BLOG

いじめ、家庭崩壊、母の自殺未遂を乗り越え、人生の道を切り開くキッカケとなった出会い。

2016年04月26日 17時13分 JST | 更新 2017年04月26日 18時12分 JST

いじめ、家庭環境、経済的問題。

人生には様々な「逆境」や「困難」と呼ばれるものがあります。

人生のストーリーを投稿するサイト「STORYS.JP」には、

そういった逆境や困難を乗り越えてきたストーリーが数多く投稿されています。

家庭環境や経済的な問題から、将来を諦めてしまう。

何をしなくても、自分の進路は決まっている。

教えられるままに、選択されることを待つだけだった少年が、

あらゆる逆境を乗り越え、人生を切り開いていくストーリーを紹介します。

■勉強する意味なんて無いを思っていた中学時代

中2の2学期の期末テスト。

変な回答ばかりして、クラスのコンテンツと化していた僕の答案用紙。

何であの時、頑張れなかったんだろう。

何であの時、面白い回答を書こうと必死になってたんだろう。

変な話なんですけど、光が見えてなかったんですね。何も見えてなかった。

両親から「金がないから大学には絶対行かせられない。高校もいけないかもしれない」と言われ、

塾に行きたいと懇願した時も、聞く耳を持ってもらえなかった。

ああ、俺はそういう家庭なんだ。じゃあ勉強する意味なんてないじゃん。

小学生の頃の僕に、父親はよくこういう教えをしていた。

「大学出てても、うちのバイト先に来ている大学生は無断欠勤するんだ。

その後、母親が電話してくるんだよ。今日行けませんって。そんな大学生になりたくないだろ?」

この言葉ははっきりと今でも覚えていて、

大阪生野の交差点で、あの時に「ああ、僕はそんな大学生にはなりたくないなあ。」と思ったのも覚えている。

中3になり、進路選択という人生の分かれ道がやってきた。

季節は秋だったと思う。母親と担任と僕で話をした。

教室の真ん中に3つだけポツンと並べられた机に向かい合っていた。

先生から「偏差値45の高校も危ないよ」と言われ、胸が苦しくなったのを覚えている。

第6学区で下から2番目の高校さえも難しいと言われた。

友達は私立と併願なのに、僕の家は貧乏だという理由で公立専願だった。

落ちたらどうなるんだろう。どうにかなるだろう。不安と謎の楽観が入り交じっていた。

その頃の僕は心の何処か奥で、自分の人生はエスカレーターか川のようなものだと思っていた。

乗っているだけで何をしなくても、自分の進路は良い方向に選択される。

僕はそれをただ待つだけ。選択されることを待つだけ。

この時にエスカレーターなんて無いということに気づいていたらどうなっていただろう。

■いじめ、家庭崩壊、母のうつ病

その後、めでたく高校へ進学できた僕は、自分を不幸だと思うようになる。

中学時代、自分は全くイケてないと思い込んでいたので

高校は楽しく過ごしたいと意気込み、精神的な高校デビューをした。

クラスで目立っているグループに属して、

それなりに仲は良かったんだけど、ある日不良24人くらいに囲まれる事件が起こる。

その事件の時に、中学時代の嫌な思い出が蘇った。

中学時代の僕は、登校するたびに不良に1日中追い掛け回されていた。いじめられていた。

運動場の白線の上に理由なく転げ倒され、学ランが真っ白になったこともあったし、

休憩時間にビニール紐で首を絞められたこともあった。

あの時は14歳だった。「人生で一番辛いのは今だ。今を乗り越えれば、何かあるかもしれない」

と心に誓ったはずだったのに、ヤンキー24人くらいに囲まれるというもっと辛い事が起きた。

公園でヤンキー24人に囲まれながら、自分の人生を振り返って、「自分は不幸な運命なのかもしれない」と思った。

僕が小6の時に、姉は不登校になり、引きこもりがちになり、夜な夜な出かけるようになった。

パソコン画面に話しかけたり、自傷行為をするようになった。

深夜に警察官と帰ってくるという事が幾度とあった。

母が注意をすると、母を蹴り倒したり、家の窓ガラスを割ったり、

都合が悪くなるとベランダから何かを叫んだりしていた。

ある夜、母がチラシの裏に「悪魔。」「帰ってくるな。」「消えろ。」「お前のせいだ」などと書いた紙を 玄関や姉の部屋に貼りまくったことがある。

