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マンデラの死を悼み、世界の未来を祈る!

2013年12月10日 23時53分 JST | 更新 2014年02月09日 19時12分 JST

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民主主義の終焉を意味しかねない「特定秘密保護法案」が参議院で可決・成立した12月6日、遠い南の国で、一人の英雄が世を去った。

南アフリカ共和国のマンデラ元大統領だ。

1963年から27年もの間、獄中で黒人差別のアパルトヘイト(人種隔離)撤廃を叫び続け、1990年の解放後の1994年、南アフリカ史上初の全人種参加選挙によって大統領に就任。

黒人と白人が融和して国造りを、と「虹の国」政策を目指した。

「抑圧される人々が解放されるなら、抑圧する人々も解放されなければならない。彼らもまた憎しみの檻の中に閉じ込められているのだから。」

彼が信念を遂げるために奔走した実話を元に作られた、クリント・イーストウッド監督の「インビクタス / 負けざる者たち」にはその苦闘が描かれている。

「憎しみを持って生まれてくる人などいない。人は憎しみを学ぶのだ。それなら愛を学ぶこともできるはずだ。」

マンデラの言葉には深い決意が込められていた。

南アフリカでは『神よ、アフリカに祝福を(コサ語・ズールー語・ソト語)』(アパルトヘイト下の黒人解放運動で盛んに歌われたため「反逆歌」とされた讃美歌)と『南アフリカの呼び声(アフリカーンス語・英語)』(アパルトヘイト時代の国歌として主にオランダ系白人が作りあげた言葉アフリカーンス語で歌われていた。) の両曲をひとつに編曲したものを、国歌として「コサ語」「ズールー語」「ソト語」「アフリカーンス語」「英語」 の5つの言語で歌われている。

「人々が和解するための唯一の手段は対話すること」

しかし、93年にはノーベル平和賞を受賞したマンデラが、テロリスト監視リストより名前が削除され、アメリカでテロリストと呼ばれなくなったのは2008年のことだったことはご存知だろうか?

葬儀にオバマ大統領の他に、クリントン元大統領・国務長官夫妻、ブッシュ前大統領夫妻、カーター元大統領など、たくさんの大物達が参列したのはその罪滅ぼしだったのか?

この少し前、日本で秘密保護法に反対するデモ隊に対して「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と発言した人がいた。自民党の石破幹事長だ。

今の政権の本質が顔を出した!

デモをする権利は民主主義の要、「デモクラシー」を「デモグラシ」と訳してもいいくらいだ、と私は思っている。

この先、特定秘密保護法がどのように活用されていくのか?

「デモ」を「テロ」だと解釈する考え方が、大手をふって通用する日本になっていくことのないように、厳しく監視し抗議していかなくてはならない。

12月10日の朝日新聞夕刊にこんな記事があった。

「デモクラシーの生と死」を書いたオーストラリアの政治学者、ジョン・キーンによれば、デモクラシーはギリシャなどの「集会デモクラシー」として始まり、近代の「代表デモクラシー」へと進んだが、ヒトラーを産み落とした「代表デモクラシー」が機能不全に陥った戦後、「モニタリング・デモクラシー」が大きな役割を果たしてきた。

黒人の公民権運動や、女性の権利、貧困問題、地球温暖化などの環境問題など、重要な問題を提起し解決してきたのは、市民のモニタリング組織だったと。

現在、モニタリング組織はインターネットなどの通信革命により大きな力を得ている。

ジュリアン・アサンジュやエドワード・スノーデンなど、機密情報の「ダダモレ」が相次いだ今の時代、アメリカも日本もそれを強圧的に黙らせようと躍起になっているが、「ダダモレ民主主義」を完全に阻むことは難しいと、彼は言っている。

何十年もテロリストとされた人が、世界中の人々から英雄として尊敬される!

そこに大きな愛と真実があることを、世界がモニタリングしたからだ。

もちろんそのために犠牲になったたくさんの命があった事を忘れる訳にはいかないが。

海のように大きな力を、姑息な防潮堤で止められると考える愚かさと同じように、

どんなに恐ろしい「秘密保護法」を作っても、人々の生きている真実を封じる事など出来はしない。

ダイナミックに動いている世界を捉えきれなくなった政治。「代表デモクラシー」の断末魔の中で、確実に私達は変化し新しい時代へと動いている。

歴史の主人公は国家ではなく、国民一人ひとりであることを心にしっかりと止めておこう。