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生活総研とお坊さんが、信仰の未来を考えてみた。

2017年02月03日 17時04分 JST | 更新 2017年02月03日 17時28分 JST

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博報堂生活総合研究所の酒井崇匡です。久しぶりのブログ寄稿となりました。

ところで皆さん、今年のお正月はお寺や神社に初詣には行かれましたでしょうか?私たちが実施している生活定点調査によると、20~60代のうちで「1年以内に初詣に行った人」の比率は2016年では68.3%で、92年の調査開始以来、60%台後半で安定して推移しています。一方、「宗教を信じる」という項目は漸減傾向が続いており、2016年調査で23.8%。初詣には行くけれど宗教は信じない、ということなのでしょうか?

信仰、あるいは宗教は、古くから我々の生活に大きな影響を与えてきましたが、核家族化・単身世帯化や都市部への人口集中などの中で信仰と日々の生活の関わりは徐々に薄らいでおり、近年では無縁墓の増加などの新たな問題も顕在化してきています。

生活総研では、昨年1月に発表した「みらい博 あしたのまちの100の風景」(http://seikatsusoken.jp/miraihaku2016/)でも、未来の「お墓・死後の扱い」の予測を行っていますが、今、岐路に立っている日本人の「信仰」の未来はもっと深く掘り下げるべきテーマではないか?と考えました。

そのような意図から、生活総研では昨年、「お寺の未来」代表理事の井出悦郎さん、同理事で「未来の住職塾」塾長の松本紹圭さんにお声掛けし、「信仰の未来」をテーマとした協創ワークショップを実施しました。

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(写真左)お寺の未来代表理事 井出悦郎さん

(写真右)未来の住職塾 塾長 松本紹圭さん

一般社団法人お寺の未来:

生活者とお寺・お坊さんをつなぐポータルサイト「まいてら(mytera.jp)」、寺院関係者向けのお寺の経営塾「未来の住職塾」をはじめ、総合的なお寺の経営支援を行なっている一般社団法人(oteranomirai.or.jp

このワークショップでは、博報堂生活総研、お寺の未来のメンバーに加えて、実際に信仰の現場で活躍されている僧侶の皆さん、お墓ビジネスに詳しい投資ファンドディレクター、Webメディアライターなど一般有識者の皆さんと共に、お寺や宗教、そして信仰そのものの未来シナリオを予測しました。

生活総研とお寺の未来は、ワークショップでの議論をベースに、その後も議論を重ね、信仰の未来シナリオをまとめました。

今回はその内容を博報堂生活総研 客員研究員であり、真言宗御室派に僧籍を持つ福井良應研究員がレポートします。

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博報堂生活総研 客員研究員

博報堂 関西支社 クリエイティブ・ソリューション局

福井良應

2008年博報堂入社。マーケティングプラナーとして、トイレタリー・自動車・酒類・食品・通信・自治体など諸分野でのブランディング、商品開発、コミュニケーション設計に従事。2016年より現職。また、真言宗に僧籍を持ち、実家の寺院にて副住職も務めている。

1.生活者から遠ざかる信仰

檀家(だんか)ってなに?

「あの、ちょっとすみません...、皆さんがお話されてる"檀家"ってなんですか?」「ええっ!?(知らないの!?)」「たぶん、若いコは分からないと思いますよ」。ワークショップ序盤、若手の参加メンバーから出たこの質問は、他のメンバー(特にお坊さんたち)に衝撃を与えました。

「檀家」とは、特定のお寺に会員のように所属し、お寺を経済的に支援する家のことです。宗派によって、「信徒」「門徒」とも呼びます。もともとは江戸時代に、民衆がキリシタンでないことを寺院に証明してもらう寺請(てらうけ)制度から始まるとされています。今でも先祖代々のお墓があれば、どこかのお寺の檀家として登録されているはずですが、それでも「自分は◯◯宗◯◯派◯◯寺の檀家だ」と即答できる人は都市部では少なくなっているでしょう。

檀家はお寺と信仰の土台

一方で、「檀家」という言葉を知らない人がいることにワークショップに参加したお坊さんたちが仰天したのは、お坊さんたちにとっての収入源が檀家さんからのお布施だからです。檀家さんの誰かが亡くなった時の葬儀や法要、地域によっては毎月の命日にお参りすることもあります。そのたびに受け取るお布施がお坊さんの主な収入となっています。

かつては各家庭に仏壇があり、お盆やお彼岸、年末年始、その他法要があるたびに顔なじみのお坊さんが家にやってきて、一緒に先祖を供養し、法話を話してもらう。また、年1回はお坊さんが檀家さんを連れて、京都などの本山寺院に団体参拝をする。そういった一連の慣習が、お坊さんに安定収入を保証するとともに、檀家さんには暮らしに安心感を与え不安を取り除く役割を果たしてきました。

