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国際金融の「盲腸」にすぎない特別引出権(SDR)に中国がこだわる理由

2015年07月15日 21時25分 JST | 更新 2016年07月15日 18時12分 JST

この秋、国際通貨基金(IMF)特別引出権(SDR)の比率が見直しされます。これを機会に中国は、SDRを構成する通貨バスケットに人民元も加えてもらいたいと考えています。

今日はこの問題について説明します。

【ドルの覇権】

第二次世界大戦が終わったとき、欧州ならびに日本経済はボロボロでした。

それらの国々の通貨も信用を失っていました。

これでは国際的な取引の際の決済通貨の役目を果たせません。

当時、アメリカは世界の鉱工業生産の50%以上を占めていました。このような圧倒的な経済力を背景に、ドルは世界で自由に交換される、唯一の通貨になりました。

復興途上にある各国が、外国にモノを売ったり、買ったりする場合、インボイスをドル建てにすることは、自分の利害を守るために絶対必要な措置だったのです。

当時アメリカはドルとゴールドの兌換を維持していた。その交換レートは、1オンス=35ドルでした。

このような事情から、国際通貨基金(IMF)の定款では、ドルの地位に鑑み、メンバー各国が為替レートを計算する際、「ドル換算すると...」という風に、ドルを基準として表現することを認めました。

当時の他国の事情を見ると、ドイツのライヒスマルクは国際市場で全く通用しなくなっていたし、フランスのフランは値動きが激し過ぎて貿易の決済通貨として全く不適当でした。さらに英国は戦争遂行のためアメリカに莫大な借金を作ってしまった関係で、ポンドの信用は地に堕ちていました。

各国中央銀行は、その気になればゴールドを貯め込むことで準備金を積み上げることも可能だったわけですが、新しいゴールドの供給は細っていました。

しかも当時はソ連が主な産金国だったので安定的供給に不安がありました。だからまずゴールドをかきあつめ、その信用の後ろ盾として自国通貨を国際決済市場でデビューさせるというやり方は、ムリな選択肢と考えられていました。

だから各国とも、しぶしぶドルを蓄えたのです。

こうしてドルが基軸通貨となったので、アメリカは国際収支を気にしなくて良くなりました。これは途方もない特権です。

それまで世界の基軸通貨はポンドでした。第二次大戦が終わった時点で、イングランド銀行にある準備はポンド2に対し、ドル1の割合でした。

だから一見すると未だポンドは基軸通貨としての地位を保てるような印象を与えていました。

しかし実際には、英国がアメリカなどに作った借金は準備の16倍にもおよびました。

旧英領各国がポンドを持ち続けた唯一の理由は、それが戦時下であったからというものでした。戦争が終わってしまえば、もう英国に義理立てする理由は無いわけです。だからポンドの暴落は、時間の問題でした。

【戦争終結後の世界をどうする?】

未だ第二次大戦が戦われている最中に、アメリカとイギリスは戦争終結後の世界に関する青写真の策定に入りました。それを指導したのはイギリスのカリスマ的な経済学者、ケインズです。

ケインズは第二次世界大戦を通じて英国大蔵省の利害を代表し、戦後体制の構築のための交渉をしてきました。ケインズの頭の良さは世界のリーダーに知れ渡っており、彼は圧倒的なオーラを出していたわけです。

しかしアメリカはケインズに全てを仕切られるのを快く思っていませんでした。

英国の復興資金を支援する際、英国の管理通貨体制を止めにしましょうという条件をつけました。これはケインズにとって想定外でした。

1947年7月15日にポンドがドルと自由に交換できるようになると、世界の人々は一斉にポンドを売り、ドルに換えました。このとき、一か月でイングランド銀行の準備金は25億ドルから10億ドルに減り、基軸通貨国としてのイギリスの地位は崩れ去ったのです。

実は英国は1941年頃までには経済の実力の見地からはもう基軸通貨国の地位に君臨し続けることはできないことを悟っていました。

そこでアイデアのパワーで世界をリードするしかないと考えました。

アイデアマンのケインズは、クリアリング・ユニオン(決済組合)という概念を提唱しました。そこでは加盟各国が「バンコール」という帳簿上の計算単位を使用し、貿易の決済の際に利用できる一定の信用枠を与えられる仕組みでした。

バンコールが国際収支の大幅黒字を享受している国をターゲットにした、対抗策であることは明らかでした。そしてそのターゲットはアメリカでした。

アメリカのハリー・デクスター・ホワイトはそのことを見抜いてバンコールのアイデアを却下します。

そしてクリアリング・ユニオンという名前ではなく、スタビリゼーション・ファンド(安定化基金)という名前を使うことを提唱します。そこでは各国が自国の通貨を基金に預金することが決められます。米国は世界最大の経済だったので、当然、最大の預金を払い込むことになります。

1944年7月ニューハンプシャー州ブレトンウッズで二週間に渡る交渉の末、スタビリゼーション・ファンドが誕生します。これが国際通貨基金(IMF)の前身です。

さて、折角、スタビリゼーション・ファンドを作っても、各国は戦争で一文無しになっていたので、基金に預金するお金がありません。

そこでアメリカは欧州に対してはマーシャルプラン、日本に対してはドッジプランを発表します。

これらは、それらの国々にお金を貸し、かれらが貿易黒字を蓄積することで、準備通貨を預けることができるようにする方策です。

このような支援を受け、ドイツや日本は産業を復興させ、輸出することで外貨を獲得できるようになりました。

このように敗戦国が立ち直ってくると、アメリカ国外に蓄積されたドルが増えました。

そしてとうとうアメリカ国内で保有されているゴールドの保有高よりも、アメリカ国外に蓄積されたドルが増えたのです。

するともし各国がドルからゴールドへの換金を相次いで要請したら、アメリカの保有するゴールドが底をつく可能性が出てきたのです。

この交換窓口、つまり「ゴールド・ウインドウ」をどうするか? が1960年頃までには潜在的リスクとして認識されるようになりました。

【金本位制の矛盾を解決するための方策】

経済学者、ロバート・トリフィンは「ゴールドは有限であり、その一方でドルは無限に印刷できる。すると両者の兌換を保持し続けることは不可能なのではないか?」と考えます。これが「トリフィンのジレンマ」と呼ばれるセオリーです。

