新国立競技場のもう1つの可能性。ケンチクボカン伊東豊雄(3)

伊東先生は最初の「アルミの家」の作風も壊し、「White Uこと中野本町の家」で確立した都市と個人の対峙、自然と人工物の対峙、永遠の時間、抽象的空間性といった作風をさらに壊していくのですが、もう一度、建築の哲学や美学的意味のモデル構造を見てみましょうか。この三角形の上に向かって、ほとんどの建築家の人たちは仕事をしたいと考えています。それが評価にもつながるからなんですが、、、

伊東先生は最初の「アルミの家」の作風も壊し、

「White Uこと中野本町の家」で確立した都市と個人の対峙、自然と人工物の対峙、永遠の時間、抽象的空間性といった作風をさらに壊していくのですが、

もう一度、建築の哲学や美学的意味のモデル構造を見てみましょうか

この三角形の上に向かって、ほとんどの建築家の人たちは仕事をしたいと考えています。それが評価にもつながるからなんですが、、、

しかしながら、建築には用途もあれば資金や敷地など様々な制約があります。

同時に実行にはクライアントの事情や理解、賛同といったものも不可欠です。

なので、資金や時間に制約があったり、クライアントが上方向への価値を認めない場合には下に下に落ちていきます。下に下げようとする意志が働くというより、常態で下向きに引力かかっているといった方が適切でしょう。

食べ物でも「安く、早く、腹が膨れればいい」となれば、食事や料理とは呼べないものになっていくのと同じです。

なので、予算的制約や機能的制約が多い、社会的事情による不況期などは建築文化として価値があるものを目指すことは非常に難しくなります。

伊東豊雄さんが、なんとか上記モデルでいうところの上方向に引っ張り上げた案件が、「PMTビル(1978)」です。

ファサードをグニャリと曲げたんですね。

このPMTビルを見る限り、正直、建築するだけで精いっぱいで、単に「糊口をしのぐ設計仕事」と割り切って、機能や技術的解決だけでも十分だと思うんです。

並みの建築家ならあきらめるとこでした。

それに、機能要求の高いビルなんですから、あきらめても怒られません。

でも、伊東さんはあきらめない、粘る。

結果として、建築表現の領域を拡張しました。

このPMTビルでは建物のファサードを薄皮一枚剥いで、しなやかに曲げて戻してあります。住宅のバルコニー程度およそ1メートル程度の範囲での動きですが、シルバーのパネル仕上げの反射のグラデーションの効果もあって、非常に効いていますよね。

これは、溶かしたビルをデザインしたオーストリアの建築家ギュンター・ドメニクよりも前、今では建築のファサードをゆらがすことで有名なアメリカの建築家フランク・O・ゲーリーより20年も先走っており、彼に多大な影響を与えているでしょう。

街並みの中でこのビルだけが軽やかでウィットの効いた知的な印象を与えています。特に、ビル全体が丸いのではなく、まっすぐな面からいったんふわりと膨らんで戻しているため、モーフィングのような効果を生み、通常のファサードとの対比によって、建築におけるファサードとは何か、、といった問いかけを生じる。

