国際同性婚をした私が思うプライドパレードの意味

人と少しでも違うと、殺されてしまう世界に私たちはいるのだろうか。

「LGBTのことを認められない人のことも認めてって思わない?」

カナダに来て3年が経過したころ、日本人留学生に言われた言葉だった。

彼はこんなふうに続けた。

「同性同士が路上でキスするのを見るとテンション下がるんだよね」

胸が締め付けられるような、複雑な言葉だった。

カナダでは2005年から同性婚が国の正式な法律によって認められている。

2015年にジャスティン・トルドー首相へと変わったことでLGBT+の差別撤廃へと道が大きく拓けてきた。

また、毎年夏に行われるプライドパレードでは首相が自ら参加し、多くの当事者に勇気と希望を与えたことでも話題になった。

2016年6月12日にフロリダゲイバー銃乱射事件、翌月7月7日にはミネソタ州黒人射殺事件、そして7月12日には日本でも相模原障がい者殺傷事件があった。

ゲイ、黒人、障がい者への止まらない差別。

人と少しでも違うと、殺されてしまう世界に私たちはいるのだろうか。

同年、カナダで行われたバンクーバープライドパレードで、

私はフリーハグのサインを掲げ、路上に立った。

Tanabe+Photography

フリーハグをやって何になるのか。

最初はわからなかったけど、何もせずに過ごすことができなかったのだ。

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路上では、どこの誰だかわからない私を力強くハグしてくれる人たちに出会えた。

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勢いよく駆け寄ってくれた人。

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たった一瞬の路上の出会い。

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周りの人に見守られて。

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三宅洋平さんがこんなことを言っていた。

身体障がい者をバカにするのは障がい者の友達がいないヤツ。ゲイをバカにするのはゲイの友達がいないヤツ。外国人をバカにするのは外国人の友達がいないヤツ。友達になったらわかるし、俺は中国に何度かLIVEに行ってるけど最高のヤツばっかりだったよ。

-2013/07/20選挙フェスより引用-

冒頭で日本人留学生が言った「認める」という言葉は何をさすのか。

「認めること」が差別に繋がっていることをわかっていないのだろう。

当事者であるがために死刑になってしまう国を「認めろ」ということなのか、当事者がイジメられたり自殺してしまうことを仕方ないことと「認める」のか。

殺される土俵にまだ当事者がいるというのに。

同性愛についてどう思うのかはもちろん個人の自由ですが、それが人を攻撃していい理由にはならないんですよね。誰を愛するか、誰と共に人生を歩んでいくのかこそ、当たり前の個人の自由だと思います。

引用:旅するダンサー自由記より

なぜプライドパレードをするのか。

今回フリーハグをして気づいたことがある。

「LGBTを認めろー!」と誰かの気持ちを強制するためにパレードをやっているんじゃなかった。

認められないアナタに対して誰も怒ってはいない。

一人ひとりが自分自身を最大限に表現できる姿で楽しんでいた。

そうか、これがプライドパレードをする意味だ。

すべての人が「自分自身であることを心からお祝いする日」であり、「あなた自身でいることを誰も否定しない日」だったんだと。

私たちは誰かが決めた「普通」という枠の中で日々生きている。

その枠から少しでもはみだそうものなら「変わり者」と揶揄されたり、「普通でいること」を強要される。

普通なんて本当は存在しないのだ。

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(2017年10月6日旅するダンサー自由記より一部転載)