺れが軽くなったときに、(あ、ドア開けてないと閉じ込められちゃうんだっけ)と思い出し、ユニットバスのドアを片手で湯船にしがみつきながらもう片方の手を伸ばして開けたら、まず、ユニットバスのドアの前に棚が倒れこんでいた。

狭い当直室の中は、壁から絵が落ち、テレビが吹っ飛んで、棚もベッド側に倒れて、

棚の中身も部屋中に飛び出していて、小さなテーブルも倒れて、(あ、お風呂が一番安全だったんだ)と気づいた。

当直室ですらこんなめちゃくちゃなら、病棟は?患者さん、どうなってるの?

慌ててタオルで拭いて、研修医時代からのスクラブに着替え、

当直PHSと携帯電話をつかんで当直室のドアに手をかけた。

■余震が続く中での病棟確認

病床数180弱。この精神科病院に、今いる医師は私一人である。

もし当直室のドアが開かなくなっていたら?とヒヤッとしたが、幸いドアはスムーズに開いた。

しかし。ドアの向こうは、ロッカーが斜めに倒れこんで医局への廊下はバリケード状態だった。

・・・・・・なんじゃ、ありゃ。

とりあえず、病棟への階段は物が落ちていない。病棟は行けそう。

患者さんの怪我は? パニックになっている人は?

最初に重症患者さんがいる救急病棟に向かうと、患者さん達が不安そうに廊下をうろうろしていた。

停電し、非常口を示す緑の電灯だけが灯になっている。

不安そうに壁の柱を見上げている患者さんもいる。その柱の塗料はなぜか剥がれている。

「回診で〜す、けが人はいませんか? あ、窓からは離れてくださいね」と声をかけながら暗い廊下を歩いた。

準夜帯の看護師さんをみつけて話しかけると、この病棟でけが人はいないとのことだった。

よかった。ここの病棟は、ガラスが割れてない。

さすがに精神科病院の救急病棟だから、強いガラスにしているのかもしれない。

とはいうものの、患者さんの部屋や食堂はいいが、ナースステーションはめちゃくちゃだった。

最初の病棟の看護師さんから懐中電灯と予備の電池を受け取り、慢性期病棟へ移動した。

他の病棟でも、ガラスの怪我と、転倒による骨折が心配だ。

次に回った慢性期病棟では、ガラスが割れたお部屋はあるものの、患者さんは無事だった。

真っ暗な廊下の壁際に、おじいちゃんおばあちゃん達が点々と座っている。

「ガラスが割れたお部屋はありますが、患者さんに近づかないように伝えて、毛布を持って廊下で過ごすように伝えています」

と病棟の看護師さんがテキパキと返答した。

次の病棟に向かおうと、外のグラウンドを横切った時に、また揺れが来て、思わず大きな樹に寄り添う。

でも、まだ確認していない病棟がある。

全部の病棟で怪我人がいないことを確認し、とりあえず救急病棟に戻る。

慢性期病棟では、患者さんはみんな廊下に出て座っていたからいい。

でも救急病棟の患者さんは、病棟内をうろうろしていて逆にあぶないし、余震に備えて保護室の患者さんの安全を確保しないといけない。

とはいえ、保護室の患者さんは一番精神状態が悪いのだけど...

でもそんなことも言っていられない。

もし強い地震が来たとしたら、次は患者さんを全員、建物からグラウンドに出すことになる。

準夜のたった二人の救急病棟の看護師さんと相談し、グラウンドに近い広めの部屋に患者さんに毛布を持って過ごしてもらうことにし、

寝たきりの患者さん達は、せめてベッドを窓から離しておく。

ホールに集まった患者さんは、揺れるたびに不安そうな声をあげ、

保護室から出てきた患者さんは、ずっと私に話しかけてきた。

慢性期病棟のご高齢の方と違い、救急病棟の患者さんは全体的に若い。

落ち着かないので、うろうろとホールの中を歩いてしまう。

歩いてしまう患者さんを見守るために、看護師さんが病棟内を見回り、私はホールにとどまりホールで座っている患者さん達が不安にならないよう真ん中に座った。話しかけてくる患者さんと話し、揺れのたびに「大丈夫ですよ」と声をかけた。

