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新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について (2)

2014年02月19日 01時06分 JST | 更新 2014年04月20日 18時12分 JST

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新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について (1)

黒鉄花子ことザハ・ハディドと思ったのですが、

アラビア語のご専門の方から

ザハじゃ「花」ではない、とご指摘受けました。

私のアラビア語は大学時代に第三外国語で2年ほど、

シリア人の先生についてやっただけの代物ですから、

ザハ=ザハラ=花ではないですかあ、

とするとザハは語源はなんでしょうかね。

単純に女性の名前でしょうか

ただ音だけの命名ならやはりザハはジオンの新型モビルスーツの

イメージでいった方がいいですかね。

ズゴックの筐体にグフの頭部ユニットとドムの脚部を付けた感じですかね。

ということで、「鉄の女ザハ」でいきますか。

このザハなんですが、コールハースのとこ辞めて自分で事務所開いたんですけど

なかなか実作に恵まれなかったんです。

これは建築家という職業では非常に重要かつシビアな問題なんですが、

建築というジャンルはもの凄いアイデアと構想をもっていても、

現実にそれが建設されなければ評価としては月とすっぽん、

100か0かっていうくらいキャリアに違いが出るんです。

それでも、現実化できなくてもかまわないくらいに建築の概念や、

デザインコンセプトを先鋭化したケースはアンビルドアーキテクトと言われて

それなりの業界評価を得ていたりもします。

あくまで芸術性としてなのでしょうけれど、、

過去にもルドゥーとかブーレとか、ピラネージとか

ピラネージ参照過去記事:

ワンピースにおける建築的考察3

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最近だとレベウス・ウッズとかピーター・クックとかといった人たちです。

レベウス・ウッズ、ピーター・クック参照過去記事:

レベウス・ウッズ アンビルドアーキテクト1

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上海万博日本館とピーター・クック

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ザハもきっとそうなってしまうんではないか、、そう思われていました。

80~90年くらいまでは。

やはりヨーロッパでは都市においても伝統的な街並みや古典的風景が観光資源や

文化的価値として認識されており、そういった街並みというのは地域や時代ごとに

ある一定のルールや秩序によって全体としての景観が保たれているからでしょう。

そのため、イギリスだと王立アカデミーとかメインの建築教育では歴史や様式の教育もけっこうおこなわれています。

何世紀の装飾やオーダーはこのようになっているからして、、といった具合です。

だから、AAスクールみたいなインディーズ系の建築教育を経た建築家による現代美術的なフォルムやコンセプト重視の建築はなかなか建たない。

ましてや、技術的に未解決な建築提案に実際に金を出す人は少ない。

なので、ザハもそういったアンビルドアーキテクトで終わってしまいそうだったんです。

ところが、なんでもありの都市、国があったのです。

それは日本でした。

しかも、80年代後半~90年代前半はバブルでした。

なぜか、この建たないザハ建築を建ててみたい!

っていう酔狂なディベロッパーが日本に居たのです。

ザハだけではありません。

ザハの師匠であるレム・コールハースにも実作の機会を与えた国、それがジャパンです。

↓磯崎新がコールハースに建てさせてやったネクサスワールドの集合住宅

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レム・コールハースという人も建築の芸術的コンセプトを考えに考え過ぎて、

建たない人でした。

ついでに、ピーター・アイゼンマンという人もそんな感じで日本で大型物件を初めてものにしました。

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ピーター・アイゼンマン参照過去記事:

「魔法少女まどか☆マギカ」でも建築的考察なのか?②

これらのコンセプト偏重で現実化しにくい建築的テーマをもった世界の建築家に人たちに、

なんとか現実化するように旗振りしていたのが磯崎新という人です。

磯崎新という人は、業界内と芸術周辺の専門家には超有名なのですが、

その活躍振りに比べて一般には知名度がついていっていない建築家です。

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日本のロック音楽界でいえば風貌や雰囲気からして、

サディスティックミカバンドの加藤和彦さんみたいなポジションですかねえ。

戦後日本の建築界の帝王、丹下健三の弟子だった人です。

大阪万博のころまでは丹下健三さんのところにいて、

高度成長期がちょっと翳りを帯び始めたころに登場しました。

と、ザハの解説からちょっとズレちゃいましたが

ザハが今のように超有名になってしまうことに結構日本の建築界は一役かっていたのです。

なぜ磯崎さんの話が出てくるかというと、

ザハが世の中に知られるようになったきっかけになった建築案があります。

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この設計図面というよりも抽象絵画といった方がいいような提案。

山の斜面はフランシス・ベーコンみたいにうねっていますし、空は黒い

肝心の建物は尖がった断片が宙に舞っているようなドローイング

香港のビクトリアピークで建てる予定の建築コンペで当時無名のザハの案を

磯崎新さんが1等に推薦したといわれています。

当時、わたくしもこの提案を見ても何がなんだかわからんが、

絵から伝わる感じ?プログレッシブロックのジャケットのような寂寥とした宇宙観

YESとかキングクリムゾンの新譜にこそふさわしいイメージに、

空は黒く塗るとかっこいいのか

と思った記憶があります。

ですが、当然建ちませんでした。

(2013年10月22日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

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