「宗教至上主義」を超えて――日本の中東理解のあり方を問う 『「アラブの心臓」に何が起きているのか』編者、青山弘之氏インタビュー

「アラブの春」、シリア内戦、イスラーム国の台頭……。数え上げればきりがないほどの事件が、近年、中東では起きている。

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「アラブの春」、シリア内戦、イスラーム国の台頭……。数え上げればきりがないほどの事件が、近年、中東では起きている。しかし、日本での中東に関する報道を見れば、「イスラーム過激派」、「宗派対立」といった言葉がマジックワードのように使われ、中東を「理解不能なものとして理解した気になる」ことが当たり前になっているようだ。

こうした現状に一石を投じる試みが、昨年12月に出版された『「アラブの心臓」に何が起きているのか 現代中東の実像』(岩波書店)だ。編者の青山弘之氏に、現代中東政治の読み解き方、そして日本における中東理解のあり方について、インタビューを行った。(聞き手・構成 / 向山直佑)

「アラブの心臓」とは?

――タイトルに使われている「アラブの心臓」という概念について、教えてください。

もともとは1950年代から60年代に、アラブ民族主義を掲げる為政者たちが、自分たちがアラブ世界の中心だと主張するために自称したものです。国名で言うと、エジプトやイラク、シリアなどがこれにあたります。西アジア・北アフリカ地域である種「王道」のような地位にあって、授業で必ず出てくるところ、そういう場所が「アラブの心臓」ですね。

この本ではエジプトと東アラブ地域を指してこう呼んでいるわけですが、実際これらの国々は、歴史的に見ても大きな役割を果たしてきましたし、近現代においても思想的、政治的、経済的に中心であった「はず」のところです。ですが周知の通り、「アラブの春」以降、一番混乱が続いているのがこの地域でもあります。

――今も使われている概念なのでしょうか。

この概念を用いていたアラブ民族主義自体が、60年代末をピークに下火になっていきました。その後は、いわゆるイスラーム復興主義というものが台頭してきて、あまりこの言葉も使われなくなりました。シリアではずっと使われていますが、今では現地でも古めかしい、イデオロギー的なにおいのする言葉になっていると聞きます。

――こうした国々を「古い中東」として、台頭する「新たな中東」としての湾岸諸国と対比する呼び方もある、と書かれていました。

そうした傾向が顕著に見られるようになったのは、湾岸戦争以降かなという印象があります。それまでは、政治の中心はエジプトやイラク、シリア、パレスチナといった東アラブ諸国にあり、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国がこれに絡んできて、影響力を行使する、という形で展開してきたわけです。ところが、エジプトが1979年に、キャンプ・デービッド合意でイスラエルと和平を結んだことで地位を低下させ、さらにイラクが湾岸危機以降没落していきました。対照的に湾岸諸国が経済的な力を背景に台頭してきている、という状況ですね。

ちなみに湾岸戦争はそもそも、イラクのフセイン政権が肥大化して湾岸諸国の安全保障を脅かす、という状況を打開するために行われた性格があるので、脅威を取り払ってもらった湾岸諸国がその後順調に成長し、一方脅威とみなされたイラクが衰退し、2003年のイラク戦争で崩壊させられるというのは、一続きの流れだと考えることもできます。

単純化への挑戦――「宗派」では理解できない

――各国の政治を説明する際に、「宗派」を都合よく用いてしまうやり方に反対されています。

委任統治時代以降、宗派対立を煽る形で介入がなされ続けてきましたし、われわれの理解もそのステレオタイプを引き継いでいます。

例えばイラクというと、「スンナ派対シーア派」という対立軸だけが強調されてしまいますよね。本書の筆者たちは皆「そんなに単純ではない」と考えているわけですが、日本での中東の見方は、宗教至上主義というか、歴史の教科書を見ても、イスラーム教の話ばかりが強調されるような構成になっています。

実際は、中東の人も同じ人間であり、政治において宗教は道具にすぎないというのが実情なんですが。宗教が原因に見えても、実際は結果にすぎないことも多いですし、宗派と言っていれば何となく説明しているように思える、というだけのことが大半です。

本書の筆者たちは全員そういった単純化に抵抗していますが、「悪貨は良貨を駆逐する」ではないですが、テレビのバラエティー番組やワイドショーなどで「中東は宗教があるから複雑だね」と言って強引にまとめてしまうようなやり方を、止めることはできていません。

