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【最後に何を残しますか?】なにもかもを忘れてしまうその時に、最後にあなたに残るもの。それは、あなたにとっての揺るぎないもの。

2015年06月22日 01時46分 JST | 更新 2016年06月19日 18時12分 JST
写真AC

いつか自分という存在を形成する、いわばアイデンティティーと呼ばれるものが、すべて無くなってしまうとしたら、

自分はいったいどんな存在になるだろうか。

そういったことが現実に起こりうる、という事実を踏まえて、考えたことはありますか?

本日ご紹介するストーリーは、医学生である著者が書いた、「人に最後に残るもの」のお話。

いつかなにもわからなくなるとして

あなたがなにもかもをなくしてしまうとき、最後に残るものは、残したいものは、なんですか?

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(以下、STORYS.JPより一部転載)

外来で認知症のおばあちゃんを診ました。

「ありがとうね」と「わかるよ」をなんども繰り返していました。

僕の指導医がご家族に、

「惚けちゃってるから手術しても意味がないよ」

と言ったときも、ご家族が撃たれたような顔をしている横で、

「わかるよ」

と繰り返し、繰り返し、つぶやいていました。

息をするのがすこし苦しいような気持ちになりました

みんな自分だけは惚けないと思って生きている。

あるいは、そんなこと考えない。考えないようにして生きてる。

でも、たぶん、そんなの無理だ。

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人間はなかなかどうしてうまいことできているもので、一定の年齢を過ぎ、さらに年輪を重ねていくと、

いろんなものを失くしていきます。

懐かしいものの記憶、ついさっきの記憶、

好きだったもの、嫌いだったもの。

体力や気力もどんどん失って、今まで歩んできた人生の道も忘れて、

そうして最後に残るのは、その人にとって、「譲れないもの」だそうです。

このおばあちゃんが繰り返し言う「わかるよ」という言葉。

「しっかりしている自分」というアイデンティティーが、おばあちゃんには強く残ったようです。

そして、このストーリーには、もうひとつ別のお話があります。

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(以下、STORYS.JPより一部転載)

医学生も低学年では、介護老人福祉施設(老健)や、

特別養護老人ホーム(特養)で実習をする大学が多い。

僕も2週間ほど、特養で食事や入浴の介助をした。

そこで出会った入居者のおじいさんは、

ここにはとても紹介できないような、

直接的に卑猥な言葉を大声で叫んだり、

ヘルパーさんや他の実習生の胸やおしりを触ろうとする。

もっとひどいことをしようとしたところを、

僕が取り押さえたこともある。

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あとで聞いた話によれば、このおじいさんには「とある過去」がありました。

きっとそのことが、介護施設での行動の要因なのであろう、大事な過去が。

その過去は、転載元ストーリーをご覧ください。

いろんなものを忘れて、それでも最後には自分の揺るぎないものが残る。

そんな人たちをたくさん見てきた著者は、こう語っています。

"いつかなにもわからなくなる。

そのときに、僕に残るのはいったいどんな言葉だろう。

残す言葉は自分で選べない。それが怖い。

ほんとうに、怖い。"

私の祖母も認知症でした。

孫のことも、息子のことも、嫁のことも忘れて、傍若無人なところがありました。

それなのに、他人を前にすると、妙にお行儀がよくなる人でした。

きっと心のどこかで、家族だと分かっていたから、甘えられたんだろうと、

今ならそう思うことができます。

家族という存在は、安心して甘えていいという思いが、残っていたのだな、と。

このまま何事もなく、平和に年輪を重ねていったとき、

わたしたちには何が残っているでしょうか。

自分でその答えを確認することはできません。

ならばせめて、幸せだったんだな、と周りの人が思ってくれるような何かを

残せたらいいな、と、それができたら素敵だな、と、そう思いませんか?

過ぎゆく毎日を

ある人は、なんとなく

ある人は、仕事にまみれて

ある人は、たくさん笑って

ある人は、少し泣いて

そうやって生きていると思います。

その結果として残るものがわたしたちにはある。

それならば、どんなふうに生きていこうか。

今日の自分、これまでの自分、そして、これからの自分を考えさせてくれるストーリーです。

(文:STORYS.JP編集部・阿部仁美)