「戦争が近づいている」 1994年、朝鮮半島・核危機の裏で何が話し合われたのか

戦後初めて「戦争が近づいている」という事態に、日本政府は極秘に検討を重ねた。

テレビ局には過去の膨大なアーカイブがあるのだが、その中で現在の北朝鮮をめぐる事態にもつながるインタビューを、「サンデーステーション」(日曜夜8時54分)の初回でお伝えした。1994年の「朝鮮半島・核危機」に関わった日米関係者のインタビューである。

ことのきっかけは1993年3月に行われた南北実務者協議の席上のことだった。北朝鮮代表が韓国代表に対してこう言い放ったのだ。

「ここからソウルは遠くありません。戦争が起きれば火の海になりますよ」

クリントン米大統領は「もし北朝鮮が核兵器を開発し、使用すれば北朝鮮は終わりだ」と警告し、在韓米軍の増強に着手。極秘に先制攻撃までも検討した。しかし、北朝鮮はIAEAの査察を拒否し、94年6月、北朝鮮はプルトニウムの抽出につながる燃料棒取り出しを強行。さらにはNPTからの脱退を一方的に宣言した。

番組は、クリントン政権で国務次官補を務め、北朝鮮との交渉の中枢だったロバート・ガルーチ氏に当時の話を聞いた。

「外交努力のほかに、軍事行動の準備も行われていました。北朝鮮がプルトニウムから核兵器を製造するのを阻止するため、寧辺(ニョンビョン)の核施設を破壊するのが目的でした」

このことを日本政府もアメリカの情報機関から知らされる。テレビ朝日は危機の3年後に細川護熙総理に話を聞いている。

「北の方の部隊が動き始めたとか、連射高速砲が全部ソウルの方を向いたとか、いろんな、ちょっとまだ外に出すと刺激が強い話もずいぶんあったわけです」

また、羽田孜元総理はこう振り返る。

「例えば敦賀原発、そこにミサイル一つぶち込まれたら、大変なことになるわね」

戦後初めて「戦争が近づいている」という事態に、日本政府は極秘に検討を重ねた。本格的な戦争となれば、軍と民間の死者が100万人を超えるという予測が出される。韓国の金泳三元大統領は「もし、アメリカが攻撃したら、北朝鮮はすぐソウルを攻撃するんですよ。それで私は『絶対ダメだ』とクリントンに何回も電話しましたよ」という。

実は1994年2月、クリントン大統領と細川総理の日米首脳会談が行われている。「日米包括経済協議」、つまり経済がテーマの会談とされ、実際、会談については「包括経済協議、決裂」と大きく報じられた。

しかし、「サンデーステーション」のコメンテーター・後藤謙次氏が当時の石原信雄元官房長官に取材をしたところ、この協議内容のほとんどが実は北朝鮮有事に関するものだったのだという。クリントン大統領から「日本はどこまでアメリカ軍に協力できるか」と迫られ、現状の法整備下においては何も答えられなかった細川元総理が、想定される事態に対し何が必要かを極秘裏に検討するよう指示を出したのだという。このことは、まったく国民には知らされることはなかった。

結局、94年の朝鮮半島核危機はカーター元大統領の電撃訪朝により収束したが、後藤さんによれば、この94年の出来事こそが、日本の安全保障政策のターニングポイントであり、その後日米ガイドライン見直し、周辺事態法、安保法制の整備への流れをつくることになったという。

1994年には、米軍の攻撃目標は寧辺周辺にある核関連施設一か所だった。これをピンポイント攻撃するものだが、これによって100万人以上の韓国人と10万人以上のアメリカ人が死亡するとの試算が米政権内で出された。

果たして、現在はどうか。一か所だった核関連施設の数は複数個所になり、さらには核兵器をミサイルに搭載できる可能性もあり、日本を射程にいれた「ノドン」は実戦配備の段階とみられている。武力有事になれば、94年の予測をはるかに超える死者と被害が想定されることは間違いない。ガルーチ氏は言う。

「アメリカ、韓国、日本などによる軍事行動は北朝鮮を打ち負かすでしょうが、その成功にともなう死や破壊を私は見たくありません」

忍耐強く北朝鮮を交渉のテーブルに座らせる努力を継続すべきというガルーチ氏だが、「過去20年間の対話の試みは失敗」と酷評する現アメリカ大統領にその忍耐力がどこまであるのか。そして、5月に行われる韓国大統領選挙の結果がどう影響していくのか、引き続き「サンデーステーション」で伝えていきたい。

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