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「小さな政府」をスローガンに掲げるインド人民党の白々しさについて

2014年05月20日 01時09分 JST | 更新 2014年07月18日 18時12分 JST

インドの総選挙でインド人民党(BJP)が地滑り的に大勝し、外人投資家がインド株式市場に殺到しています。

「相場は相場」......僕は、そういう割り切った考えですから、騰がるものなら、短期のトレードで火遊びすることもやぶさかではありません。

しかし......

僕としては過去にインドの政治には何度も痛めつけられているので、どうしても冷めた目で見てしまいます。

因みに前回の総選挙では国民会議派が今回と同じような地滑り的大勝利を収め、それが判明した翌週は、一週間で+20%近くインド株が暴騰しました。

僕は国民会議派も基本的には信じていないし、そのライバルであるインド人民党(BJP)も信じていません。

■ ■ ■

そもそもインドという経済が、世界の投資家に注目されるきっかけとなったのは1991年のソ連の崩壊です。

インドが英国の植民地から独立を果たしたとき、インドはソ連にロールモデルを求めました。なぜならインドは資本主義にさんざん痛めつけられてきたからです。

そこで市場経済にソ連流の計画経済を「接ぎ木」するという、かなりハチャメチャな経済モデルを採用します。それが混合経済と言われるモデルです。

ところが師匠であるはずのソ連が崩壊し、友好国ソ連からの経済的、政治的支援が見込めなくなったため、経済が万年低迷していたインドは、いよいよ外資に対して経済的鎖国を解く必要が出ました。

1991年にインドが経済運営の方向転換を打ち出し、外資を積極的に呼び込む方針に転じたのはこのためです。

1992年5月にインドのエネルギー相がアメリカを訪問します。その際、起業家精神に溢れるエンロンの代表とミーティングを持ちます。今でこそエンロンといえば「悪の権化」みたいに忌み嫌われていますが、当時はアメリカでもっとも尊敬される企業のひとつでした。

このミーティングで話がトントン拍子に進み、1992年6月にはマハラシュトラ州政府とエンロン、ゼネラル・エレクトリックの三者が火力発電所建設に関する覚書(MOU)に調印します。

なぜ火力発電所か? という問題ですが、当時も今も、インドにとっていちばん不足しているのは電力であり、そもそもこの問題を何とかしないと、経済復興はありえないからです。

こうしてダボール発電所はエンロンが65%、マハラシュトラ州政府が15%、ゼネラル・エレクトリックとベクテルがそれぞれ10%という持ち株比率でスタートします。

同発電所の設計出力は2,184メガワットで、当時、世界に存在する天然ガスを燃料とする火力発電所としては最大でした。総工費は計画では29億ドルで、これも当時としては破格です。

実際にはエンロンが累積的に10億ドルを投入した時点で、このプロジェクトは頓挫しました。

ダボール発電所には、当初から懐疑派も居ました。世界銀行がそのひとつです。世界銀行は1993年の時点で「このプロジェクトが想定している消費者に対する電気代が高すぎる」として世銀融資を拒否しています。

1995年のマハラシュトラ州選挙の際、インド人民党(BJP)が「外資の脅威」を選挙の争点とし、キャンペーンを張ります。

この排外キャンペーンは、せっかくインドの人々のためになると思って、善意と友好の精神でプロジェクトに乗り出したエンロンやゼネラル・エレクトリックといった外資系企業の幹部を驚かせ、落胆させました。

ありていに言えば、BJPは有権者の歓心を買うために、外資をターゲットにしたのです。これはその後、インドで幾度となく繰り返される、てっとりばやい人気取りの手法となります。

こうして騒然としたナショナリズムの旋風が巻き起こる中、1996年5月の総選挙でBJPが得票を伸ばし、与党である国民会議派の連立政権は瓦解してしまいます。

するとダボール発電所の発注に際して、汚職があったのではないか? という追求が始まり、電力料金の高い設定が問題視されるようになります。

結局、揉めた末、エンロンは2001年5月にダボール発電所を放棄します。

エンロンのCEOはケン・レイという人で、電力事業の総責任者はトーマス・ホワイトでした。また海外部門を統括するエンロン・インターナショナルのCEOはレベッカ・マークで、エンロンの海外の発電所・パイプライン事業は持ち株会社、エンロン・グローバル・パワー&パイプライン(EPP)に集約され、株式公開されていました。

当然、そのコア・アセットであるダボール発電所が頓挫すると、EPPのビジネスモデルも崩壊するわけです。

何を隠そう、僕自身、EPPの新規株式公開(IPO)の際は主幹事証券の立場で、カート・ハネケ社長の「かばん持ち」をして、株を売って歩いた経験があります。だからインド政界の「心変わり」には梯子を外されたような、裏切られた気持ちになりました。

1995年の選挙の際、あれだけあからさまに「外資出ていけ!」というキャンペーンを張ったBJPが、今は「小さな政府」を標榜し、ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーをお手本としていることを僕は滑稽に思うし、(騙されないぞ)という警戒心が、厭でも湧き上がってきます。

後日談ですが、この事件をきっかけとしてエンロン社内で大きな権力抗争が起き、それまでのエンロンをリードしてきたエネルギー、電力関係の幹部、つまり「いい人たち」は根こそぎ葬られてゆきます。

そして代わりに権力を握ったのが「黒い帝王」というニックネームをつけられた財務畑のジェフ・スキリングというわけです。このマッキンゼー出身のジェフ・スキリングと、その手下であるアンディー・ファストウが、後に「飛ばし」事件でエンロンを倒産に導くわけですけど、それはまた別の話。