つまり貿易を振興されようと思うと貿易量の増加に合わせてその決済のための通貨の量も増えないといけないけれど、ゴールドの産出量は限られているので兌換を堅持している限り世界の貿易量の成長を抑えてしまうというわけです。

この矛盾を解決するための方策として、ドルの供給を増やすことなく各国が準備を積み上げることが出来るようにする仕組みとして特別引出権(SDR)が1969年に考案されました。

これはIMFの中だけで通用する「通貨」です。つまり準備を補完するための帳簿上の覚書みたいなものです。IMFのメンバー国が、IMF内だけでSDRをハードカレンシーに換金することができました。当初の交換比率は35ドル=35SDR=1オンスのゴールドでした。

しかしSDRには問題がありました。

まずSDRは政府間でのやりとりだけにしか通用せず、民間企業とのやりとりには利用できなかったことです。

つぎに新しいSDRを発行するにはIMFの投票の85%の承認を得る必要があったことです。これは事実上、新しいSDRの発行に際して、米国に拒否権を与えることになりました。なお、この85%の承認を必要とするという条件を発案したのは米国ではなくフランスです。なぜならフランスはSDRの導入により過度の信用が創造されることを懸念したからです。

ところで、このSDRが誕生する前夜に、既にSDRが時代遅れになってしまう兆候が出始めていました。それは英国のポンドの価値が下落しつつあったことです。

ポンドに対する不安はゴールドの価格高騰を招きました。金価格が急騰すると、アメリカに保管されているゴールドを引出したいというリクエストが殺到しました。つまりSDRは金本位制度の持つ限界を補うため、屋上屋を重ねるようなツギハギの措置だったわけですが、その土台となっているゴールドの兌換そのものが、グラグラしはじめたのです。

【ニクソン・ショック】

1968年に大統領になったニクソンは、「空気が読めない」ことを誇りにしており、国際協調より単独行動を好みました。彼はテキサス州知事だったジョン・コナリーを財務長官に据え、高飛車な外交に出ます。

この命を受けてジョン・コナリーは欧州で「アメリカにおんぶにダッコを求めるのは、そろそろやめにしろ」とスピーチします。

国際決済銀行(BIS)はコナリーの説教くさいスピーチに不快を表します。この不和が伝えられると、米国からのゴールドの流出が加速しました。

これを見た英国は、不安になって、自分が持っているドルを「ゴールドに換えたい」と米国に通告します。これがきっかけとなり米国はドルとゴールドの兌換を停止します。これがいわゆるニクソン・ショックです。

richard nixon president 1974

【こんにちのSDR】

ドルとゴールドの兌換を止めるということは、際限なく輪転機を回してドル札を刷れることを意味し、それは「トリフィンのジレンマ」の原因が消えてなくなることを意味します。

すると「トリフィンのジレンマ」に対する方便としてのSDRの役割も、当然、無くなってしまうわけです。

つまりSDRはデビューして間もなく、「盲腸」のような存在になってしまったわけ。

そのこともあり、SDRは過去に2度しかメンバー国に分配されていません。一回目はSDRが創設されたときで、二回目は1981年です。

SDRのバリューは、ドル、ユーロ、円、ポンドの、そのときの為替レートに基づき計算されます。

SDRの構成比率の見直しは5年に一度であり、その時々の各通貨の相対的重要性を反映しています。

さて、このようにSDRはこんにちでは国際金融の世界におけるペダンチックな興味の他、実利的な側面は殆ど持ち合わせていません。いわば金融クラスタのマスターベーションのオカズ以外の何物でもないのです。

しかし中国政府はこのSDRに人民元が加えられることを今年の目標に据えています。つまり中国からすれば、これはメンツの問題なのです。

上で書いたように85%の参加国から承認を受ける必要があるということは、実質的な米国の拒否権を意味するので、この件をめぐる中国の米国に対する気の遣いようは並大抵ではありません。逆に米国もこの件で中国のプライドを傷つけることが無いよう、腫物に触るような慎重さで臨んでいます。

中国経済の実力から考えて、人民元がSDRに含まれるのは当然の成り行きだと思います。

しかし中国としては、たんに人民元がSDRに含まれるだけでは満足せず、構成比率として日本円より人民元の方が重いウエイトを獲得するという期待を持っています。

各通貨のウエイトは、各国の経済規模なども考慮されるため、今は見かけ上の中国経済のGDPをドルベースで高く維持する必要があるわけです。そのためには人民元を切り下げるのではなく、今の交換レートを堅持する必要があります。

いま中国は輸出が不振で、外貨準備もどんどん減少しています。第1四半期の外貨準備の減少額は1,130億ドル、第2四半期の減少額は400億ドルでした。これらのことは人民元が割高になっていることを示唆しています。

でもSDRのウエイトが決まるまでは、中国は為替による景気テコ入れを控えるかもしれないというわけです。

(2015年7月15日「Market Hack」より転載)