地縁・血縁という前提の崩壊

一般の生活者とお坊さんとの認識のギャップは、都市化の進展や核家族化による地縁・血縁の消失によって、家庭から祈りの機会が減ってきていること、そして、お寺が存在していく前提である檀家制度が崩壊をはじめていることの現れでもあります。言い換えると、日本の社会が「祈りの専門家」を支える土壌を失い始めているということです。

一般的に、お寺だけで生計を立てられる専業寺院は3-4割で、近年は専業率が低下傾向にあると言われています。檀家が少なくなってしまったお寺は、収入が少なく不安定になります。それにしたがい、お寺を複数掛けもちしたり、兼業したりするお坊さんも増えています。

最近話題のAmazonお坊さん便など僧侶派遣サービスに登録しているお坊さんもいるでしょう。お坊さんの世襲という習慣も崩れつつあります。「もはや、坊主は金持ちとか、坊主丸もうけという時代は終わっている」、そんな声もお坊さんたちから多くあがりました。

しかしながら、ワークショップでは「お寺って税金かからないんですよね?お坊さんの収支ってどうなっているんですか?やっぱりお金持ちなんでしょ?」。そんな疑問の声も出てきました。こればかりはお寺の状況によるため、一概に言えないのですが、いずれにしても、かつて安定収入を得ていた僧侶という職業は、社会環境が変化した現在も実状が見えにくいため、誤解されている側面が多いようです。

生活から消えゆく信仰

生活者とお坊さんの接点は激減しており、「リアルなお坊さんのことを知る場はテレビ番組『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』くらいかも」、そんな意見もお坊さんからあがりました。「葬式仏教」と揶揄されるとおり、今では身内の誰かが亡くなった場合に、葬儀会社と契約しているお坊さんがやってきて、それきりの関係で終わってしまうこともままあるからです。

ワークショップのなかでも、「檀家の世代交代が起こらず、お寺と生活者の直接的関係が完全に切れてしまう可能性」について話し合われました。お寺業界としては、かなり悲観的なシナリオで痛みを伴う議論でしたが、いまの生活者の意識からすると当然考えられる未来と言えるでしょう。このまま行けば、従来のカタチでの信仰が、生活者の意識から消えてなくなるのは時間の問題と思われます。

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2.コンテンツ化する信仰

信仰は死んだか?

では、生活者から信仰の意識が失われたか、というと、そうでもなさそうです。

博報堂生活総研が2年に1度実施している「生活定点」調査(2016年実施)によれば、「信じるものは何ですか?」という問いに対して、「宗教を信じる」と回答した割合は23.8%。また、「霊魂を信じる」と回答した割合は32.2%で漸減傾向が続いています。

しかし一方で、成田山新勝寺への年間参拝者数はのべ1,000万人を超えるといわれており、2015年のユニバーサル・スタジオ・ジャパンの年間来場者数1,390万人に引けを取らない集客力を誇っています。

こうしたことからも、日本人は依然として宗教や信仰に対して関心を失ってはおらず、主観的な意識・感覚と実際の行動にズレがあると言えそうです。

信仰をめぐる新しい兆し

また、ワークショップでは、今生まれている新しい兆しにも議論が及びました。

ここ数年、若い女性を中心に神社仏閣を参拝した証である「御朱印」を集める行為がブームとなり、「御朱印ガール」という言葉が生まれています。「パワースポット」巡りも依然人気。最近では、瞑想法の一種である「マインドフルネス」という言葉をよく耳にするようになっていますし、「数珠ブレスレット」を身に着けるビジネスマンも増えているようです。

「座禅会」を開くと若い人が寺にやってくるという話が出て、「禅宗は座禅があるからいいですよね」と他宗派のお坊さんからうらやむ声があがったり、「飲み屋で出会った人に、自分が亡くなったらあなたに葬儀をお願いしたいと言われた」という驚きの体験談も聞かれました。

こうした動向を見ると、現在でも生活者は大きな心の拠りどころを探し求めて、なにか宗教的なもの、精神性を高めるものに価値を見出して、軽やかに行動していると言えそうです。従来の重々しい宗教的教義の枠とは無関係な、新しい信仰のあり方が生まれてきているのではないか。議論の過程の中で、そんな可能性が見えてきました。

