現在25歳の僕が仕事を辞めて、海外でフリーライターになったわけ

今、僕はカナダに在住するフリーライターとして活動しています。

「俺、将来海外に住むでな。」

今思えば、あの時の言葉がすべての始まりだったように思います。

今でも鮮明に覚えていますが、あれは高校2年の夏の部活からの帰り道で、同じ部活のK君と将来の夢について語っていた時でした。

とにかく洋画が好きだからその世界の中に住んでみたいという、なんとも単純な、でも強い夢でした。

あれから約7年たった今、僕はカナダに在住するフリーライターとして活動しています。

あの時から「海外に住む」と決めていましたが、正直にいって、ライターになったのは成り行きでしかありません。

でも、考えてみるとその成り行きに任せた結果、人生の中のいろいろな点が線で結ばれた感じがするので、今は楽しくこの仕事に取り組めています。

今日は、なぜ僕が海外在住のフリーライターになったのかについて書きます。少し長くなりますが、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。

ここまでに至る道のりは一直線ではありましたが、その途中で3つの挫折がありました。

その1. 高校の成績が不振すぎて挫折

Photo from フリー写真素材ぱくたそ モデル:ゆうき

ところで、海外に住むと決めた時に、その手段として真っ先に考えたのが、海外の大学に進学することでした。

ただ、ここで問題が。

僕は高校の2年の時に、「よし、海外に住もう」と一念発起するまで、ほとんど勉強をしていませんでした。勉強をしてなかっただけならまだしも、授業にもまじめに取り組んだことがありませんでした。なので内申点はボロボロ。

でも、いろいろ調べるうちに、GPAというアメリカの成績制度(日本の内申点のようなもの)が入学の条件にあげられていることを知り、しかも自分のその時の内申点だと、調べた大学はすべて足切にあってしまうと知ったんです。

中学も高校もまともに勉強してなかった自分を悔やみましたが、それではしょうがないと、違う方法で留学する手を考えました。

そして調べているうちに、大学によっては交換留学という長期の留学制度があり、海外の大学で学問を学べるということを知ったのです。

「海外の大学に通うにはこれしかない!」と思いました。

ただ、ここでもまたまた問題が。

よくよく考えてみると、内申点があまりにひどかったので、公立には行けそうにもなかったのです。むしろ、それまで大学に行くなんて考えてませんでした。

それをもちろん親に話さなければいけない。

つまり僕の両親にとっては、「私学に通う+留学する」という、とてつもなく費用がかかりそうな話を、今までまともに勉強もしてこなかったバカ息子から聞かされるという地獄。(笑)

僕が親だったら、こんな顔するでしょう。

( ゚Д゚)。

ところがこの話しをした時、意外にも反対はされず、僕の父親はこう言いました。

「私学にも行かしたる。留学もさせたる。でも、そうすんなら名古屋で一番の私学にしか出願させんでな。」

そこで僕はこんな顔になりました。

( ゚Д゚)。

さて、こんな条件を突きつけられてしまってはどうしようもないので、言われた通りに頑張るしかないなと腹をくくった僕。

学校の進路希望用紙には、第一希望の欄にその大学しか書かずに提出しました。

3度呼び出されました。

ただ、どれだけ先生に「やめておきなさい。」と言われても、僕にはそれしか手がないので、とりあえず猛烈に受験勉強に取り組みました。

そんなこんなで晴れて希望の大学に合格をし、大学の授業でも成績の鬼になった結果、正式に交換留学生としてアメリカに行くことになったのです。

ただ、帰国した僕にはさらなる挫折が待ってました。

その2. 「君には海外で働いてもらおう。」なんて甘い企業がなくて挫折

Photo from フリー写真素材ぱくたそ モデル: 大川 竜弥

さて、無事に帰国した僕は早速、他の学生に混ざって就職活動にいそしみます。

希望は「海外で働くこと」。そうやって海外で生活するために頑張ってきたんだから当然です。

しかし、結果は失敗。

「海外にしか興味ありませんよ。その熱意しか強みはありません。」なんて生意気な若造を雇ってくれる企業があるわけもなく、結果的に自分の希望とは全く違う会社に勤めることになりました。英語を使うこともなければ、海外に行けるチャンスもない。

自分には「まあまあ、いつか海外に行くにはお金も必要だし、頑張ればいっぱいボーナスももらえる職業だし。」と言い訳をしていました。

こうして僕は証券マンになりました。

ところで証券マンというのはなかなかハードでカオスな仕事で、毎日23:30時ごろに疲れ果ててベッドに倒れこんでは、朝5時に起きて仕事に向かうという日々が続きました。

