2016年にムスリムが願う10のこと

言わせてほしい。ISISよ、イスラムと名乗るのをやめてくれないか?
Blue Mosque at sunset
Blue Mosque at sunset
Kees van den Berg via Getty Images

あなたは願い事をして、それが叶ったことがあるだろうか?

現実には、流れ星に願おうと、バースデーケーキのキャンドルを吹き消す際に願おうと、鳥の鎖骨(欧米では、食事時に残ったこの骨を折るときに願い事をする)に願おうと、科学的にみてそれらの行為が結果を出すとは考えられていない。それでも、希望を込めて、儚いながらも新年の10個の願いを記そうと思う。そう、世界15億人のムスリム(イスラム教徒)を代表して。

1.ムスリムとISISが混同されないこと

私の名前はISISではない。イスラム国でもない。事実、イスラムや「イスラム国」という単語は私のミドルネームに一切存在しない。にもかかわらず、かのグループの行為についてどう思うか、繰り返し尋ねられる。誓って言いたいことは、ISISもISILもISも私の家系とは無関係であるし遠い親戚でもない。2016年、私は今年こそ、ISISと混同されないことを願う。

ISISが何を考えているのかなんて知らないし、彼らがなぜあんな行動を取るのかもわからない。どこかの国家の広報官が、友好関係にある別の国家について尋ねられるのとはわけが違うんだ。

最後に言わせてほしい。ISISよ、イスラムと名乗るのをやめてくれないか?

2.ムスリムであることを理由に、同胞を殺すのをやめること

数十年ほど前から、ムスリムとしてのあり方が間違っているとか、新しいタイプのムスリムだとかいう難癖をつけて、同胞を殺すムスリムが出てきた。

そこには、「タクフィール(takfir)」と呼ばれる、「裏切り者、不心得者のムスリム」という意味の概念を基盤にした論理がある。その概念をもとに、身勝手な判断で、ムスリム失格とした者を殺すのだ。想像してみてほしい、これは黒人であるのに黒さが足りない、と難癖をつけて大量虐殺を行うようなものだ。

これは、今から700年前のイスラム法学者、イブン・タイミーヤが唱えた教義に端を発している。タクフィールに当たると判断したものは、殺しても許されるとする馬鹿げた考えだ。こんなひどい状況でなければ、笑い飛ばせば済む教えではあるが、実際に2000年代のバグダッドでは一般の理髪師が捕まって銃殺される事件も起きてしまっている。

3.イスラム世界の死や破壊が短期間でも止むこと

イエメンイラクリビアソマリア、そしてアフガニスタンに至るまで、いわゆるイスラム世界と呼ばれる場所のあまりにも多くに、内戦が蔓延している。独裁者、武装グループ、過激派にテロリストたち。彼らは見境なく人を殺す。男も女も子供たちも、みな餌食だ。

こんな状況が終わってくれればいいのに、と思う。ただでさえこんなひどい有様なのだから、外部からの勢力がさらなる殺戮を働くことも、もうたくさんだ。2003年のイラク侵攻を挙げれば、外圧が何ももたらさないことを示すには十分だろう。このメッセージがロシアにも届いていればいいのだが。

4.世界中の人々が、「よそ者」とも仲良くやっていくこと

2015年、北米で選挙戦の台風の目となったトルドーとトランプの二人はまさに対照的だった。世界に必要なのはトルドーの方だ。ドナルド・トランプではない。

今、「よそ者」への恐怖が、西洋世界の政治を変え始めている。トランプだけではない。ハンガリーからデンマークまで、欧米各国における右派政党の著しい台頭がこのことを証明している。

しかし西洋以外でも、よそ者に対する恐怖は多くの地で浸透しつつある。

トルコでは今、クルド人への反感が再燃しているし、ミャンマーでもロヒンギャの人々が迫害を受けている。マレーシアではキリスト教徒が「神」を表すアラビア語の単語を使うことは禁じられているし、その隣のブルネイではクリスマスを祝うこと自体が認められなかった。中東の戦闘地域の中には、キリスト教徒の人口が消滅しかかっている場所もある。

私たちがよそ者を忌み嫌うことをやめれば、この世界はもっとよくなるはずなのに。

5.イスラム世界がタブーを直視すること

イスラム以外の宗教を信仰する人に対しては言うのも憚られるようなことなのだが、イスラム教国やイスラム社会には、解決すべき多くのタブーがある。その多くは性に関することだ。イスラム世界ではしばしば、性の問題に対して反射的に目を背けてしまう。

しかし、このようなタブーを打破しようという試みもある。アラブ首長国連邦の結婚カウンセラー、ワダド・ルータはその先導者だし、シャリーン・エルフェキが著した『セックス・アンド・シタデル』もそうだ。

性の問題は軽々しく取り上げてよい問題ではない。特に、中東やアフリカに多くみられるような、若年層(30歳以下の若者)が人口の60~70%を占めるような社会ではなおさらだ。しかし現代、デジタルメディアの世界には性的な興奮を煽るメディアが溢れている。若者たちはこのデジタル世界と、禁欲を旨とする現実世界の二重生活を生きなければならないという事実がある。