――実際に介入している欧米諸国も、そのようなマインドセットで介入をしている、ということですか。

アメリカのオバマ大統領がインタビューに答えて、「シリアは多数派のスンナ派が反体制運動を行っていて、アサド政権はシーア派のアラウィー派である」としたうえで、民主主義は多数派支配でなければいけないというようなことを平然と言っていましたが、これなどは典型的な例ですね。

実際はスンナ派が宗教的な理由で、アラウィー派と戦っているというわけではありませんし、そうした宗派への帰属が争点になっている訳でもありません。政治的に多数派であることと社会的に多数派であることは違うのに、私たち西側諸国の多くの人々はそれを混同してしまうという状況があります。

また多数派と少数派という区別をするなら、西側諸国のもう一つスタンダードである、少数派保護の原則に従って、ヌスラ戦線やイスラーム国といったアル=カーイダ系組織の攻撃の対象となっているマイノリティ宗派、シリアの場合はアラウィー派やシーア派の境遇に目を向けてもいい訳ですが、そのような考え方はどこかに行ってしまっているんですね。ちなみに、イラクでは、西側諸国は、シーア派が多数を占めるマーリキー前政権を「シーア派独裁」と批判する一方で、クルド人、キリスト教徒、ヤズィード教徒といった少数派保護の姿勢を打ち出すといった具合に、ダブルスタンダードで対立を煽っているとしか思えない、というのが実情です。

著者の青山弘之氏

日本の中東理解の問題

――多くの章で「虚像」と「実像」が対比して論じられていますが、こうした構成を取られた理由は何でしょうか。

中東は近年注目されていますが、注目度の割にあまりにも遠い存在として捉えられているのが問題です。遠いならば関与しなくてもいいのかもしれないのですが、それでも今の中東がなぜこれほどまでに混乱しているのかを正確に理解して、伝えたいとわれわれは思っています。ただ、われわれにとって遠い中東を説明しようとする場合にしばしば見られるのが、われわれにとってなじみのうすいエキゾチックな概念を持ってきて「これが混乱の原因です」」というような落とし所に持って行くというような論法です。中東を説明する場合に多用されるエキゾチックな概念というのが宗教なわけです。

われわれにとってなじみのうすい概念を駆使して説明したり、理解しようとしたりしても、実際には何も分かっていないに等しいわけで、そのような過程を通じて作り出されていく中東像というのを、本書では「虚像」と批判しています。そうではなくて、われわれにとって中東は縁遠いがゆえに、われわれが自分たち、ないしは自分たちが近しいと考えている国の政治、社会、文化、経済を説明する際に引き合いにだす概念や思考方法をもって理解しようとすることで、中東を身近なものとして感じることができ、そのようにして作られる中東像こそが「実像」だと考えています。

――中東に関して、特に宗教至上主義的な傾向があるのはなぜでしょうか?

専門家の数が少ないことと、やはり関係が比較的浅い、ということが理由なのだと思います。他の分野と比べてみると、例えば「東アジア研究者」などという大雑把な名称は、日本では区分として認められませんよね。中国の現代政治とか、韓国の社会とかいうふうになるわけです。これに対して、中東は「中東研究者」という名称が通ってしまいます。あるいは「イスラーム研究者」という区分もありえますが、これがキリスト教だと、「キリスト教研究者」とは多分言わないですよね。

まだ日本と中東の関係があまり深まっていないため、このような漠然とした区分が認められているということだと思いますが、本来はかなり不自然な状況です。例えばイスラーム国がこれだけ日本でも問題になっている状況で、前近代史や宗教学を専門とする研究者が発言するよりも、イスラーム国が活動している国の政治情勢に精通している研究者が解説することが望ましいわけです。ただ、そのような人材に乏しい。

この本がなぜ1人の著者によって書かれていないかというと、「現代中東」はとても広いので、これを1人で書くべきではないだろう、各専門家が分担して執筆すべきだろうと考えたことが理由にあります。大学の授業などでは、専門外の地域や時代についても概説的に語りますが、そうした状況の弊害を各執筆者が気づいていたので、今回のような形で執筆することにしました。

