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ネット選挙から抜け落ちた物

2013年05月07日 23時14分 JST | 更新 2013年07月07日 18時12分 JST

インターネットを使った選挙運動を解禁する改正公職選挙法が可決・成立した。夏の参院選以降、地方選挙も含めて適用される。

選挙関係の情報提供で絶対に守られるべき原則は、今も昔も変わらない。「機会の平等」だ。限られた出自の人しか立候補できない、当選できないとなれば民主主義は選民主義に変わってしまう。

たとえば公職選挙法の政見・経歴放送は、候補者と届出政党が政見を無料で録音、録画できるとし、資力の多寡で政見公開の条件に差が生じないようにして来た。街頭演説や選挙区巡りの体制では立候補者の立場や資力によって差がついてしまうのは避けられない。それでも、せめて最低限の「機会の平等」を政見・経歴放送で担保するという考え方がそこに踏まえられている。

しかし、こうして立候補者にとって政見公開の平等が確保されている一方で、投票を行う一般市民の側の情報アクセスの機会平等が今や危うくなった。ライフスタイルが多様化し、特に若い世代は決められた時間に放送される政見・経歴放送に触れることが難しく、自分の生活パターンに応じてオン・デマンドで政見や経歴情報にアクセスできる回路が必要となっていた。

 そうした状況を思えばネット選挙の解禁は必然だったと言える。ただし各党ともネット選挙解禁で自党に有利になるはずと甘い夢を見て浮かれていたのか、その方法について十分な検討がなされた気配が感じられない。

 今回のネット選挙解禁では選挙期間中にもウェブサイトやブログを更新できるようになる。そうして発信された情報はソーシャルメディアを伝わって広がってゆく。その拡散力、動員力に差が出てしまうのは立候補者が確かな地盤を持っているか等々の理由によってある程度仕方がないだろう。しかし、ならばせめて最低限の「機会の平等」を確保すべく、政権・経歴放送に倣って立候補者は誰でも公費でウェブサイトを開設できるようにし、その形式を同一にするなど、スタートラインにおいて差がつかないような工夫をすべきだったのではないか。

そして、もうひとつ必要だったと思うのは「公共圏」の確保だ。実は従来の公職選挙法にはその発想があり、そこで利用されていたのは郵便制度だった。郵便と選挙、およそ互いに縁の無さそうな結びつきに首を傾げる読者も多いだろう。先に政権・経歴放送に触れたので今度は紙メディアを例にしたいが、実は第三種郵便制度を用いて割安な郵便料金で送付が可能なメディアでしか選挙報道は出来ないという規定が公職選挙法にはある。

なぜそんな制度ができたのか。第三種郵便物として認められるためには定期的に刊行されている実績があり、「政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売され」ている媒体であることという条件がある。こうした第三種郵便制度と選挙活動を結びつけたのは、立候補者が突如、新聞や雑誌を創刊して手前味噌の記事を載せ、文書図面の頒布が禁じられている公職選挙法の抜け穴を通って自分に有利な宣伝をしないように防ぐ目的があった。こうして選挙に関する記事の公平を期すために、あくまでも公共的なメディアでのみ発信されるように決められていたのだ。

こうした制度がうまく機能してきたというつもりはない。しかし評価したいのは、その実際ではなく理念だ。政権・経歴放送に始まる立候補者の自己主張に対して、特定の誰かではなく、誰もの利益、つまり公益に還元されるかたちで客観的な選挙状況の情報を提供する公共的な(紙)メディアがあるべきだとする発想がそこにあった。

そうした発想はネット選挙解禁時に受け継がれなかった。「公」の領域を守る重要性に誰も思い至らない。これも、「私」でなければ「国」でもない、「公共」という概念が日本社会で成り立ちにくいことの、ひとつの証かもしれない。