オバマ大統領の広島訪問をふりかえって(2) 原爆正当説VS原爆は不要だった説 -元捕虜と歴史家たちの声ー

「オバマのヒロシマ訪問」はアメリカ一般の関心をかきたてる訪問ではなかったが、強く反応したグループもあった。そのトップ集団が復員兵・退役軍人であった。

アメリカ一般の関心をかきたてる訪問ではなかったが、「オバマのヒロシマ訪問」を意識し強く反応したグループもあった。そのトップ集団が復員兵・退役軍人(ヴェテランズ)であり、とりわけ日本軍に降伏したあと、フィリピン・日本本土・中国などで強制労働させられた元捕虜や、フィリピンで日本軍に敵性国民として抑留されたアメリカ人民間人捕虜の人々とその家族である。

今から21年前の戦後50周年に、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館での原爆展示計画が退役軍人会とメディアの大反対で開催が見送られ館長が退職に追い込まれた事を記憶している方もいるだろう。その頃から日本でも知られるようになってきたが、「原爆は正しかった」という意見を強く支持する団体には退役軍人会、元捕虜・抑留者や、その子孫が多い。

バターンやコレヒドールで日本軍に降伏し、バターンを移動させられ、強制労働に就いたアメリカ人捕虜は2万1,580人、死亡率は32.9パーセントになる(ドイツ軍による捕虜も多いが死亡率は低い)。その多くが、体を壊して早死にしたり戦後のPTSDに悩み、家族生活でも多くの問題を抱えた。

PTSDは第一次大戦後から認識されていたが、組織的な調査や理論化は、フィリピン戦線で日本軍の捕虜になった軍人が発案し、ヴェトナム戦争時に調査した事から始まっている。PTSDはよくヴェトナム戦争と関連づけられて語られるが、第二次大戦時に日本軍やドイツ軍に捕まった捕虜たちの後遺症は、家族らによってヴェトナム戦争以前から共有されていたのである。

1943年に捕虜の母親たちが息子らの消息を辿るために始めた「アメリカ元捕虜の会(AXPOW)」がメンバーのためにまとめた様々なシンドロームによれば、悪夢、アルコールの飲みすぎ、中毒、心臓まひ、絶望感や無力感などが指摘されている。子供時代に受けたPTSDについてはAXPOWは市民も入っている為、それらの症状も意識されていた。

戦後、元捕虜と、復員軍人援護局(VAヴェテランズ・アドミニストレション)との間を繋ぎ、援助をとりつけたのにはAXPOWの相互扶助の働きが大きかった。彼らが残した多くの戦争後遺症の考察や個人が取り組むための冊子、元捕虜のための祈祷書や、元捕虜の妻や家族のための祈祷書などの記録からは伺える。

ただ、アメリカでは、英国やオランダほど第二次世界大戦の兵士のトラウマ問題が合衆国全体の怒りとしては共有されていない。ヴェトナム戦争兵士の問題も映画では多いが、今現在起こっている戦争のせいか、あまり前面化しない。「アメリカ人が敗北者(ルーザー)に冷たいからよ」と米―フィリピン軍の元兵士を父に持つセシリアは言う。ドナルド・トランプ氏もヴェトナム軍の捕虜だったジョン・マケインをルーザーと呼んで怒らせていた。

しかし元捕虜やフィリピン系米人の影響力が小さいわけではない。元捕虜や退役軍人会の圧力があるからこそ、これまで原爆(そして空襲)の問題は先送りになってきたのだ。

アメリカに限らず、オランダ人や英国人で捕虜・抑留者だった人たちも「戦争があそこで終わらなければ自分たちは全滅させられていた」という事を体感しており、「原爆は必要だった」という見解を共有している。種々の契機から日本と和解し、日本に寛容である元捕虜や日本を大好きになった元捕虜でも、原爆についてだけは譲らない。

昨年、長崎に強制労働中に死んだ捕虜の記念碑が建立され、各国の捕虜とその家族が招かれた。その記念の会で参加者が次々に挨拶する中、オランダ人の元抑留者の息子だった人が、「二つお礼を言いたい。この記念碑を建ててくれてありがとう。そして、アメリカの人に言いたい。原爆を落としてくれてありがとう」と涙ながらに述べた。

