私が中高生のネット依存をヤバいと思う理由

厚労省の研究から「中高生のネット依存者が推計52万人」という数字が出た。私はインターネットは学齢期からやっても構わない、むしろやるべきだと思っていたクチなので、この数字には衝撃を受けた。

厚労省の研究から「中高生のネット依存者が推計52万人」という数字が出た。私はインターネットは学齢期からやっても構わない、むしろやるべきだと思っていたクチなので、この数字には衝撃を受けた。

文部科学省『学校基本調査』(H24年)によれば、現代の中高生の総数は約690万人ぐらいなので、10人に1人弱、30人ちょっとのクラスで3人がネット依存に陥っている勘定になる。「クラスで大体3人がネット依存」と書き直してみると、さほど違和感のない数字のような気もしなくもない。が、頻度としては高すぎる。

参考までにアルコール依存症と比較してみると、2004年時点の厚労省の推計によれば、アルコール依存症は80万人、依存症疑いを含めて520万人程度と推計される。日本の飲酒人口は推計6000~7000万人らしいので、「疑い」も含めるなら飲酒人口のうち10人に1人弱がアルコール依存ということになる。未成年のネット依存のパーセンタイルは、これに匹敵する。

成人のネット依存とも比較してみよう。2008年に厚労科研によって行われた成人を対象としたネット依存調査では、成人は271万人が該当、との事なので*1、未成年のネット依存のパーセンタイルは成人に比べて高い、と言えそうだ。

今回スクリーニングに使用された質問は、

Q1インターネットに夢中になっていると感じるか

Q2満足を得るために、ネットを使う時間を長くしていかなければならないと感じるか

Q3使用時間を減らしたり、やめようとしたりしたが、うまくいかなかったことがたびたびあったか

Q4ネットの使用をやめようとした時、落ち込みやイライラなどを感じるか

Q5意図したよりも、長時間オンラインの状態でいるか

Q6ネットのため、大切な人間関係、学校、部活のことを危うくしたことがあったか

Q7熱中しすぎていることを隠すため、家族や先生にうそをついたことがあるか

Q8嫌な気持ちや不安、落ち込みから逃げるためにネットを使うか

となっていて、これに5つYesをつけたら「ネット依存に該当」だ。しかしこの質問表は結構狭い――久里浜医療センターが公開しているIAT日本語訳版と比べると、えらくヘビーな質問が集まっているので、感度は低く、特異度は高そうにみえる。そういうテストで拾い上げた推計52万人という数字は、かなり重い数字じゃないか。

「ネットは呑んでも呑まれるな」

ネット依存を精神疾患とみなして構わないのか・どう取り扱うべきかは精神科医のなかでも悶着のあるところで、目下、最新の診断ガイドラインである DSM-5 ではinternet addiction(インターネット嗜癖)は独立した診断カテゴリーとはみなされておらず、appendixに掲載されている。韓国などを中心に治療や予防の研究は進められているものの、診断と治療の定式が確立したとは言い切れない。

とはいえ、実臨床の現場には、ネット依存、それも、どう考えても危ないネット依存の人が押し寄せてくる。現場は偉い人達の議論を待ってくれない。

  • 睡眠も上手くとれず、メシもまともに食べられないぐらいに神経をヒリヒリさせてしまった人
  • 遮二無二ネットゲームをやり続けて友人関係も大学も御破算になってしまった人
  • ネットユースを僅かでも妨げられると極度に暴力的となり、金を盗んででもネットをやろうとする人

こうした人々が通常のネットヘビーユーザーと決定的に違っているのは、インターネットを使う/使わないのセルフコントロールが完全に破綻し、インターネットに"呑まれて"しまっているところだ。健康も社会関係も省みなくなった結果として、他の精神疾患に(おそらく二次的に)罹患している人も多い。一個人としてのホメオスタシスが自力では立て直せなくなっている。

どれだけネットをヘビーユースしようとも、生活や就労を破壊しない自律的な営みである限り、依存と言うにはあたるまい。そういう人は、ネットをやるのもネットを離れるのも自由である。しかし、ネットに"呑まれて"しまった人はそうもいかない。社会活動や人間関係がどれほどのダメージを受けようとも、中枢神経系にどれほどの疲弊を生じようとも、お構いなしにインターネットに引っ張られ、呑まれ、どんどん弱っていく――本人は「これだけが心の拠り所だ」と信じながら。

「酒は呑んでも呑まれるな」というけれども、インターネットもそれによく似ている。呑まれてしまうと破滅が待っている。

中高生のネット依存は、どうヤバいのか

以上を踏まえたうえで、私個人が中高生のネット依存を危惧している理由を挙げてみる。

1.中枢神経系に大きな負荷をかけすぎる

ネット依存な生活は、中枢神経系にやさしくない。リンク先によれば、ネット依存者と判定された人の43%が6時間未満の睡眠、午前中の体調不良者は非該当者の1.6~2.7倍に及んだという。それもそうだろう、真夜中、交感神経を興奮させながら明滅するディスプレイを凝視し続けるのは中枢神経系にとって結構な負荷になるし、直後に睡眠をとろうとしても深く眠れるわけがないのだから。そんな日々が毎日続けば、日中の作業効率や学習効率は最低になってしまう。

