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学力・コネ・度胸全部ナシ!中卒自衛官が高認、慶應、東大、起業と駆け抜けられた、ただ一つの理由

2014年02月24日 15時36分 JST | 更新 2014年04月25日 18時12分 JST

「日本にはこんなにも報われない人たちがいるんだと思った。彼らの手は、太く、真っ黒で、汚れて、傷だらけである。働いている人の手だ。僕の手はどうだろう。白く、細く、まっすぐだ...。」

学力・コネ・度胸全部ナシ!中卒自衛官が高認、慶應、東大、起業と駆け抜けられた、ただ一つの理由

有田町で生まれた少年。その町の、ある日本刀のお店には、有田町で焼き物屋を営んだり、唐津で土器を売ったりするという、自営業の人たちが連日集まり、商売難の時世の話をしていく。

少年は、経営者であった父から経営学のなんたるかを毎日勉強させられていたから、恥ずかしげもなくその人たちにレクチャーしていた。

すると、

「じゃあ君。焼き物はどがんしたら売れるとね?おい達はどがんしたら生きていけるとね?」

と言われ、この言葉にこたえることが出来なかった。

あのときから、いまでも、僕は僕の人生を、この問いへの答えを探すために使っているといって間違いない。

有田をよくするんだ、いや、日本中をよくするんだ、死ぬ気で、あきらめず、この手で...。

ある中学生が、青いながらも下した覚悟と決意。

少年の中卒自衛官としての日々が始まった。

自衛隊内でのいじめ、理不尽なしごき。

私たちの知らない世界の、想像を越える暗い影。

それでもあきらめず、日本のため、有田町のために自分が出来ることに向かって駆け抜け続ける筆者の人生が胸に響く。

中卒自衛官からの学問への挑戦。

高認、受検、浪人、合格。

次第に開かれていく彼の未来。

そこにはいつでも彼の支えであり、彼の道を示してくれた父がいた。

自衛官時代、父と母に自分が頑張っている姿を見せたくて、パレードの先頭に立てるよう奮闘した日々があった。しかし、それは無常にも上官の理不尽な要求で叶わなかった。

それを知った彼の父はこう告げる。

「名誉とはなんだ」

「名誉というのは知ってもらいたい人に知ってもらうこと。アフリカの国王に褒められてもよくわからんのと同じだ。お前は俺がわかっとるし、お前の周りにも、武器係のO区隊長とかいろんな人が少しずつわかってくださっとる。それが名誉や」

しかし、その支えであった彼の父も、ニ度の選挙への出馬も当選叶わず、ガンとなる。

「お父さん、僕たちは間違っていたのかもしれないよ。その時、どうしようもならなくなったら、僕と二人で死のう。そしたらお母さんとお姉ちゃんは保険金で生きられる」

父は治療をしないと言い張った......。

 父は治療をしない理由を「人間自分がやるべきことがあるなら自然に抗うこともある。でも俺はもうやるべきことがない。これも運命だ」と語った。死ぬと決めた父は治療を一切拒否、モルヒネだけ打っていた。毎日、病室には画家からオランダ人まで多種多様な人が訪れて、部屋には笑い声が充満していた。

最後の日が近づく中、彼は父と二人きりで話した。

「俊兵、なんで俺が選挙に出たかわかるか?」

ときく父、とっさに

「それは...有田をよくするため。有田から日本を変えるため......」

というと、

「違う!」

と声を荒げた。

「そうじゃない。俺が選挙に出るのは栗原さん(後援会長)の悲しみを一緒に背負うためだ」

という、続けて、

「俺もお前も理解者が多い方じゃない。だから理解者を得たら、その人のために死ぬ気で生きること。それが名誉だ。そして政治は目の前の人を幸せにするためにある。俺の理解者だった栗原さんはずっと政治に不信感があった。政治に出るのは金持ちの道楽か、世間的な名誉、金のためだという不信感が。そして栗原さんはずっとそういう世間から搾取されてきたんだ。だから俺は全部を捨てて選挙に出たんだ。お前がもし政治を目指すならば、目の前の人を幸せにすることだ。決して政治は、議員になることでも官僚になることでもない。それだけは分かって生きていてくれ」

駆け抜けられたただ一つの理由

父の死を乗り越え、彼は今、経営学を培い会社を起業している。

中学生の頃突き付けられた、「有田焼はどうやったら売れるのか?」という疑問に答えを見つけるために。

彼がここまで駆け抜けられた理由、今頑張れているただ一つの理由が、

「自分の理解者を精一杯大切にして。その人にわかってもらうことを名誉だと考えてきたから。」

父の教えを胸に、挑戦し続けた男性の人生の綴り。

夢、挫折、挑戦、成功、別れ、誇り。人生の醍醐味が詰まった胸を震わすストーリー。

学力・コネ・度胸全部ナシ!中卒自衛官が高認、慶應、東大、起業と駆け抜けられた、ただ一つの理由