現代美術作家としての操作性、批評性を感じ取ることができます。

村野藤吾さんという戦前戦後の重鎮の建築家の方がいました。

とても著名な方なのですが、その人の言葉の中に

「僕は99%クライアントの声を聴きます。自分の建築的テーマは1%も入れることができない。しかしその1%で建築を支配する。(建築的価値を高める。)」

というとてもカッコイイ言葉があるのですが、

この伊東さんのPMTビルの場合は、クライアント事情の前に、物体としてもさわれた部分が1%くらいしかないんですよ。

建物 -------- 慣習的に建造物全般を指す。

建築・建設 ----- 建物の建造技術や成果物、社会的な行為一般を指す。

( ) -------- 建物に対する高次の哲学文化的意味論的概念を指す。

この言葉の3段階定義そのほとんどは「建物」で終わっています。

しかし、最期に残されたファサードの処理で( )を造ったわけです。

この、ファサードを街並みに向けてメディアとして発信させるという操作は、当時あまりに新しすぎて、建築として軽いものと思われていました。

「これはあまりに軽すぎる」と。

しかしながら、こうしたファサードに記号的操作を加えて建築作品と為す、という

これまで気付けなかった方法論を確立されました。

ポストモダンが隆盛となる10年も前に、

磯崎さんのつくばセンタービルよりもずいぶん前に

ひっそりとおこなわれた、ひとりポストモダンです。

次も大問題作です。

僕が学生時代に建築の勉強してたころ、伊東豊雄という建築家に興味をもった

最大要因の建築でもあるのですが、

こんだけ前振りしても、今見るとみなさんきっと「はあ~?」だと思います。

しかしながら、この建物は凄いんです。

この建物を( )にまでもって行こうというのは、、、、

小金井の家(1979)です。

家とうたってありますが、、おそらく、鉄骨のただの倉庫にしか見えないでしょう?

鉄骨にアスロック(押し出し成形セメント板)だけで出来ていますからね。

これは素材的には完全に倉庫なんです。

これ見た当時、本当にスゲー!!って思いました。

なぜなら、マルセル・デュシャンだから

レディ・メイドだからです。

「レディ・メイド」というのは、デュシャンが生み出した芸術的概念なのですが、

既製品が当初の目的、元の機能から離れたときに別の意味をもつようになる

「芸術作品として展示された既製品」のことです。

歴史的に有名な作品がこれです。

これ、ただの便器ですよね。

でも、これに「泉」とタイトルをつけて美術館に展示したんです。

もの凄い物議をかもしました。

デュシャンは、

芸術作品に既製品をそのまま用いることにより、

「芸術作品は手仕事によるもの」という固定観念を打ち破り、

また「真作は一点限り」という概念をも否定した。

といわれております。

デュシャンいわく、機能を離れた既製品を美学的に観測するのではなく、

見る人の思考を即す「観念としての芸術」と位置づけています。

伊東豊雄さんの「小金井の家」もまさにそうで、それまで住宅の素材とは顧みられていなかった、鉄骨にシステマティックに外壁を留めつける倉庫用の建築システムで家としたのです。

窓も単に水平にぐるっと回っているだけですし、内部の電気配線に至っても工場や倉庫に見られる金属管によって成されています。

作家としての恣意的な要素は鉄骨に塗られた黄色だけですが、それすらも、もしかしたら工場や倉庫における標準色かもしれません。

伊東さんは、PMTビルで見つけ出したポストモダンの先端的手法をまたしても、根底から破壊している。それだけにとどまらず建築デザインという行為すらその固定観念を打ち破ろうとしたものといえるでしょう。

クライアントがアトリエのような機能として即物的空間を望まれたのかもしれませんが、おそらく予算的な制約等により、具体的な処理、物理的仕様の操作が究極不可能になった場面でも、伊東さんが建築の意味や評価を観念だけで生み出そうとしたものです。

この「小金井の家」を、建築の( )として認めさせたことにより、この後の日本の建築家たち、特に駆け出しの若手の建築家たちに、今現在でも多大な影響を与えています。予算がなく、素材にこだわれず、空間にも余裕のない案件でも、建築的価値を生み出せる。

それは、3コードだけでも下手くそでもバンドを組んで音楽界の歴史を塗り替えたパンクロックのようなポップさとアバンギャルド性です。

現在までも若手建築家が建築作品に取り組む希望を生み出した極北に位置する星のような建築といえるでしょう。

今でこそ、工業製品としての鉄骨やアスロックをそのまま見せたりすることも、建築表現のボキャブラリーとして認知されましたが、当時は画期的なことだったのです。

そういった意味でも、伊東さんの建築の中で僕が一番好きな案件です。

このチープインダストリアルな表現は、まさにパンクです。

「小金井の家」は、それくらい、クソつまんなくて超クールな最高の建築なのです。

さて、次はどんな変化をしてくるのでしょうね。

「生きる、死ぬ、託す。」

伊東先生の1980年代にいってみましょう!

(2014年5月4日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

注目記事