「窓には近づかないでくださいね〜」とのんびりした声で言い続けた。

断続的に揺れはあるものの、最初の地震ほど長いものはない。

ラジオはずっと地震のことを話している。

子どもの患者さんが「ここは津波来ない?」と繰り返し尋ねてくる。

そのときに、ジャージ姿の院長先生がいらして、どれだけホッとしたか言葉にならない。

「こんな日に当直頼んでしまってごめんね」

私が救急病棟の患者さんと待機している間、院長先生は全部の病棟の破損状態を手早く確認して戻ってくると、

「◯病棟だけ、まだ停電していないけん、あの病棟に全部の患者さんを移そう。夜も冷えてくるし、暗いと余計患者さんを不安がらせるけん」とおっしゃって、患者さんの病棟の移動が始まった。

■移動、停電、襲い来る寒さ

各病棟から10人ずつ◯病棟に移動させ、到着後も病棟名簿をもとに全員が移動しているか確認した。

◯病棟に各病棟からリネン類をありったけ持ち込み、椅子も他の病棟から集めてきた。

「次に大きな地震が来たら、今度はみんなを外に移動させないといけないけん、

寝たきりや車椅子の患者さんを、2階や3階から降ろそう。停電だからエレベーターは使えない。男性スタッフは手を貸してくれ」と院長先生は呼びかけ、寝たきりの患者さんや車椅子の方を、男性スタッフが両脇から抱えるようにして1階に降ろした。

ひとりひとり、何人も降ろしながら、病棟全員が移動できたか、その病棟の看護師さんが名簿を見ながら点呼をとる。

この頃にはもうひとり、医師が病院に到着して、その先生が主治医をしている患者さん達がホッとした表情をみせたが、

私も同じくらいホッとした顔をしていたと思う。これで、病院内に医師が3人になった。

しかしその◯病棟も、その後の強い余震で、突然、ぶちっと停電になってしまった。

その停電と同時に、全部の病棟で水が出なくなった。

強い余震をやりすごして天井を見上げると、今の余震で、私たちがいる◯病棟も、換気口の金属の蓋がずれている。

他の階では、天井が落ちているところがある。

水道から水は出ないのに、何が破損したのかわからないが、水浸しになっている病棟もあるらしい。

次に強い揺れが来たら...この病棟も出ないといけない。

みんなを、取り残される人がひとりも出ないようにして、グラウンドに出さなければ...

あんなに昼は暑かったのに、どんどん冷えてきた。近くに川があるから、冷気があがってくるのかもしれない。

暖かったら今からでも外にみんなを出すのに。

寒い。いつもの当直の格好...長袖のヒートテックに、薄いスクラブを重ねたいつもの格好は、

いつでも全員を部屋から出せるようにホール2箇所の、外に通じるドアを全開にした部屋の、

とくに入り口は寒かった。

でも、おじいちゃんが「病棟に帰る」と入り口から外に出て行こうとする。

外に出たい、と言うおばあちゃんがいる。

待ってて、院長先生が、グラウンドの準備をするって言ってたから。

せめて、ブルーシートとかマットレスとか、みんなが過ごせるようになるまで、

地震が差し迫ってないなら、もうちょっと待ってて。

屈強な男性スタッフと私の二人で、患者さんを説得して押しとどめながら、

私もベッドパッドを羽織りながら、寒さで震えていた。

夜明けまではまだまだ時間があった。

(STORYS.JPより転載)

投稿されたストーリーはここで終わっており、その後の状況がどうなっているか定かではありません。

ひとつ確かなことは、まだまだ助けを求めている人が大勢いるということ。

避難所では支援物資の不足も問題になっています。

熊本地震では14日に発生した震度7の揺れから2日後の16日にも大きな揺れを観測しています。

16日の揺れが「本震」と定義づけられました。

いつまた大きな揺れが起きるか分からない、そんな不安な日々に加えて支援物資も不足となると、

体力的な疲れだけでなく、心理的なストレスもかなりのものになるでしょう。

正しい情報をきちんと受け取り、小さなことでも、私たち一人ひとりができる支援をしていくことが大切です。

(ストーリー紹介=STORYS.JP編集部・阿部仁美)

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