80年代、母子家庭だった私が直面したこと。

80年代、母子家庭だった私が直面したこと。
Indeed via Getty Images

今でこそ信じられない話なのだけど、私が就職活動をしていた80年代は、まだ「片親の子は一流企業に入れない」などとフツーに言われていた。7歳で父親を亡くした「片親」の私も「そんなものか」とふてくされていた。

しかし、母子家庭だからこそ、就職して安定収入を得ることが最大目標だった私にとって、当時株式上場もしておらず、母子家庭の子供はもちろん、エリートというよりは「変わり者」が入るといわれていたテレビ局はとても魅力的な企業に思えたし、実際自分の人生を豊かにしてくれたとありがたく思っている。

あれから30年以上の歳月が経ち、「母子家庭」は「シングルマザー」と言葉を変えた。取り巻く環境は言葉ほど変わったとは思えないし、課題は山積しているけれど、それでも「家族のかたち」は80年代に比較して格段に多様性を認識され、少なくとも議論される社会になってきていると思う。

そんな中、2012年に自民党が発表した憲法改正草案を読み、現法に追加された条文に違和感を覚えた。

(家族、婚姻などに関する基本原則)

第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。

追加された条文は実にまっとうで正しい内容であり、たしかに家族は一般的にお互い支えあう存在だ。でも、「なければならない」って国民を縛る義務として憲法に書かれるべき内容なのだろうか。

いろいろな事情で離ればなれで生活する人もいれば、家族であっても折り合いがうまくいかず連絡を絶っている人もいる。家族との縁がなくて、一人で、あるいは気の合う仲間と生きることを選択する人もいる。その人たちは憲法違反になるのか。あるいは、同性同士、婚姻をしていなくてもお互いを支えあって共に生きていくことを選んだ人たちは、この憲法でいう、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重されるのだろうか。

憲法改正を公約に掲げ衆院選で大勝した安倍総理は「スケジュールありきではない」というものの、来年以降、改憲論議をさらに進めるよう野党にも呼びかけている。そもそも国民が権力を縛るためのものである憲法に、「家族のかたち」のあるべき姿を条文化することを皆さんはどうお考えだろうか。

ハフポスト日本版は「家族のかたち」という特集ページを立ち上げ、なるべく多くの方に「その人にとっての家族」を語っていただく試みを始めた。そこには、すでに実に多様な「家族」への思いがあふれている。国内外問わず、いろいろな「家族」の姿に触れていただきたいし、ぜひあなたオリジナルな「家族のかたち」を教えていただければと思う。

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家族のかたち」という言葉を聞いて、あなたの頭にを浮かぶのはどんな景色ですか?

お父さんとお母さん? きょうだい? シングルぺアレント? 同性のパートナー? それとも、ペット?

人生の数だけ家族のかたちがあります。ハフポスト日本版ライフスタイルの「家族のかたち」は、そんな現代のさまざまな家族について語る場所です。

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