BLOG

生後10日で網膜芽細胞腫の疑い。第一次硝子体過形成遺残で義眼になった娘。

2016年04月16日 17時01分 JST | 更新 2017年04月15日 18時12分 JST

第一次硝子体過形成遺残という病気をご存知でしょうか。

胎児が発育する間に消えるはずの眼球内の欠陥や硝子体が、消えずに残ってしまい、視力を失う病気です。

もし、生まれて間もない我が子に「一生目が見えません」と宣告されたら・・・・・・。

人生のストーリーを投稿するサイト「STORYS.JP」には、

予想だにしない出産や子育てを経験した人たちのストーリーが数多く投稿されています。

 

■待望の女の子

第一次硝子体過形成遺残...眼球内の硝子体や血管が本来胎児が発育する間に消えるはずが、消えずに残ってしまう病気。

原因は不明。視力も期待できず、治療法も無し。

2013年10月。待ちに待った女の子が産まれた。

一人目は男の子で、女の子が欲しかった私は娘が無事に産まれて嬉しかった。

長男は私に似てぱっちり二重で、親バカだが女の子によく間違われるくらい可愛らしかった。なので娘も同じ顔だといいなぁ...っと妊娠中呑気によく言っていた。

産まれてきた娘は旦那に似て奥二重だった。特に右目が開き辛そうで、左に比べて小さかった。

そんな娘の目を見て、ふっと何気無く「右目、見えてるのかな?まぁ、片目見えてればいいよね」っと呟いた。

その時はまさか自分の娘が障害を持って産まれてきてるとは微塵も考えてなかった。

病院を無事に退院し実家に里帰り。早々に友人にも御披露目した。その時も「右目が小さくてさ。右目はパパ似、左目は私似だわ」なんて呑気に話していた。

■娘が誕生して10日、網膜芽細胞腫の疑い

その日は電気が明るいリビングでミルクをあげていた。

その時ふっと娘の右目の中央が硝子の様に透けて見えた。

ドキッとした。

何故なら、ペットのリスが目を怪我して、全く同じ様になっていたからだ。

すぐに母に話した。そしたら母は光の加減のせいよ。気のせいだってっと言った。

その時はそれ以上突っ込んで話さなかったが、夜寝るときに気になってネットで検索した。

「目 光る 硝子」

そしたら出てきた文字が「網膜芽細胞腫」

目の癌だ。

不安でたまらなくなった。

画像を見ると娘と同じ目をした子供が出てきたからだ。

それから1日中検索した。

検索して娘と比較して「あぁ、やっぱり癌だ」、

「あれ?私の気のせいかな。癌じゃない。」の繰り返しだった。

親に心配かけてはいけないので、一人でずっと考えていた。

息子にも涙は見せたくなかったので、一人風呂場やみんなが寝静まった時に泣いていた。

旦那は休みの日にしか会いに来れないので、実際に見れないのに話すのも悪いと思い、あまり深くは話さなかった。

だから、一人で不安と戦うしかなかった。

そして4日目。あるサイトで「フラッシュで写真を撮って目が光ったら注意」っと見つけた。

フラッシュをたいて撮ってみた。娘の目がハッキリと透けていた。

その写真を見て私は泣き崩れた。

目の異常に気付いて5日目。

疑惑が確信になっていたので、目が透けている写真をメールに添付し旦那に相談した。

癌ならば早急に治療をしなければならない。

とりあえず土曜に自宅近くの眼科に旦那と行くことにした。

娘は生後11日で眼科を受診した。

■大丈夫、一緒にみんなで育てていこう

実家を出るとき、親に心配かけたくないので「自宅近くでお祭りやってて、パパが息子連れて行きたいんだって。私は娘と自宅に行って部屋の片付けしてくる。」っと嘘をついた。

父がバス停まで来てくれた。ニコニコしながら見送ってくれた。

そんな姿を見て、バスの中で泣いてしまった。

旦那と合流し、病院へ。

生後11日なのに病院に来なければならないこと。それだけで涙が出た。

検査のため娘だけ中に連れていかれた。

診察室から聞こえる娘の泣き声。

辛かった。

先生から「お母さんの気のせいよ」そう言ってもらえることを願っていたが、本来であれば半年以上待たなければいけない国立病院で、至急検査することになった。やはり深刻だった。