――日本以外の国の状況はいかがでしょう。

例えば韓国などでは、日本と同じか、それよりも悪い状況にあります。ただ、中東に地政学的にも近接している欧米諸国ではこのような状況は少ないと思います。きちんと細分化・専門化が行われているか、細分化されていない場合は俯瞰的な見方に徹する、という分担がなされています。多くの場合、思想の専門家は政治の話はしませんし、逆も然りです。

ただ、私はいわゆる「バブル世代」ですが、私の少し下、40歳手前くらいの年齢の人たちの世代から、日本でも段々と中東各国の現代政治を扱う研究者が増えてきて、かつ連携しあう動きが見られるようになってきています。このような状況が続けば、日本の研究水準も向上していくのではないかと思います。

――成長分野なのですね。

ただ、問題もひとつあって、それは危険なので行けない地域があるということです。特に地域研究には行って初めてわかることが沢山あるわけですが、近年紛争が多発していることもあり、そもそも研究対象の国に行けないという大きな問題が生まれています。

例えばイラクについては、基本的にバグダードには、一般の研究者は行ってはいけないことになっていますよね。すると、若い人でイラク研究をする人はどんどん減っていきます。シリアも同様です。若い研究者が、現地に中長期で滞在したことがないまま、研究を進めなければいけないケースが発生している、というのが課題ですね。

そうした国のなかには、リビアのように、日本ももっと経済的な結びつきを強化したほうがいいような国がたくさんあるわけですが、なかなか行けないとなると、情報収集能力も低くなってしまいます。

私は最近の日本は少し萎縮しているきらいがあると思います。チュニジアやパレスチナに関しても日本の外務省は、渡航の延期や是非の検討など危険情報を発出したままにしていますが、多くの諸外国はこうした規制を行っておらず、自由に進出しているわけで、そうなると、何が国として望ましいかというのは、難しい問題になってきますよね。

中東政治のステレオタイプ

――エジプトで特に取り上げられることの多いムスリム同胞団は、各国に支部がありますが、これらは相互に連携することはあるのでしょうか。

形としては、ムスリム同胞団の本部があって、各地に支部があるという形態をとっていますが、繋がりは実際にはないと言っても過言ではありません。連携しているとはとても言えない状況です。支援することはありますが、それは同じ潮流のなかにあるからというよりも、支援することが政治的に有利だから、というだけに過ぎません。

例えばエジプトではムスリム同胞団が弾圧されていますが、他の国のムスリム同胞団がこれに対して何か具体的に対処しているかといえば、そういうことはありません。エジプト国内ではシリアのムスリム同胞団も活動していますが、エジプトのムスリム同胞団と協力するのをむしろ避けています。というのも、これと連帯してしまうと、エジプト国内での自分たちの居場所がなくなってしまうからです。

ムスリム同胞団は、宗教組織というよりも、政治組織だといえるかもしれません。政治の世界において、宗教というのはあくまでスローガンであって、実際の政治はそんなに単純なものではないわけです。なのに中東では宗教ばかりが強調されてしまう。

――同じく重要なアクターとして、軍があります。

これも日本人のステレオタイプだと思うのですが、軍というと悪いイメージがありますよね。エジプトの場合だと、アラブの春も「軍政vs.人民」のようなイメージで語られていて、これで私たちはなんとなく理解した気になるわけです。

しかし、中東に限らず、第二次大戦後に独立したような国において、軍は政治的にそれなりの役割を果たしてきています。農村出身の貧しい若者が立身出世を遂げようとすれば、実力でのし上がることのできる軍がもっともチャンスが多いですし、軍というのは単なる戦争手段ではなくて、政治にも積極的に参加し、社会的不正に鉄拳を下すような役割も果たすことがあります。そのため、軍の存在感は見逃せないものになっています。日本人のステレオタイプで「軍は悪い」と考えてしまうと、実像が見えなくなってしまいます。

――「アラブの心臓」の政治的メカニズムの説明として、「制度内政治」と「制度外政治」という枠組みも各章で使用されていました。

「制度内政治」というのは、われわれが「民主的」とみなすような制度のことです。こうした制度は、多くの場合「アラブの心臓」の地域にとっては異質なものですから、これを無理やり当てはめようとすると、必然的に問題が生じます。

例えば多数決原理ですが、これを多様な社会に対して適用しようとすると、疎外感を持つ人がとても多くなってしまいます。この地域に限らず、通常の政治プロセスでも、制度として西洋的なものを受け入れている場合、制度と現地の社会が齟齬を来さないように、常に「制度外政治」のようなものはあったわけです。日本で言う「根回し」もこうした「制度外政治」の1つの例ですね。