今回、BACEPOW(沿岸地域民間人元捕虜の会)に所属している民間人は、団体声明こそ出さなかったが個々人では原爆は必要だったとほぼ確信しており、強く反対した人はそれぞれ「謝ることは間違っている」という手紙をホワイトハウスの大統領に送った。

特に日本への思いが強いADBC-MS(バターンコレヒドール防衛者メモリアルソサエティ)は、他とも組んで、「謝罪に対する反対声明」を出した。日本からの問い合わせもあったため、年次総会で5月21日に記者会見を開き、日本とドイツのメディアが参加した。元捕虜それぞれが種々の質問に答えた後、オバマ氏に対する手紙と、オバマ夫人に対する手紙を元捕虜の娘と息子が読み上げ、一人一人の捕虜と未亡人がそれぞれにサインするという、一種のパフォーマティブな抗議行動が行われた。

日本に日本のやった事をわからせたい、わかってほしい、また原爆が間違っていたとアメリカ人に謝らせてはならない。それはオバマ大統領に好きにさせないぞという決意をもったうえでの一種の戦いだった。会長のジャンはそれを「アラモの戦い(メキシコからテキサス人が独立を得た歴史的戦い)」と重ねてみせた。彼女は元捕虜である父親(鴨緑丸事件)のサバイバーに厳しい躾を受けた娘であり、捕虜問題の映像作家でもある。

90代半ばを越える高齢の人々にとって日本兵をも思い出させるかもしれないメディアやカメラに囲まれるのもしんどいことだし、こういう強いメッセージを送ることは簡単なことでは無く、記者会見のあと昏睡して自分の発言を覚えていなかった元捕虜が一人、記者会見が近づくにつれ気分が悪くなって病院に運ばれた人が一人、最後の日に失神した未亡人もいた。そもそも日本製品さえ避けてきた元捕虜にとって、当時の日本軍兵士と同年代であり当時を想起させる日本メディアとカメラに囲まれることはストレスでもある。

今回、抗議を明白にした元捕虜や未亡人たちが、日本人の一部がよく好む<反日>だったかというとそんな事はない。元捕虜や妻たちは、日本政府がオーガナイズする「心の和解の旅」を経験した人々ばかりだ。日本に慣れ親しんだからこそ、ようやく日本に対してこういう意見を率直に言えたという側面もあるだろう。

それに対して、まっこうから異なる見解も74名の歴史学者、平和活動団体代表、映画監督ら文化人から5月23日付けで提出された(Peace action's groundswellに掲載)。非常に重要なメッセージであった割には、日本でもあまり注目を浴びなかったように思うがいかがだろう。この文書は、<原爆不要説・原爆は政治的に使われた>説の一番の提唱者である、ガー・アルペロヴィッツ教授の見解を元に原爆不要説を説いている。

五つの要望を出し、「ヒバクシャに会う事」に加え、最後に「日本で<謝らない>という決定を考えなおすべきだ。マッカーサーも(日本本土空襲を考えた)ルメイも、ニミッツらも、皆、原爆なしでも勝てたと主張している」旨の見解が表明された。日本で著名な人としてはチョムスキーやノーマ・フィールド、オリバー・ストーン映画監督も署名している。

日本史研究者のハーバート・ビックスは、原爆の道義的責任(モラルリスポンシビリティ)を指摘した。スミソニアンの展示を企画した人々の署名がないのが気にかかるが、この重要な文書は確実にフォローアップが必要だろう。

だが、上記の二つの見解をアメリカのメディアは殆ど報道しなかった。ADBC-MSは記者会見の朝にホワイトハウスから、日本へオバマ大統領に元捕虜を同行させられるとしたら可能な人はいるかと尋ねられ、そのことが記者会見で発表された。

ホワイトハウスは翌日すぐに招待していないと否定したが、内部では実はぎりぎりまで折衝が続けられていたと会長は述べる。だが24日には「何かが起こり、様子が変わって(ジャン・トンプソン会長による)」元捕虜の同行は無しとなった。選ばれて待機していた元捕虜夫妻にはホワイトハウスの担当からお詫びの電話がかかってきた。元捕虜への侮辱だとして怒った人もいた。

結局、オバマ氏の演説は「ある日、空から死が降ってきた」という詩的ともいえる「ピカドン」の感覚に近い言葉で始まるものとなった。感動的ではあるが「謝罪」ではない。このスピーチをどう思うかと私が尋ねたバーテンダーの若い男性は、「アメリカ軍が落としたんだよ。死は自然にふってこないよ」と、良かれ悪しかれアメリカという主語がない事に批判的だった。