「姉がこれを見ると傷つくなあ」と思って、僕はそれを黙って剥がした。

このころの家庭は狂気に溢れていた。

両親の仲もいっそう悪くなった。

姉がヒステリーを起こすと、母親は父親に「すぐ帰ってきて」と電話をするようになり

父親は仕事があるので帰れない。帰ってくると「なぜ帰ってこないのか」という理由で母とケンカする。

そして最後の夜だった。父親が姉に手を出した。

家中に響き渡る姉の悲鳴、母の仲裁する声、父親の怒鳴り声が響いていた。

僕は耳を塞ぎ、目を閉じた。こんなのは僕の家庭じゃない。

幸せなんて感じられなかった。見つかるはずもなかった。

家庭では家族が毎日のように怒鳴り、中学へ行けば不良に恫喝される。

居場所がなかった。 大音量で音楽を聞きながらパソコンをする癖はその頃についたんだと思う。

僕が中学3年の時、姉はネットゲームで知り合った男性と結婚し、その後にすぐ両親は離婚した。

父を信じていた母は、だんだんと体調を崩しがちになり、

心療内科で鬱病だと診断された。

■自殺未遂

僕と母しか家にはいなかった。母を支えるのは僕しかいなかった。

母は18時間くらいベッドで横になってすごすようになった。

ある日、夜の12時に寝室に行くと、薬の空き瓶が転がっていた。

母親の顔色がおかしかった。起こすと呂律もおかしく、ヘベレケだったので、風呂場に連れていって吐かせた。

1度目の自殺未遂だ。

母は和歌山の親戚の若い女の子によく電話をしていた。同じ鬱病だそうだ。

ある日、彼女は自殺した。睡眠薬を大量服薬したらしい。

それ以来、「鬱病は遺伝だから、私もいつか自殺する。」と母は毎朝のように僕に言うようになった。

その時は知らなかったのだけど、母の母も自殺していたらしい。

母はずっと寝ている状態になった。朝から夜まで、ずっと寝ている。

またある夜、パソコンで遊んでいると、包丁を取り出す音がした。

何か作っているのかなと振り返ると、母が包丁に向き合っていた。

「なにしてんだよ!!!」と叫んだと同時に、母が倒れこんだ。

刺さってはいなかった。母は泣き崩れ、僕に何度も何度も謝った。

「別にいいよ。大丈夫でよかった」と言っているのに、繰り返し謝った。

この時が人生で一番怖かったし、悲しかったと思う。

その事件の後、元気になった母だが、それは異様な元気さだった。

いわゆる躁うつ病の「躁」の状態だった。これはひどい、と思った。

インド雑貨にはまり、オデコにインドのアレをつけて出歩いていた。

家に遊びに来た高校の友達にも、「ハロー」と声をかけたりする。

ついにはパートで貯めていた100万円を使って、お店を開くと言い出した。

「100万円じゃ無理だよ。考えろよ」という説得にも聴かないので、

俺に迷惑を絶対にかけるなという制限つきで店を出した。1ヶ月で廃業した。

■母の再婚、そして就職

そんなある日、家にパキスタン人が住むようになった。名前はハーンさんという。

「色んなクニに連れて行ってアゲル!僕はお金持チダカラ!」といっていた。

ほんとかよこいつ。と思ったのが第一印象だったけど、害はないと思って母との再婚を容認した。

高3になった。進路を選択しなければいけない。

母とハーンはニートだったので、ずっと貧乏なままだった。 お金持ちというのは嘘だった。

大学に行くなら専門に行け、と2人とも言っていた。

小学校の時にゲームプログラマーになりたいと思ったことがある。

中3の時も、高校に行かずにゲームの専門学校に行きたいなあと思っていた。

ぼやーっとそれを思い出し、ゲーム関連の専門学校のHPを読んでみた。

本当になれるのかと不安になったのと、進路実績が知らない会社だらけだったので高卒で働く事に決めた。

僕の高校からは某電機屋とか、車関連の会社の下請けとかに行っている人が多いみたいだった。

「皆知ってるし」と いう漠然とした理由で電機屋の内々定をもらいにいった。家電も嫌いではない。

家に帰って給料を調べてみた。低い。

家計の苦しさが理由で両親が喧嘩をしていたのをよく見ていたので、

ある程度の年収、なんとなく500万くらいあれば幸せになれるかなあ昔計算したことがあった。

電機屋では、年収500万なんて到底無理そうだった。

■ネットで見つけた情報が人生を変えた

その時にネットで高卒と大卒の比較記事を発見することになる。

