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サッカーをしながら、ダイバーシティについて考えてみた ――「ダイバーシティ・フットサルカップ」の壮大な挑戦

2016年07月23日 01時11分 JST | 更新 2016年07月23日 01時15分 JST

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今回の大会は今までの大会で味わったことのないような温かさを感じました。それは、相手のチームの人たちも、ホームレス状態ではないにしろ、ひきこもりやうつ病など何らかの苦労をしてきていて、でも、それぞれががんばろうとしている姿から感じたのかもしれません。ほんと、見た目は、みんな元気で何者かなんてわからないんですけどね。
(『ダイバーシティカップ2015報告書』より野武士ちゃんぷる選手の声を抜粋)

2016年7月30日(土)に「ダイバーシティ・フットサルカップ2016」が開催される。ホームレス、若年無業者、ひきこもり、うつ病、養護施設、被災地の若者、LGBT、不登校、ニート、依存症など様々な背景をもった当事者15チーム300名ほどが集まるこの大会は、ホームレスサッカーチーム「野武士ジャパン」の活動がきっかけではじまった。

「野武士ジャパン」はこれまで、世界大会である「ホームレスワールドカップ」出場を目指して活動をしていた。そんな彼らが、なぜ「ダイバーシティカップ」を開催することになったのだろうか。今回は、ダイバーシティカップ実行委員で、出場チーム「野武士ちゃんぷる」コーチである蛭間芳樹さんにお話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)

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誰もが何かのマイノリティ

――以前、蛭間さんには「出場条件はホームレス!――もうひとつのワールドカップ」(http://synodos.jp/newbook/9831)というインタビューで、ホームレスの人たちが出場するサッカーの世界大会についてお話を伺いました。その後、野武士ジャパンの活動はいかがですか。

私たち野武士ジャパンがホームレスワールドカップに出ることはないと思います。言い切ってしまう必要はありませんが、可能性は相当に低いです。いまW杯に出る準備はしていません。応援はしていますが。

というのも、2011年にホームレスワールドカップのパリ大会に出場しましたが、野武士ジャパンは惨敗しました......。海外チームの圧倒的な強さの中、私たちは世界ランク最下位のチームになりました。それでも、私たちコーチやスタッフは「がんばれ!」「あきらめるな!」と言い続けて出たのがパリ大会だったのです。帰国してからホームレス日韓戦を開催するなど、他国の代表と同じような事業活動や環境を創ろうと私たちも努力してきました。

「2015年にホームレス・アジア杯を、2020年にホームレスワールドカップを日本で開催したい」と本(注)に書きましたが、アジア杯は今年香港で開催されましたし、2020年の日本での開催も殆ど実現不可能だと思います。昨年あたりから、代表の長谷川知広さんをはじめ、チーム関係者で「これから野武士ジャパンの活動をどうしていこうか」と、ずっと悩み考えていましたね。「この場所でがんばることに意味はあるのか......」と感じたのです。

(注)『ホームレスワールドカップ日本代表のあきらめない力』(「第8章スポーツによる社会変革」)

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各国の代表が集う「ホームレスワールドカップ」(「野武士ジャパン」ホームページより転載http://www.nobushijapan.org/

そんな中、現場にヒントがあったんです。

ある日、私たちが公園で練習していると、白髪のおっちゃん――ぼくたちはタラちゃんと呼んでいます――が、一人でボールを抱えてやってきました。

チームの練習をコーチングするなか、彼は公園の隅でリフティングや壁パスの練習を一人でしていたので、スタッフとともに「一緒にやりませんか?」と声をかけました。タラちゃんは「オタクらなんのチーム?」と関西弁で答えました。「ホームレスワールドカップを目指している、一応、日本代表チームなんです」と答えると、「そう、俺もまぜてや。訳わからんけど(笑)」と入ってきた。

基本的に私たちはオープンなので、近所の子どもたちが練習に加わることもありました。あと驚いたのは、和歌山の中学生――私たちは彼をニックネームで「和歌山くん」と呼んでいます――が、練習のためだけに夜行バスで駆けてくれることもありました。

選手のこともあるので、積極的な広報や情報発信は、あえてしていないのですが(過去、メディアに我々の真意とは異なる形で面白おかしく取り上げられたこともあって)、何らかの方法で我々の活動の情報を得て、集まってきてくれたのです。このような偶然の出会いが積み重なり、徐々に参加する人が増えていき、いつの間にか、いろんな人が来るごちゃまぜのチームになりました。

ですので、いまの野武士ジャパンの練習に参加しているのはホームレスの方だけではありません。生活困窮者、LGBT、うつ病などの若者や支援者、近所のおじさん、公園で遊んでいる子どもなども参加しています。

そうなるとますます、私たちのチームの活動目的ってなんだろう? と考えざるを得なくなってきます。今までは競技としてのサッカーを志向して練習してきました。選手自身の自立が目的のホームレスワールドカップですが、世界大会はプロも驚くレベルの競技サッカーです。ですので、当時の我々は練習メニューも試合に勝つことを念頭に置いた企画、チームづくりをしていました。

しかし、いろんな人が集まる中で、体を動かしたい、話がしたい、友達を作りたい、なんとなく面白そうだからこの場にいる、というように参加者の目的も多様化しました。「ダイバーシティ」や「インクルージョン」ってこういうことなのかなぁ、と考えるようになりました。

であれば、ダイバーシティを掲げたコミュニティを創ってみようと、去年の7月に、ホームレスの人だけでなく、児童養護施設出身者、若年無業者、うつ病、LGBTなど様々な背景をもつ当事者によるフットサル大会「ダイバーシティカップ」を開催することになりました。

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(「野武士ジャパン」ホームページより転載http://www.nobushijapan.org/

サッカーの可能性に改めて気がつく

――勝つためのサッカーから、みんなと一緒にプレーするサッカーへと自然に変わっていったのですね。練習内容に変化はあるのでしょうか?