信仰をコンテンツ化して受容する生活者

海外に目を向けると、フランスでも既存の宗教の戒律や教義を超えて、自分の心に合った自分なりの信仰をつくり出すことで神と結びつこうとする人が増えているそうです。

『COURRiER Japon (2012年8月号)』の記事によると、ユダヤ教徒でありながらプロテスタント福音派の活動にも参加する男性や、カトリック信者でありながら座禅を暮らしに取り入れる女性の話が出てきます。社会学者のダニエル・エルヴェ=レジェ氏は「現代では、戒律を破ったからといって火刑に処されることもなくなった。(中略)個人の心を戒律で縛りつけようなんて発想自体、もう人々に受け入れられるものではなくなった。信仰を好きなようにアレンジすることだって、個人に与えられた立派な権利なのだ」と語っています。

こうしてみると伝統的な信仰の希薄化は、日本に限らず都市化の進展や地縁・血縁の消失にともなう普遍的な現象と言えるでしょう。

また、「生まれたら神社へ行き、結婚したらキリスト教式で挙式して、葬式は仏式で僧侶にお経をあげてもらう」という慣習については、日本人の宗教観を語るときによく持ち出される話題です。

特定の宗教の枠にとらわれず異なる文化を受容していく日本人の宗教観について、ドイツ人禅僧のネルケ無方氏は「宗教のニオイがなくなった仏教」と呼び、「宗教をアク抜きしてニオイを消す日本人の精神性は、世界に誇れるものだ」と述べています(『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ(ベスト新書)』)。

ワークショップの議論の中でも、そのような意味では、生活者が「信仰をコンテンツ化」して自分の心に合うように、あれも大事、これも大事と手軽に組み合せることは日本人にとってさほど不思議なことではないのではないか、という意見も出されました。

さらに、「AR(Augmented Reality:拡張現実)やVR(Virtual Reality:仮想現実)といった生活者に新たな体験をもたらすテクノロジーが、信仰のコンテンツ化を加速させる」という可能性も議論されました。信仰のあり方を根本から変える要因として、テクノロジーの動向にも注視が必要そうです。

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3. お坊さんが激増する未来

信仰のDIY化

ワークショップでの議論は、ここで紹介したもの以外にも多岐に及び、生活総研とお寺の未来では、ワークショップ後も深掘りのための議論を重ねました。そこで見えてきたのは、お坊さんなど宗教的権威が身近にいなくなることによって、生活者一人ひとりが心の内に宗教者的な要素を取り込もうとしている、という可能性、いわば、信仰のDIY(Do It Yourself)化です。

モノからの執着を断ち切る方法論としての「断捨離」や、心身の鍛錬方法としての「ヨガ」のブーム、あるいは、「丁寧な暮らし」というライフスタイルへの関心の高まりも、いま生きていることを実感しよう、身近なところに幸せを見つけようという宗教的価値観がDIY化する兆しなのではないか、という解釈です。

お寺は地域に根ざした暮らしの「型」を与える家元へ

信仰がDIY化した未来についてお寺を例に考えると、一つのシナリオとして予測されるのは、地域のお寺がいっそう開放性を高める未来です。檀家だけでなく地域住民や子どもたちがお寺の運営に積極的に関わるようになり、さながらNPO法人のようになっていきます。

お寺は新たな役割として「丁寧な暮らしを学ぶ場」となり、掃除や整理整頓の仕方をはじめ、地場の食材を取り入れた食事のつくり方、食事のいただき方、おいしいお茶の淹れ方、美文字の書き方、植物の手入れの仕方など、日々心地よく生きるための暮らし方の「型」を伝授する家元のような存在になっていく、そんなシナリオです。

また、そのような環境において、お坊さんは人々に暮らしの型を教えるとともに仏教の教えや信仰について法話を行う。お寺は地域の歴史や伝統を人々に伝え、お祭りなど地域行事の主体としてコミュニティの中心になっていく。そうして、シビックプライド(地域に対する住民の誇りの感情)を育む主体となり、「葬式仏教」から「生活仏教」へと活動の場を広げていく。そんな存在でありたいと話し合われました。

お坊さん化する生活者

生活者一人ひとりに目を向けると、生活の型を大切にし、信仰に対して自分なりの理解を深めていくなかで、気軽にファッション感覚で出家する人も増えるでしょう。なかには、ミャンマーやタイのように一時的に出家して、本格的に仏教者としての素養を身につけようという人が現れたり、成熟社会を前向きに生きる術を学ぶという目的のもと、コミュニティ単位で集団出家しようという人たちが出てきたりするかもしれません。一般の人でも資格やスキル、教養の一つとして、「お坊さん」という側面を持っていく未来です。

そのように手軽に信仰をコンテンツとして選び取る未来においては、従来の宗教的教義の枠にとらわれずに様々な宗教、宗派の教えをミックスしたり、アレンジするような自己流の信仰のあり方も一般化するでしょう。

成熟した社会において、信仰がこれまでとは違った形で生活者の暮らしの拠りどころとして根ざすとき、日本人は信仰心の篤い国民と自認するようになっているかもしれません。