ADBC-MSで、妻たちや未亡人の手紙を読み上げた元捕虜の娘に、「もし被爆者が目の前にいたらどう言うと思います?」と尋ねてみたが、彼女は足をとめ、「あなたたちが経験しなければならなかったことは申し訳なく思うけれども、必要だったのよ」と言った。

元捕虜たちのPTSDと抹殺命令の可能性

これらは残酷にも聞こえるコメントだ。だが元捕虜・抑留者や彼らの家族たちがこのように思う訳を、彼らの側に立って、三点、説明しておこう。

ひとつは、彼らは敗戦末期には、重湯の中のコメの数を数えるほど、抑留所や収容所内で飢えていた。フィリピンのセント・トマス大学抑留所やその他の収容所に詰め込まれた民間人は初期には自分たちで運営していたが、狭い教室や廊下を仕切って暮らし、暑さの中で病気も流行り、食べ物も十分ではなかった。大人と子供に同じ量を分け合ったために子供は助かったが大人たちは痩せこけていた。成年後に、幼少時に抑留されたが者特有のストレスから来るPTSDを発症した者もいる。

最大の理由は、戦時中に日本政府が出したとされる、<捕虜・抑留者全員抹殺命令>の可能性だ。<捕虜が蜂起したり敵戦力になった場合>という条件の但し書きがあるが、その場合は「斬首、焼殺」などで<跡形もなく殺すべし>という命令である。

これまでに見つかっているのは、台湾の金瓜石(キンカセキ)収容所あてに1944年8月に出された文書だけだが、タイの病院収容所にいたオーストラリア人捕虜、英国人捕虜も「もうすぐ皆、殺されるぞ」と軍属が手真似で伝えたと記す。また壕を掘らされたが、実はそこで殺されるはずだったのだろう、と述べる者たちもいる。ジャワにいた『戦場のメリークリスマス』の原作者ヴァンデルポストもそういう警告を受けたと書き残している。

金瓜石収容所にいた英国人捕虜ビル・ノトリーは和解活動で日本にも来たが、私に語ったところによると、分厚い鉄の仕切りにパイプを通したトンネルを掘らされたと言い、本来はそこで毒ガスで殺されるはずだったのだろうと信じていた。つまり、これらのイメージはすべて、壕の中で骨と皮の遺体が折り重なるホロコーストのユダヤ人の遺体と日本軍の元捕虜の命運を重ね合わせるのに十分なのだ。それを止めたのが原爆だったという訳だ(壕を掘る命令を最初に下した日本軍の人の語った理由も、ご家族から聞いているのだがそれはまた別の機会に譲る)。

だからといって、民間人の女子供、老人を殺し、放射能被害をもたらす原爆を落とす必要があるかという点についてはどうか。それについては「米軍や大統領にとっては、パラワン事件が重要だったはずだ」と元捕虜の息子リチャードは主張する。それは何を意味するのか。

捕虜抹殺命令とパラワン事件

パラワン事件とは、フィリピンで160名弱のアメリカ人捕虜が、連合軍の侵攻が近いと信じた日本軍によって三つの塹壕につめこまれ、ガソリンを浴びせられ火を投げ込まれて焼殺された一件である。命からがら逃げ延びた者たちによって米軍に実態が知らされた。この焼殺があったため、抹殺命令が全土に行きわたっているというリアリティを上層部が確信した結果、一気に日本を降参させる原爆という兵器を用いる決心をさせたのだというわけだ。

そこにあるのは、原爆が民間人を殺すという事はあっても、日本本土に侵攻すればより多くのアメリカ人(と日本人)が死ぬだろうという確信だ。歴史的な検証とこの実感を結び付ける事は今後の課題である。また、バターン投降の際も、捕虜になる前に殺せという命令を電話で下した辻参謀の前例があった事も影響として考えられる(この命令をうけたのか、フィリピン下士官200名を斬首されている)。