もっとも、この本で出てきているのは、そうした意味ではなく、制度が揺らいだときに、それを軌道修正するための「制度外政治」ということになります。通常の政治でも、為政者がうまくコントロールできていないと、政治的に不安定になり、不安定になるほどデモのような制度外のアクションが増えてくるわけです。

「アラブの心臓」の多くの国では、制度への信頼がそもそも低いので、必然的に制度外のアクションが持つ意味合いが大きくなります。また、国そのものが制度の維持のためにコストをあまりかけられない、ということもあります。そこで、一応制度は作っても、うまくいかなければ制度外で調整する、という形になるわけです。それが、われわれの目から見ると、これは「非民主的だ」となってしまう。

中東政治に「モデル」はあるか?

――エジプトでの民主的な選挙が混乱を生んだり、レバノンの多極共存型政治が機能停止を招いたりする例を見ると、いったいどのような制度ならうまくいくのかと、思ってしまいます。

まず、混乱している国の多くは、国内的な要因というよりは、国外的な要因で深刻な対立が起きているという事実があります。これに関しては国際社会が対処する、ということになるわけですが、国内的なことを考えるときに注意しなければいけないのは、「政治参加」という軸ともう1つ、「政治的安定性」という軸があるということです。具体的には、政治や社会の安定をどのように維持するのか、法治国家としての体裁をどのように整えるのか、ということですね。

どの制度を採用してもうまくいかないのは、「アラブの心臓」の国々では、この辺りの仕組みがうまく機能していないということだと思います。政府や議会が機能していないレバノンやパレスチナは、逆にこうした努力を諦めて、「決めない政治」に舵を切ってしまった例ですが、こうした国のほうがむしろ安定していたりする。きちんと国を作ろうとしているエジプトやイラクでは、色々な混乱が起きてしまっているのが、皮肉なところです。

――「アラブの心臓」の各国のなかで、ヨルダンだけが君主制を維持していて、政治的にも異質に見えます。

ヨルダンは、政治変動を最も受けにくい環境に身を置いてきたことは確かですね。ヨルダンの安定性には様々な要因がありますが、唯一西側と最初から同盟関係を結んでいたという事実がやはり大きいです。そうすることで経済的な支援も受けることができますし、政治的な変動を防いでくれる同盟国の存在もあるわけです。他の国はいずれも、自律的な国家運営を目指してきたものですから、風当たりも強くなります。政治的な変動にさらされるリスクは大きくなります。

ヨルダンは「余ったパーツで作った国」と言うと悪いですが、国が設立される条件がそもそもあまり良くなかったので、危ない橋を渡るよりも、着実に歩んでいくことを目指したのでしょうね。「挑戦者」として売っているエジプトやシリア、イラクなどと違って、「被害者」としてのアピールも上手です。

ただ、この安定は、外的な要因に規定された、いわば仮初めの安定なので、これが揺らぐようだと、この地域に関与しているあらゆる国の、特に西側の政策が完全に破綻してしまったことを意味することになると思います。ヨルダンはこの地域において、ある種の「リトマス試験紙」なのかもしれません。

――そうすると、どこかの国をモデルにして中東全体に当てはめていこう、という考え方には無理があるのでしょうか。

これらの国々は、似ている部分も多く、相互に影響しあってはいるのですが、やはり違う点が多いので、最終的には自分たちで独自のものを、時間をかけて作っていく必要があります。そうした意味で、イラクにおいて、度重なるクーデターや政治的混乱を経て「安定」に到達したのがフセイン政権であり、シリアについても、何度もクーデターが起きた末に、最もその国に適応した政治制度として生まれたのがアサド政権でした。

もちろんそこには大きな問題がいくつも存在するわけですが、イラクにせよシリアにせよ、それを外圧で壊すことによって起こる混乱も非常に大きいということは、認識しておくべきだと思います。

エジプトの場合は、「アラブの春」に際して、少なくとも自分たちの力で体制を転換した、と言うことが可能ですよね。エジプトでは2011年の革命の後、政治が混乱し、それを打開するかたちで2度目の政変――これを革命と呼ぶか、クーデターと呼ぶかはともかく――が起こり、今も混乱が完全に収束したとは言えませんが、デモ隊であれ軍であれ、エジプト人が事態を掌握し、主体的に対処しようとしています。

