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「軍師官兵衛」で注目、「軍師」は存在しなかった?

2014年01月04日 23時18分 JST | 更新 2014年03月06日 19時12分 JST

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2014年の大河ドラマは、岡田准一主演の『軍師官兵衛』だ。2007年に大河ドラマ『風林火山』が放送されたことでも注目を集めた「軍師」と称される人々は、現在でも人気が高い。企業における優秀な参謀の存在がビジネス誌などでも語られ、そこでは山本勘助や黒田官兵衛、そして竹中半兵衛など戦国時代の「軍師」が比較対象で出されることもある。

しかし、「軍師」といえば戦国大名に仕え、戦略や権謀術数などを助言する影の頭脳としてイメージされているかもしれないが、最近の研究においては、実際にそうした人々がいたのかは疑わしく考えられており、彼らの逸話の多くが江戸時代などに創作されたものだというのだ。

■軍師とは?

歴史上、最も有名な「軍師」と言えば諸葛亮(諸葛孔明)だが、彼の姿は多くの小説や映画、そしてゲームなどで描かれている。金城武が演じた「レッドクリフ」の孔明は、劉備を助け次々と奇想天外な策を編み出し、気候や地理の豊富な知識によって相手を翻弄していた。こうした軍師の活躍を描いた代表的な著作として『三国志演義』は古今東西にわたって読み継がれているが、ここで描かれた孔明像は現在にも強い影響を及ぼしていると言われる。

しかし、実際に中国における官制の中に「軍師」という役職は存在したものの、それらが智謀や策略を自由自在に操る1人のスーパースターと考えるのは誤解がある。時代や国、そして制度によって違いがあるため一概には言えないが、例えば支配の正当性を強調するために知識人を迎え入れたことを後に「知略に長けた人物を重用した」とするケースや、官僚機構における地方軍団の監察官を「軍師」と呼んでいるケースがあるという。

■日本への輸入

中国の物語は、日本における「軍師」イメージにも大きな影響を及ぼした。江戸時代に描かれた「軍記物」と呼ばれるジャンルには、戦国大名に仕える数多くの"参謀"が登場するが、これらも『三国志演義』などの影響を受けていると考えられ、それによってつくられた軍師イメージが明治以降の講談や歴史小説の元となったことで、日本にも軍師像が定着したとされる。

例えば、山本勘助に至っては、江戸時代前期に成立した『甲陽軍鑑』以外にはほとんどその存在が確認されていないことがよく知られている。「市河家文書」などからその存在自体が改めて議論される程度の人物であり、諸国に名声が広まっていた類い稀な兵法家としてのイメージは、江戸時代以降に確立したものだ。

また、今回の大河ドラマでも「官兵衛のライバル」として大きく取り上げられるであろう竹中半兵衛だが、その存在は官兵衛よりも不確かだ。豊臣秀吉が半兵衛を家臣として迎え入れるために七度、彼の庵に通ったというエピソードも、劉備が諸葛亮を迎える際に三度訪ねた「三顧の礼」から来ている。

■軍師と大名

そもそも軍師が活躍するためには、戦国大名がカリスマ的な存在であり、軍師のアドバイスを実行する強い権限を持っている世界をイメージするかもしれないが、実際には彼らが専制君主的な存在であったと考えるのは危険だ。多くの研究者が指摘しているように、戦国大名が一門や宿老などの支持によってその対外的な正当性を保証され、調停役としての役割を期待されていたことを考えると、彼らが独裁的に物事を決定したのかは慎重に考える必要があるのだろう。

いずれにしても、今回の大河ドラマで「軍師」像がどのように描かれるのかについては、非常に興味深いものだ。もちろん、それがドラマであり、脚色によって視聴者の興味を湧かせる娯楽作品であることも理解しなくてはならないが、一方で過度に美化された「軍師」イメージが流布することも決して好ましいとは言えないだろう。バランスのとれた作品は難しいのだろうが、これを機に「軍師」像について広く関心が持たれることになれば、素晴らしいことだ。

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(※この記事は、1月1日に掲載されたTHE NEW CLASSIC「「軍師官兵衛」で注目、「軍師」は存在しなかった!?」より転載しました)

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