さらに、これらの元捕虜や民間人の意見を側面から支えるのが、「慰安婦」問題であり、「フィリピン人虐殺」問題であり、南京問題である。それらは、女性や多くの民間人をひどく扱った日本軍から自分たちはその人々を救ったはずだという事に繋がる。日本会議系の団体がアメリカ各地の歴史家に慰安婦問題について訂正してほしいという文書や本を送っている事もあり、今の日本政府や安倍首相は「それらの問題を否定しているという」という見解が広まっている。

退役軍人たちの意見

元捕虜たち以外の退役軍人会などの様子はどうかと思われる人もいるかもしれないが、アメリカ国内のメインストリームは「原爆は戦争を早期に終わらせた」というものだ。「原爆によって多くの日本人をこれ以上殺さずに済んだ」という意見は、今もアメリカの在郷軍人の基本トーンとなっている。

それは、サイパン島のバンザイ・クリフや沖縄戦で日本人が見せた日本側の頑強な抵抗と投降せず自決する姿勢(それが強制的なものであった事は知られていない)、アメリカ軍の被害の甚大さから言っても、もしダウンフォール作戦やオペレーション・オリンピック等の九州や関東への本土上陸作戦が決行されていたら、相当な被害を双方に及ぼしたはずだという意見だ。

日本に送られた元捕虜オスカー・レナードは実際に子供の竹やり訓練などを目撃しているだけあって、日本人が死ぬまで戦っただろうという実感を抱いている。スミソニアンをはじめ歴史学者らの反対意見は現在のところ一般人への教育には反映されてはいない。

ルイジアナ州ニューオリンズに2000年建てられたアメリカの国立第二次世界大戦博物館でも、展示のナラティブはこの意見に沿ったものだった。展示の最後は左側にオペレーション・オリンピックの物量と兵の数が提示され、右側には大阪空襲の廃墟の写真があるが被爆地も広島の原爆の建物のみで死者も被ばく者の悲惨な様子は写って居ない。(出る直前に運ばれる被ばく者の動画がわずかにあるが、あまり印象的ではない)。

アメリカ人は、「自由はただでは無い(Freedom is not Free)」、自由をキープするには犠牲がつきものだというが、第二次世界大戦は英国同様<自由をファシズムから守った戦争>なのであり、この点では、迷いの多いヴェトナム戦争よりも正義を主張できる戦争なのだ。

アメリカが<謝らない>事の問題性

しかしここで日本側が「なるほどそうだったのか」と納得するのが良いとは、私は思わない。それは、原爆使用が条件次第によっては正しい事だと安易に調査なしに認める事になるからだ。

オバマ大統領のヒロシマ訪問にあたり、「広島も長崎も謝ってほしいとは思っていない。日本は謝罪を要求するようなことはしない。核兵器の恐ろしさを分かってほしいだけだ」という平和論や、<謝罪要請するなどは品がない行い>という意見もネット等で目にした。一見、寛容なようだが、実は危険な意見だ。具体的に核兵器を使用されたエリア・国家に住む民としては、次のことは知る義務がある。

一つは、<アメリカ合州国では空襲をはじめ、原爆・核兵器の現実を知らない人が非常に多い>事である。昨年の訪米以来、私はアメリカ人の日本の戦争被害への知らなさ加減には日々驚いている。

依頼を受けて「火垂るの墓」を用いた講演などもするが、日本の76の都市に落とされた空襲のことを説明すると「初めて知った」人が多い。その破壊のあとの写真など見たこともない人は本当に多い。CND(核兵器廃絶団体)の強い英国や、長崎と歴史的交流の強いオランダと異なり、原爆を落とした主体であるアメリカ合州国では、「原爆は長崎にも落とされた」事をしらない人がかなり多い。「和解の旅で日本に行くまで原爆はひとつだと思っていたわ」と67歳の引退した図書館司書の元捕虜の娘は言った。司書が知らなければ、長崎や原爆関連の図書が存在しないのは道理だろう。

「(落とされた)原爆が二つだとは思うけれど場所は知らない」、「三つじゃなかったっけ」という声もある。空襲については、主としてほとんどがドイツやロンドンのこととして知られ、日本学や歴史学者以外は日本への空襲の認識がほぼない。ましてやソ連との交渉をしていた事などは認識の埒外だし、そもそも日ソ不可侵条約のことを知らない人がほとんどだ。(ソ連の抑留や南方で抑留された日本人のことももちろん知られていない)

ナガサキのプレゼンスの低さ:クリスチャン・シティ?