アイスブレイクの時間を意識的に入れることにしています。というのも、日常の生活で世間の目を気にしている人が比較的多いので、「サッカーやります」と言っても不安感でいっぱいです。初対面でも「よろしく!」と、できる人もいるんですが、まずは心の緊張をほぐす必要があると感じたんです。アイスブレイクのメニューは、このような分野では一般的なものですが、コーチ陣が検討して目的や意図を考え、提供しています。

たとえば、私がよくやるのは、まずみんなでぐるぐる走ってもらいます。笛を吹いて「靴の色が同じ人は集まれ~!」「血液型同じ人は集まれ~!」「出身の都道府県が同じ人は集まれ~!」と声をかけて、グループをつくってもらいます。このような問いをいくつか提示していく過程で、「青い靴~!」「B型~!集まってください!」「青森~っ!」などリーダーシップを発揮する人もいます。もちろん、じっと仲間の集まりに向かう人もいます。

私が「靴の色が同じ人は集まれ~!」と提示している投げかけ、その条件って、ただの属性で優劣がないですよね。ただ、軸を変えるとコミュニティが変わる、マジョリティやマイノリティが替わることが往々にしてあるんです。今日の練習に集まった人たちの、個人の多面性というか、可能性というか。コーチングしていると、そのコミュニティの多様性が見えてくるんですね。

なにを言いたいかというと、社会にはそもそも多様な軸や視点があるはずということに気がついてほしいんです。私たちは、それを学歴や年収や大企業やらという、情けない軸でしか社会を捉えることができていません。多くの人は、それを当然の前提として生活していますが、その前提を変えてみると、どうなるのか。色々なシナリオが見えてくるはずです。

練習に参加している人たちは、いつも「ホームレス」や「精神疾患」「支援者」という集団名詞で、ある種マイノリティとして区別されているのですが、実は違う軸や視点でとらえると違ったチーム分けができるのです。そこにも仲間がいるということに気がついてほしいと思っています。気をつけなければなりませんが、自然体でありながらも、個を出して欲しい。共感してくれる人は必ずいる、と私は思うんです。

このようなアイスブレイクは練習のはじまりに行っていることですが、最近は練習の最後に行う試合自体にも工夫をしています。工夫というか、実験をしているというか......。端的にいえば、「ゲームのルールを変える」というものです。

競技性のあるフットサルだと、足の速い人が活躍できるかもしれません。では、「走るのは禁止して歩く」のをルールにしたらどうでしょうか? 目隠しをしてみたら?パスしかできないとしたら? といった具合に、ルール自体を変えると活躍する人が代わってきますし、チームの勝敗もバラバラです。

くどいですが、ここでの私が意識しているのは、ゲームのルール・チェンジをすることの大切さです。ルール自体を疑ってみること、それを変えると、どんな変化があるのかを体感してほしいのです。ある条件下で最適化されたシステムの脆弱性を見つけたり、更なる発展形を見つけるような実験です。

いま申し上げたことは社会とおよそ一緒だと思うのです。「あの人は優秀だ」「あの人は活躍している」「あの企業はハイパフォーマンスだ」と思ってきたものは、あくまでそういう社会のルールに上手に適応している人や組織なんです。もちろん当人や経営者の努力も相当にあるはずですが。

ただ、もっと気が付いて欲しいのは、そういう人たちは、信念や情熱に基づいて活動しているケースがほとんどで、無意識のうちに社会のルールや価値観を創っている人、あるいは既存のルールを創造的に破壊している人でもあります。一方、そういうイノベーターが近視眼的で、私利私欲を追求すると、それはマネーゲームや政治力と化し、社会の一隅に目が届かなくなってしまう可能性もあります。

最近、「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題になりましたよね。私も2人の子どもを保育園に預けているのですが、書類を何枚も何枚も書いて......といった煩雑な作業でしたし、理不尽なポイントメイクの制度なので、いろいろ思うことはありました。私の場合運よく入れましたが、もしダメだったら、私や妻の働き方は変わっていたでしょう。ですから「日本死ね」と言いたくなる気持ちはよくわかります。そして、保育園に入れられなかった親たちの多くがそう思ったからあのブログが大きな反響を呼んだわけです。

そして、「日本死ね」と思っているのは、保育園に入れられなかった親だけではありません。個人のがんばりではどうしようもできない社会の軸や視点、ルールからこぼれ落ちてしまった人たちは、同じく叫び声をあげているのだと思いますが、その声はマイノリティと処理されてしまう、または特別扱いされてしまうのです。

私は7年ほどホームレスサッカーの現場に関わっていますが、周辺から「なぜ、ホームレスの人たちがサッカーをするの?」と何万回聞かれたことか。ホームレスの人たちはサッカーをしてはいけないんですかね......。というか、マイノリティの人たちは、やることなすこと全てに説明が求められる気がします。

マイノリティは、生きづらい社会のルールで生活しないといけない現状があります。作家で、ホームレスサッカーにも関わっている星野智幸さんとシンポジウムでご一緒したときの彼の言葉ですが「誰もがなんらかのマイノリティや弱さをもっているはず。それを隠して、無理に普通の顔をして道を歩いている」というようなことを仰っていました。

自分自身のマイノリティを前面に出?