さらに、より重要かつ悲劇的なことを指摘しなければならない。それは、レイプや性暴力事件は話題にすることさえ許されないことだ。ましてや児童虐待などはひた隠しにされる。

いつの日か、イスラム諸国が――そしてイスラムの聖職者たちが――同性愛者のムスリムが存在しているという現実を認め、折り合いをつけねばならないときがやってくる。

6.いつか、民主主義とイスラムが手に手を取り合う日が来ること

これまでにも、多くの人が民主主義とイスラムを結びつけようと試みてきたのはまぎれもない事実だ。初デートをしたこともあったし(2003年のイラク)、情熱に身を任せて関係を結んだこともあった(2011年の「アラブの春」)。でも結局、恋の火花はすぐに憎しみへと変わるものだ。

アラブ世界では今のところ、チュニジアが――不安定ながらも――民主主義の旗を掲げている。しかしイスラム教徒が多数派を占める国々では、一度は民主制を採用しても、結局は独裁政治に陥る例が多い。トルコマレーシアバングラデシュなどがその例だ。

エジプトのムスリム同胞団のように、未熟な民主主義がすぐに報復合戦や派閥政治へと堕した例もある。ひょっとしたら、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアが、私たちの願いを叶えてくれるかもしれないが。

7.アヴェロエスが再評価されること

アヴェロエス(イブン・ルシュドとしても知られる)は男の中の男だった。

彼は学問で名を成し、ルネサンスの画家ラファエロの作品『アテナイの学堂』にも描かれた。この大学者は古代ギリシャ哲学の遺産を次世代へと引き継ぎ、近代ヨーロッパの学問興盛の基礎を作った。

当時、その頃イスラム研究の中心地であったスペインのアンダルシア地方では、アヴェロエスは大したものだった。というのも、彼はアッバース朝最高の神学者だったアル・ガザーリーに異を唱える形で、世俗とイスラムの教えが両立できることを激しく主張したからだ。彼が結局この論争に敗れたことは、その後のムスリム世界にとっては損失というべきだが、その哲学は彼の著書『矛盾の矛盾』に余す所なく記されている。

これはISIS一味に対する最高の批判となる内容だ。イブン・タイミーヤが見直されたのなら、アヴェロエスにも再評価の光を当てるべきだろう。

8.ムスリムが普通に飛行機に搭乗できるようになること

ムスリムが飛行機に搭乗するのは、黒人が車を運転することによく似ている、などとよく言われる。もしあなたが黒人のムスリムだったら、うんざりするだろう。それが空港に向かって車を運転しているときであれば、なおさらひどい気分になるはずだ。

だからここでの私の願いは、実は2つある。「黒人として車を運転すること」も「ムスリムとして飛行機に乗ること」もどちらもなくなることだ。

ムスリムとして飛行機に乗ろうとすると、どんなことが起こるかって? まず始めに、係員がジロジロと何度かこっちを見てくる。それからおずおずと「お客様、失礼ですが」と来る。そして次にはもう少し高圧的になって「こっちへどうぞ」となるのが通常の流れだ。

その後はさらに居丈高になって、服なんてその辺の床にほっぽり投げられるし、しまいには所持品はぐちゃぐちゃにされる。ベルトが逆向きになってしまっていたりもする。でも、係官の気が変わりませんようにって祈りながら、とにかく振り返らずに搭乗口へと急いで歩くのだ。

それから、機内でもニュース番組を観てはダメ。ムスリムとして飛行機に乗るのにはもううんざりだ。

9.ドナルド・トランプがムスリムの美男美女コンテストの司会を務めること

2015年はトランプの年だった。それは認めよう。彼はどうすれば注目を浴びるのかがよく分かっている。でも残念なのは、彼が人気取りのためにムスリム(だけではないが)を標的にした発言を繰り返していることだ。

それならば、トランプの関心事により好都合であろう提案がある。それはムスリム美男美女コンテストを開催することだ。インターネット上にはすでにムスリムの出場候補者たちのリストが出回っている(男性編はこちらをクリック/女性編はこちら)。

趣向を変えて、これをミップスター(mipsters、ムスリムのヒップスターということだ)を選ぶコンテストにしてしまうというのもいいだろう。

10.シリアに平和がもたらされること

私は世界に15億人いるムスリムを代表して、ここに2016年の願いを10個あげてきた。その中でどれか1つだけが叶うとしたら、この10個目の願いだ。

近年シリアほど破壊し尽くされた国は他には思い浮かばない。何十万人が、無法者が、テロリストが、独裁者が覇権を争う中で命を落とした。周辺諸国は、混乱の終息を図るどころか、武器や軍隊を送り込み火に油を注いでいる。国際社会も仲裁に入るのではなく、自国の利益に基づいてしか行動していない。

そんな日常的な死と破壊のさなか、シリアの人々は生き地獄の中で暮らしているのだ。もし願いがひとつだけ叶うのならば、シリアでの内戦が終結することを私は求めたい。

すべてを語れたわけではない。そう、今回このリストに漏れた項目も、まだいくつもあると思うのだ...

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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アフマド、7歳

シリア難民の子供たちはこんなところで寝ている

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