上述のように、長崎の苦難についてはアメリカ合州国では驚くほど知られていない。これのためにも長崎市民は立ちあがるべきだと思うほどである。英国では、「(クリスチャンの多い長崎の地域に落としてしまった事」への躊躇いゆえに、原爆を合理化しようとする論説があった。だがこれが現在のアメリカにおいては知識や意見として一般にほとんど共有されていないのだ。

アメリカ人の多くは、特に保守層や福音主義の人々は「クリスチャンであること」をアイデンティティとして強く抱いている。だから彼らに、「どうして唯一のクリスチャンシティのナガサキに落としたと思う?しかも中心部分でなく軍事施設でもなく、天主堂に?」と尋ねると、本当に多くのアメリカ人がショックを受けるのだ。

バーで手伝う若い男性は「長崎がクリスチャンシティだとは今の今まできいたことがない。教会に落としただって?・・・それを知ったらアメリカ人も考えを変えると思うよ。今もISISと戦っていることにも関係するし。自分の国の歴史を知らないなんて、怖い事(スケアリー)だよ」。

ストレス性胃炎を起こして倒れた私に付き添ってくれた大学の女性マネジャーも、長崎にクリスチャンがいたこと、そこに落としたことを聞いて本当に驚いていた。「聞いたこともない。習ったこともない。今日、あなたに聞くまで」。彼女はそういったが、同様のコメントをしたアメリカ人はほんとうに多かった。

アメリカ合州国では、アジアは全体的にノン・クリスチャンのエリアと思われており、日本は特にそういうイメージが強い。仏教や悟り、禅など、ビート世代やヒッピーカルチャーで紹介されてきた「日本文化」が仏教中心だった影響も強いのかもしれない。

別にアメリカ人がクリスチャン以外を殺していいと思っているわけではない。だが彼らの自己イメージは、キリスト教徒は良心的で平和的で義の民であり、間違ったファシズムや独裁者や蛮行から民主主義・自由・平和を守るのだという矜持を抱いているし、アイシスとの戦いもその範疇にあるといってよい。クリスチャンらしくふるまい、クリスチャンとしてのアイデンティティが非常に強いアメリカ人にとって、わざわざ日本の中でもまれなクリスチャンの多い都市や連合軍捕虜がいるところに原爆を落とした事は、大きな衝撃なのだ。

このことは高等教育を受けていても知らない人が多く、私がみた限りではアメリカの教科書に長崎のことは僅かにしか言及されない。ましてやそこがカトリックの歴史を持つ都市だという事は書かれていない。

知られていない原爆の威力

さらに気がかりなのは、一部の団体や都市部の<意識の高い人びと>を除いては、――

ニューヨーク州でも都市部には、被ばくの怖さをリアルに学習するグループもいるが、――被ばくの怖さや胎児への影響、遺伝子への影響の可能性などを知る人が原爆謝罪に反対するグループには少ないということだ。白血病などについては一程度知識がある人もいるが、妊娠している女性への影響や水頭症のことなどへの認知は驚くほど低く、キノコ雲の下の苦しみは教科書には載らない。

そのため、「道義的責任をどう思うか」と言っても意味の通じない人が多いのだ。日本は戦後、努力してこれらを知らせてきたはずだが、広大なアメリカに行き届いていたとはいえない。20年前、ニューヨークで原爆を反省するメソジストの集まりに参加させてもらったことがあるが、ほとんどがかなりの高齢者であった参加者はもう世を去ったことだろう。世代交代が起こり、被ばくや原爆についての知識の蓄積はうまく継承されていないか、あるいはもともと知らされていないのである。

日本人側は、アメリカが落としたのだからアメリカ人は知っていると思いすぎだと私は確信している。まさに落とした国だからそのことを知らせない・知りたくない傾向もそれに拍車をかけたのかもしれない。あるいは教育の中にそれが十分入ってないからかもしれない。自分たちの良心を素朴に信頼し、自分のできる範囲で善行を積んでいる人には、そういう知識が与えられるチャンスがないのだという気がする。

原爆のリアリティについて彼らのようなアメリカ人と語りあってみて、本当に衝撃を受けている人が多いことは、それ自体が私には衝撃だった。

このような情況の中で、日本人が「アメリカが謝らない」事を受け入れることが「原爆は必要だったと認める」事とイコールになる事は繰り返し確認しておきたい。日本人は往々にして「謝らなくても、悪いと思ってくれているだろう」と思ってしまう。あるいは「こちらも悪いことをしたのだから、お互いさま」と相殺ないしはどんぶり勘定的な考え方をする。