こうした結果として、エジプトの政治は混乱し続けてはいるのですが、とはいえ、その主体性ゆえに、自己回復能力があるようにも感じます。私のシリア人の恩師が言っていたことですが、エジプトは、アラブ世界のなかで唯一、「ピープルズ・パワー」によって政治が動き、それがエジプトだけでなく周辺諸国を予想不可能な未来へと導く政財能力を持っています。そうした民衆の力をコントロールできなかった政府は淘汰されるわけですが、何年かそうした状況が続く間に、再構成されて自動的に政治の方向性が定まってくるのだとも考えられるわけです。

これからの中東理解のあり方

――本書が刊行されてから現在(2015年7月)までの間に、何か大きな情勢の変化はありましたか。

大枠では、良い意味でも悪い意味でも、変化はないと言えるかと思います。デッドロック状態というか。もちろん小さな変化はありました。エジプトではテロが散発的に起こったりということはありますが、それらについては本書の枠組みで説明できます。イスラーム国の動静や発生の経緯に関しても、ここでの分析の枠内で説明できるはずです。

――日本での中東理解は宗教至上主義であったり、単純化を行いがちであるということでしたが、専門知識のない一般の人たちの場合、どのような態度で中東に接すればよいのでしょうか。

日本語の情報だけで理解するのが、かなり難しくなっている状況があり、断片的な情報に頼らざるを得ないのがネックです。そのような状況では、極めてインパクトの大きいニュースだけが取り上げられて、そうしたニュースの点と点を「宗派」のような概念で結びつけて、強引に理解しようとする傾向が見られるようになります、ですが、こうしたやり方は、避けたほうがいいということは言えるでしょうね。

もし点と点を結びつける必要があるならば、普段われわれが中東以外の政治を理解する際に用いるような枠組みで、判断するのがおすすめです。例えばイスラーム国の行動を議論する際にも、それを単に宗教的な過激派という枠組みで説明した気になるのではなく、中東以外の地域の政治や暴力を読み解く際に使うような枠組みを使って考えてみるという態度が望ましいと思います。なるべく自分に身近な問題を見るような態度で接するほうが、理解しやすいですし、変な虚像を作りにくくなるはずです。

また、「情報の得方」も大事になってきます。われわれが得ている情報が、操作されているという可能性を常に意識しているべきです。情報が操作されると、「勧善懲悪」とか、「予定調和」のような構図が出てくるわけですが、現実の政治がそんな単純なはずはありません。

中東に関する情報に接するときは、それが情報戦の結果として出てきている情報である可能性を、いつも考慮しておいてください。大手のメディアが引用するような通信社の情報であってもそうですし、日本メディアが独自に報道する内容であっても同じです。常に疑っている、ということが重要です。

ただ、これも日本の政治なんかを考えてみると当たり前のことで、例えば「安保法制を通しても自衛隊は危険にはさらされない」などと政治家が言ったとしても、多くの人は「そんなことはないだろう」と思うわけですよね。日本のことであれば、多くの人がこうした疑いの態度を実践しているわけです。

これが、中東のような、自分では行けない場所の話になると、現地情勢に精通しているとされる人の情報を信用してしまいがちになるのですね。縁遠いものとして認識してしまった瞬間に、情報に対する受け入れ方の精度が落ちてしまうので、注意したほうが良いです。

もちろん、この本に書かれている内容についても鵜呑みにせずに、疑いの目で見て検証する作業が必要ですよ。身近ではない概念で単純に理解しようとするのではなく、身近な問題に接するように、安易に答えを求めない態度でのぞむことが求められているのだと思います。

著者/訳者: 青山 弘之 横田 貴之 髙岡 豊 山尾 大 末近 浩太 吉川 卓郎 錦田 愛子

出版社/メーカー: 岩波書店

発売日: 2014/12

メディア: 単行本(ソフトカバー)

(2015年8月3日「SYNODOS」より転載)

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青山弘之

アラブ地域研究

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院修了。JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ政治、思想、歴史。編著書に『混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く――』(岩波書店、2012年)、『「アラブの心臓」に何が起きているのか――現代中東の実像――』(岩波書店、2014年)などがある。またウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/aljabal/index.htm

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