「生涯年収が4,000万円以上も違う」

この発見が僕の人生を変えた。

僕の人生はエスカレーターだという思い込みを打ち破ることになる。

「自分の人生は自分の手で切り開くもの」と感じたのは初めてだった。

両親の「手に職をつけろ」という教えが、必ずしも経済的な豊かさには繋がらないということ。

日本では大卒という学歴がないと、可能性を打ち消される結果になりやすいこと、

そして何より、何で今まで自分で気づかなかったんだという事に怒りを覚えた。

先生から「お金が無くても、奨学金自己負担で大学に行ける」ということを教えてもらうまで

経済的な余裕がないと大学には行けないものだと思っていた。勝手に思い込み、可能性を殺していた。

自分で調べもせずに、親の「お金が無いやつは大学に行けない」ということを鵜呑みにしていた自分はなんて愚かだったんだ。

親とはいえ、人に人生をゆだねていた自分を殴りたくなった。

■大学進学を志す

その日から、大学進学を懇願するようになる。

高校でも勉強に手を抜いていた僕の成績は非常に悪かった。

親から反対されていたので、浪人している余裕もなかった。

だから指定校推薦で行こうと決意した。

1学期に圧倒的に評定平均を伸ばさなければ指定校は貰えないという。

全て85-100の水準で点数を取ったら、一気に評定平均があがり、指定校をもらえる水準になった。

先生から「おめでとう」と言われ、可能性は近づいた。

初めて自分で大学に行きたいと感じた。

もしかすると、人生で初めて自分の心の奥底からしてみたいと感じた瞬間だったかもしれない。

それを母親とハーンさんに伝えると、駄目だと一蹴されてしまった。

ほかの親族に言ってみることにした。

「大学に行けば可能性が広がる。」

「やりたい事ではない仕事をしてお金を稼ぐ人生よりも、 大学でやりたい事を見つけて就職したほうが幸せな人生を歩める。」

「高卒よりも専門卒よりも、大卒の方が給料が良い」

どんな言葉も、どんな理由も、誰の耳にも届かなかった。

親族全員が反対した。父親も、姉の夫も、姉も。

「高卒でも俺みたいに出世している人もいる。仕事のでき次第だ」と言われた。

父も姉の夫も、高卒である程度出世していた。

家族で入学金を貸してくれる人がいなかった。悔しかった。

姉の夫に「お前は家の状況を分かってて、そんなこと言ってるんか?」と頭を小突かれ、悔しくて泣いた。

ネットでは「大学進学」が正しいと言っていたのに。

親や身内の回答が正しいわけではないと知ってから、ネットでの情報取集にのめり込んでいた。

親族は頼れない。高校の進路課に相談した。

区役所が貸してくれるかもしれない。

既に入学金の支払い期日を2度も延ばしてもらっていた。

リミットは4日後。4日後に振込がなければ、僕は大学に行くことができない。

母は僕名義でお金を借りるということであれば協力すると言ってくれ、

区役所でお金を貸りることができた。

■転機となる本との出会い、編入を志す

それまで一切読書をしていなかった僕だったが 、大学に向けて読書をするようになった。

図書館でたまたま「大学で何を学ぶか」という本を手に取った。

この本を借りていなければ、僕は4年間をぼーっと過ごしていたことだろう。

人生は時の積み重ねで、いつ方向転換する機会に恵まれるか分からない。

僕が入学した大学は、いわゆるFラン大学だった。

ネットでは「Fラン大学に価値はない」などという言葉をよく見かける。

大学1年生のとき、ためしに登録してみた就活サイトでも、確かに席の予約が出来ない。

このままではダメだ。本気で編入を志した。

■自分の将来を阻害する家族

その頃の世間は、リーマンショックだとか100年に1度の大不況だとかで騒いでいた。

僕には関係ないと思っていたが、リーマン不況の影響でハーンさんが工場をリストラされ、家計の収入が途絶えた。家賃の支払が出来なくなった。

その頃の僕は、編入予備校のために貯めていた貯蓄が100万縁を超えようとしていた。

高3の3月から働き始めたコールセンターの収入で貯めたお金だった。

母とハーンさんが僕の口座を頼るようになった。

「金を貸してくれ」

最初は10万円だった。それは家賃の支払いですぐに無くなった。

家賃と生活費を僕の貯金から出す?