だが、ユダヤ・キリスト教ベースの理性と悟性は、そのような混ぜ方をしない。「原爆のこういう点について謝ってほしい」と言ったとしても、そこにもし正当性があれば失礼にはあたらないし、かえって考えるチャンスを与える事になる。

「謝らないでいい。その代わり、あなたたちも文句を言わないでね」(自分たちが他のことで我慢したり謝罪するのは理不尽だ、ないしは嫌だと思うので、自分たちの謝ってほしい事について謝罪を求めることもしない)という日本式相殺の図式には、アメリカ人は反応しない。アメリカ人の側の元捕虜・抑留者やその家族・子孫らが自分たちが謝ってほしい事ないしは償ってほしい事について、相殺主義に基づいて黙る人も居ないだろう。

日本側への非難は「認めていない・知らない」ことに起因するものが多い。自分たちの償いやお詫びをする事で、逆に相手にも詫びることや認める事、償うことを要請する権利も平等にできるのだ。

日本側が我慢して、原爆や核兵器の使用に対し謝罪を求めないことはかえって道義的責任を日本側が果たしていない事になる。

そしてもしも「謝らないでいい」と日本人がいうならば、一方では人類に対する核兵器の使用は条件が整えば許容可能であり、善であるという考えを推進する事になるのだ。しかも、核兵器の本当の脅威をあまり知らない人々が多い国家に対して行うことになるのである。これはまさに日本側の道義的責任である。

今次の戦争と今後にむけて

オバマ氏は、祖父がムスリムからキリスト教徒に改宗しており、フセインというミドルネームを持ち、キリスト教徒と自認しているが、アメリカ国民の誓いを言わない等の批判もあり、ISISを<テロリスト>という名前では呼ばない事に周囲は気づいている。

それは平和主義からなのか、イスラム法的にはムスリムであったり個人的経験からも、ムスリム全体に同情的に過ぎるとか、ISISに十分強く対応をしないという批判はある。現在の敵である中東地域に対して核兵器を使用しろという意見が出ることを、オバマ氏は懸念しているのではなかろうか。氏の信条と真剣な態度が日本人の共感を呼ぶのは自然だ。

だが、それがアメリカという、この広大で多様な人種・文化を持つな国土をまとめなければならない国家(国の中を移動するだけでも飛行機で日本からヨーロッパに行くより時間がかかるし、国内でも時差が出るほど横に広い国土でもある)、それを構成するひとつひとつの州が小さな国でもあるような国家では、――日本のプレゼンスが下がっているアメリカにおいては――オバマ氏の見解がアメリカの共通事項ではなく、そして今回の訪問で日米の絆を確認し感動したのはほとんど日本側だけだという事を日本に住む人々はよくよく知るべきである。でなければ大統領が交代すればすべては反故になりかねない。

それでも今回の訪問に向けて、数多くの人が努力してきたことは確かだろう。そのことには感謝したい。そして、日本の中でも一部の「謝ってほしい」と思う人々の声もその後、取り上げられているという。それは他の、核兵器を持とうとする国や核兵器を持つ国々にとってもまことに大事なことだ。

今回の訪問を、今起こっている戦争に参加するための軍事和解や日米各国の選挙キャンペーンのためだけの一環にされてはなるまい。現職の大統領がそれでもその地を踏んだことを「ものごとのけじめとおわり」にするよりは、「対話と事実確認の契機と口火にする」ことこそが、今回の訪問に対してさまざまな方向――謝らないことに、謝ることに、現職の大統領を被爆地に呼ぶことに、その他種々の方向――に向けて努力をした多くの人たちに対する、一番のよい報いと御礼になる。私はつくづくそう感じている。

そして今回リアクトしたアメリカ人の学者・平和活動家、元捕虜らと子孫と家族らの双方の提示した意見や議論について真剣に応えるべきだろう。日本のプレゼンスが低く日本に対する知識や関心の薄いアメリカの中では日本に興味関心を抱いてくれる彼ら彼女らは、貴重なヒューマン・リソースだとも言える。今後も交流を続け、本当の解決に至る路を見つけることを期待したい。

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