疲れ果てた僕は、夢を忘れかけていただけでなく、学生の頃のように何かに一生懸命打ち込むことさえも忘れてしまっていました。

そうこうしているうちに、2度お正月を迎えました。

そうして無気力に毎日を過ごしていたある日、いつだったか忘れましたが、「これではいけない。」と思い立った時期があり、気づけば退職届を出し、カナダ行きの飛行機に乗っていたというわけです。

貯金もたいしてありませんでした。おそらく9割は「えいやっ」の思い切りだったと思います。

周りには反対され、「せめてあと数年過ごして、もっと経験を積んでからがいい。」という言葉にも耳を背け、「えいやっ」でカナダの地に降り立ちました。

晴れて海外生活の始まりです。

でも、またまた挫折が。

その3. 思い切りが良すぎて、プラン不足で挫折

Photo from フリー写真素材ぱくたそ モデル: OZPA

さて、無事にカナダに到着した僕はあることに気が付いてしまいます。

「あれ?俺は何して働きたいんだろう。」

そう、「海外で住む」ことは初められてよかったとしても、自分が仕事として何をしたいかについて全く考えてなかったのです。

こうして不安になった僕は、ネットでいろいろな職業について調べ始めます。

そこである日「フリーランス」という言葉を知りました。調べてみると、フリーランスとは特定の組織に属さずに仕事をしていくという何やら生命力の高そうな人たち。しかもどうやらフリーランスにも色々あるらしく、そこには「どんな仕事でもフリーランスになりうる」なんて事が書いてありました。

それに加えて、オフィスで働く必要のないフリーランスは、自分の住みたいところに住むことができる。

「なんと素晴らしい!」と驚愕して、こんな顔になりました。

( ゚Д゚)。

こうしてフリーランスを目指そうと決めた僕は、どの種類のフリーランスになりたいのかを決めるため、ある方法を試してみることにしました。

それは、僕はこれまで熱中していたことをすべて書き出してみるということ。

すこし恥ずかしいですが、その時のメモ書きが残っていたので載せておきます。(人に見せる予定のものではなかったので、汚い字ですみません。落書きしててすみません。あと、一つ目に"Dota2"というゲームを書いててすみません。

そうすると、自分はなるほど「本を読むことがすきで、Facebookだとかで自分の考えを書くことが好きで、知ったことや調べたことを人に話すのが好き」な人間なのだと知りました。

じゃあ「書いて伝える」フリーランスになろうと決めたのはそのためです。これだけ。

こうして、その日からフリーライターとして肩書を自分で勝手に決め、活動を始めることにしたのです。

こう経歴を振り返ってみると、情熱だけの行き当たりばったり少年だ

ここまで読まれたみなさんの中には「なんだこいつ。全然プランもなくて行き当たりばったりのやつじゃないか。」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

おっしゃる通りだと思います。

僕はライターになるにあたって、別に大学でジャーナリズムや文学を専攻したわけでもなければ、物書きになる夢をずっと持っていたわけではありません。

ただ、僕が続けたのは「海外に住みたい」という夢に忠実になってただけです。

僕は訓練をつんでこなかったので、文章がうまいわけでも、文学的な知識に長けているわけでもありません。

ただ、寝食を忘れて書けます。

自分の夢を叶えてくれそうなこの仕事が好きです。それだけがライターとしての自分の強みだと思ってます。でもライターとしての経験も実績もまだまだ。なので、良いライター、フリーランスになるにはという話は、大先輩方に譲るとして、僕が伝えたかったのは「たとえ思い切りでも、夢に忠実に行動し続けていればいいんじゃないでしょうか?」ということ。

今の時代、パソコン1台さえあれば仕事ができてしまう職業は沢山あります。それが好きならなおさらで、別に経験がなくても、経験があっても好きじゃない人よりはいい仕事できると思います。

それに、これはすごく月並みな言葉なんですが、「若いうちなら失敗きく」と思います。

でも、我慢しちゃったら失敗はしなくても後悔はすると思います。

僕は、ボロボロの内申点を見て、スムーズにいかない状況を作った僕自身にすごく後悔をしたので、それだけは避けたい。

だから、後悔しないように一歩踏み出せば良いのではないかなと思います。

ブログを始めたのも最近になってですが、それでもこうして記事を書き溜めていくことで、リアルタイムで見てくれている方々には成長していく姿を、将来になって振り返って見てくれる方には(願わくば成功)体験談を伝えられればいいなと思います。

そうすることで、同年代の人に一歩踏み出す勇気を与えられたら幸せです。

それが楽しいから、それで夢が叶えられると思うから、今日も僕はこうして記事を書きます。

(2016年2月22日 「TakuyaKimura」から転載)

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