「やはり癌ですか?」っと聞いたら「その可能性があります」っと言われた。

覚悟はしていたが辛かった。

ただ2歳になったばかりの息子がいたので、私も旦那もなんとか正気を保っていられた。

そして、その夜旦那と一緒に私の実家に帰った。

夕飯を食べたあと、両親に話した。

産まれたばかりの孫が目の癌かもしれないと言われ、ショックだったと思う。

母は私を抱き締めて泣いてくれた。

父は「大丈夫。一緒にみんなで育てていこう」っと言ってくれた。

その時の父の言葉は今でも忘れられない。

■表層義眼

自宅近くの眼科を受診してから1週間後、国立病院に行ってきた。

そこは最期の砦のようで、全国から患者さんが来ていた。

娘はそこでトップの先生に診てもらえた。

それまで散々悩み泣いていたので、私も旦那も落ち着いていた。

診察の結果、癌では無いとの事。

しかし、右目に視力は無く治療法も無い。

いつか顔のバランスを保つために表層義眼を入れることになる、と言われた。

自分の子供の片目が一生見えないっと言われているのに嬉しかった。

冷静に考えればおかしな話だが、癌じゃない。娘は死なないってだけで、嬉しくてたまらなかった。

片目の視力がきちんとある場合、障害者にはならないと初めて知った。

普通の学校に通え、車の免許も取れると言われた。

知らない事ばかりだった。

人間は眼球が動くことで顔が成長する。

そして眼球は見えないと成長しない。

娘の右目は成長しないため、このまま放っておくと顔が歪むので生後半年をめどに表層義眼を入れることを勧められた。

しかし、娘は左右差があまりなく実際には1才4ヶ月で入れることになった。

義眼は眼球が無ければ補助金が出るが、眼球が残っていると美容目的とされ全額実費となる。

表層義眼は顔の成長に必要な物なのに、扱いとしては歯の矯正や入れ歯と同じらしい。

納得はいかないが、娘の為に迷わず表層義眼を入れることにした。

目薬をさすだけで大騒ぎなのに、義眼なんて入れられるのか不安だったが、

いざとなると強いもので、なんとか着脱できるようになった。

それまでは右目の小ささもさほど気にしてはいなかったが、義眼があるのと無いのでは全く違かった。

娘の両目のバランスが取れた顔を見て、私も旦那も興奮した。

■強い母になる、それが人生最大の目標

娘の目の障害が分かって「なんでうちの子なんだろう?」「何がいけなかったんだろう?」そんな事を毎日考えていた。

今でもふっと考えてしまう。

しかし娘は片目とは思えないくらい活発に動くし、細かい物もよく見えている。

親身になってくれる義眼外来の先生、義眼師さんにも出会え、娘の義眼ライフは順調だ。

しかし、この先必ず娘は目の事で悩み、泣いたり、私を責める時が来るだろう。

そんな娘とどう向き合えばいいのか今はまだよく分からないし、不安だらけだ。

だけど、娘の気持ちは全力で受け止めたい。

全部受け止められる強い母になるのが私の人生最大の目標だ。

(STORYS.JPより転載)

妊娠・出産・子育ては思い通りにいかないことばかり。

障害を持つ子の親になることも、育児ノイローゼを支えなければならないことも、

誰にだってあり得ることです。

自分や身近な人が悩んでいるときに、支えになってくれるのは、

似たような境遇を乗り越えてきた人ではないでしょうか。

(ストーリー紹介=STORYS.JP編集部・阿部仁美)

■関連リンク

娘は第一次硝子体過形成遺残~表層義眼~

【規格外子育て】広汎性発達障害の息子を育てる特別育児計画書。

2人の息子は障がい、6年間の不妊治療を経て授かった個性的な子供たち

発達障害の息子と育児ノイローゼの嫁から教わった"本当の幸せ"