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【肝っ玉お母さん】病気もケガも「今しておけば将来しない」と前向きに向き合ってくれた母の話

2016年01月28日 15時50分 JST | 更新 2017年01月26日 19時12分 JST

小さいころの私はとても病弱でした。

両親にたくさん心配をかけましたが、

私の母はいわゆる「肝っ玉母ちゃん」な人で、

小さいころに病気しとけば、大きくなったとき病気しないから!と

嫌な顔ひとつせず、育ててくれる人でした。

これは、そんな肝っ玉母ちゃんのお話です。

小学校2年生のときのことです。

しばらくずっと体調が悪く、お腹が痛いなぁと思っていたら

実は盲腸だったというビックリ事件が起きました。

私は「ただの腹痛だから放っておけば治る」と思っていて、

病院に運ばれて手術をした日も普通に学校に行っていました。

あまりに具合が悪く、保健室に行ってもしんどいばかりだったので、

スーパーでパートをする母に早めに仕事を切り上げて迎えに来てもらい、

学校を早退し病院に連れて行ってもらいました。

診断してもらうと待合室に戻されることなく

「すぐに大きい病院に行ってください!盲腸だから!

紹介状書くから!あと救急車呼んであげて!」

とバタバタ動く先生と看護師さんたち。

母と私はポカン( ゚Д゚)状態です。

初めての救急車にちょっとわくわくしていましたが、

先生たちの焦り具合に「これはやばいんじゃないか」と不安になり

なんだか更にお腹が痛くなります。

病院につくなり嘔吐しながらレントゲンをとられ、

麻酔を打たれ、目が覚めたら手術が終わっていました。

(今は部分麻酔が多いと聞きますが、私は全身麻酔でぐっすり眠っていたみたい)

どうやら破裂寸前の危ない状態だったらしく、

手術後、母は先生にこっぴどく叱られたと聞きました。

「なんでこんなになるまで放っておいたのか」と。

1週間の入院生活が始まりました。

自宅から距離のある病院だったので、母はずっと病室に泊まり込んでくれました。

もちろん個室ではありません。

カーテンで仕切られた狭い場所に寝袋で泊まり込んでくれていたのですが、あれ病院的にOKだったんでしょうか・・・。

それでも、当時は母を独り占めして申し訳ない反面、とてもウキウキしていたのを覚えています。

パートとはいえ共働き家庭で、

兄弟も居ましたので、ワガママを言ったりすることができなかったんです。

言えば聞いてくれたのだと思います。

でも子供は大人が思うよりしっかりしています。

迷惑をかけちゃいけない。子ども心にそう考えていました。

入院中は病院食なわけですが、盲腸だったので、食べられるのは水みたいなお粥と柔らかく煮た薄味の野菜ばかりでした。

ちなみにわたしが茄子を克服したのはこの病院食のおかげです。

弱った体に優しい味付けがとても美味しく感じれらました。

母はあまり料理が上手じゃなかったんですよね。

自分が大人になって料理をするようになって判明したんですが、

なかなかに豪快な目分量をするおかげで、結構味が濃かった・・・。

ほとんど固形物を食べられない娘が余程可哀相だったのか、

母はときどき食堂で買ったご飯をおすそ分けしてくれました。

あろうことかカツカレーを食べさせようとしてくれたことがあり、看護師さんにその現場を発見された母は、また説教をくらっていました。

ちなみにその日からおやつにプリンが出るようになりました。

このように、わたしの母は豪快で少々お茶目なところがありました。

退院した翌日、休めばいいのに早速学校へ行きました。

その日は毎年恒例の餅つき大会が開かれる日だったので、どうしても行きたいとごねたのです。

もちろんまだ固形物を食べてはいけないときです。

※私は知らなかったけど、両親には説明されていたはず。

つきたてのお餅をいくつ食べて、久しぶりに友達にも会えて、

とても楽しい学校復帰の1日になりました。

次の週末、病院へ検査に行った際に

「もうお餅食べていいよ」と先生から許可がおりました。

私は「食べちゃいけなかったのか」とヒヤッとしましたが、

隣で説明を聞く母はどこ吹く風、すっとぼけた顔をしていました。

お茶目では済まないような気もしますが、

今振り返ると、この適当さにたくさん救われてきたなと思います。

ちょっとくらい言いつけを守らなくてもなんとかなる。

そんなゴーマイウェイな母。

我慢しなかったから入院中にストレスが溜まるもなかったし、

退院してからもすぐ日常生活に戻ることができました。

この盲腸の他にもいろいろ病気になったりしたので

小さいころの記憶は母に付き添われ病院に行っていたものが多いです。

働きだした今だから分かることですが、

いくらパートとはいえ、仕事をやりくりして通院や看病をすることは本当に大変です。母のバイタリティーには心からに感謝しています。

病弱だった私も、中学・高校と成長していくにつれ身体も強くなり、

いまでは病院なんて健康診断程度しか行きません。

小さいころいっぱい病気すれば抗体できるから大丈夫!と笑っていた母。

いろんな菌をもらってしまうかもしれないのに、外で遊んではお転婆をして服を汚して帰る私になんの注意もしませんでした。

遊具でケガをしても

こんなもん大したことない!と傷口を消毒して終わり。絆創膏も無し。

次からは痛い思いしないようにね!と声をかけてくれるだけでした。

遊具の少なくなった公園を見ると、少し寂しくなります。

子どもがケガをしたら大変なのは分かります。

でも子どもは回復も早いし、すぐに新しいことを覚えます。

危険を排除するんじゃなくて、どうやって対処したらいいか、それを教えてくれる親は少なくなったんでしょうか。

病気もケガもたくさんした私。

今ではすっかり健康になりました。

仕事で失敗しても、

次からは大丈夫!と前向きに考えられるのも、

病気と前向きに向き合ってくれた母のおかげ。

母のような肝っ玉は持てないかもしれませんが、

子どもの病気もケガも、これで次からは安心だね!と受け入れてあげられるような親になりたいと思います。

このストーリーは、人生のストーリーを投稿するWebサイト『STORYS.JP』に投稿されたストーリーです。

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(文=STORYS.JP編集部・阿部仁美)

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