にも関わらず、ネットゲームやネットコミュニケーションに夢中になっている間は、そうした負荷は負荷として感じ取りにくい。中枢神経系がヘトヘトになろうが、胃腸が空腹を訴えていようが、ネット依存まで到達している人は、自分の身体のコンディションをあまり省みなくなる。ネットに夢中になるあまり死者が出る記事を怪訝に思う人もいるかもしれないが、ネット依存に該当する人々の没入度合いは尋常ではなく、しばしば我が身を省みないので、疲労死が起こるのも不思議ではない。命を落とさなくても、こうした中枢神経系の疲労蓄積は精神衛生の大きなリスクファクターにはなる。

2.魅力が強すぎ、終わりが無い

「昔の深夜番組だって睡眠を妨げていたじゃないか」と反論する人もいるかもしれない。だが、依存形成という点では、それらはネットに比べて大したものではない。

第一に、深夜番組は放送される時間と番組の長さが決まっている。好みの番組が始まる前に居眠りしたって構わないし、放送時間には終わりがあった*2。そして放送時間の長い番組は稀で、際限なく延長される心配も無い。ところがネットには放送時間の終わりが無い。ネット、特にネットゲームはプレイ時間が長くなりやすく、長引かせやすい。深夜番組は「この時間からこの時間まで」という区切りが与えられていたから、セルフコントロールの利く人~自堕落な人まで一律に番組から追い出されていたが、ネットはそうではないのである。ネットの場合、セルフコントロールの利く人と利かない人で、ダラダラ続けてしまう度合いが全く異なる。

第二に、インタラクティブ性。インターネット依存を語る際、しばしば「リアルが充実していないから」という言葉を耳にするが、このことが逆説的に示しているように、ネットは本来人間関係を介して充たすはずだった心理的欲求を充たしてくれる。「他人に認めて貰いたい」「他人の視線を惹きつけたい」「誰かと一体感を感じていたい」といった心理的欲求が充たせるのは、インターネットが(マスメディアのような)トップダウン式のメディアではなく、インタラクティブ式のメディア*3だからに他ならない。ラジオ番組への手紙投稿などと異なり、高頻度・リアルタイムでインタラクティブなやりとりが発生するインターネットだからこそ、居場所・承認欲求・自己愛といった心理的ニーズを埋め合わせ得るし、そこで体感されるソーシャルな超刺激はどぎつい。

ネットは、従来のスタンドアロンな娯楽とは違って【ソーシャルな心理的欲求を充たし、いつまでも終わりが無い】特徴を持っている。こうした特徴を見過ごし、ファミコン時代のドラゴンクエストやファイナルファンタジーと同列に論じるのは適切とは思えない――どぎつい超刺激に彩られた負荷が、いつまでも中枢神経系にかかり続けるからこそ、自律できない個人、とりわけ心理的欲求に飢えている個人にはきわめて(魅力的、だが)危険なツールになってしまいかねない。

3.中高生は大人以上に自律が難しい

その自律が中高生には難しい。なにしろ彼らは若い。大人でさえ失敗しがちなネットユースの自律を期待するのは酷だし、大人よりネット依存に陥りやすいのも当然だ。昨今、ペアレントコントロールが定着しはじめ、韓国では2011年から16歳未満に対して深夜のシャットダウン政策がスタートしているけれども、そうした制限は、セルフコントロールの甘い年頃には必要だと思う。理屈のうえでは、リスクとコストとベネフィットを勘案し、用心深くセルフコントロールできるようになってからネットをやるのが望ましい。

話は逸れるが、逆に言うと、ネット依存と単なるヘビーユーザーとを分ける分水嶺として、個人の自律性・セルフコントロール能力はかなり重要だと思う。自律性に優れた人なら、ネットに暴露されてもネット依存まで転がり落ちる心配は少なそうだが、自律性の乏しい、欲求に流されやすい人はたやすくネットに呑まれてしまうのではないか。このあたり、暇な時に調べてみたいところだ。

4.中高生の技能習得を偏らせ過ぎる

思春期は一度しかやって来ない。制服に袖を通せるのはたかだか数年程度、その貴重な時期にネット依存を呈するとは、ネット上で心理的欲求を充たすのと引き換えに、一度きりの時間と労力をインターネットに吸い取られることに他ならない。先に述べたように、ネット依存に陥れば高確率で心身両面を蝕まれる。中高生時代の技能習得は大きく偏らざるを得ないし、例えば、高校や大学の単位習得などは覚束なくなる。

「リアルが充実していないからネットに依存せざるを得ないんだ」という言葉は実際その通りとしても、生活を一層荒廃させ、技能習得のチャンスを全面的に駄目にしてしまうネット依存を正当化する言い訳にはならない。むしろリアルが充実していない人が挽回するチャンス、自分の弱点を補うための学業や特技を伸ばしていくチャンスを潰してしまいかねないわけで、自律の利いたネットユースならともかく、ネット依存に陥ってしまった際のコストはベネフィットを大きく上回るといわざるを得ない。

なかにはインターネットから莫大な知識や技術を吸い上げて大成する人間もいるだろう。だが、そのような人間は極少数でしかなく、目先の心理的欲求を無計画に追いかけ、心身にかかる負荷を省みないネットユースに終始する限り、たいしたものは身につかない。

5.にも関わらず、ネットは避けて通れない

そしてネット依存には、アルコール依存や薬物依存やギャンブル依存とは大きく異なる面がある。

アルコール無しでうまくやっている人も沢山いるし、薬物やギャンブル抜きの生活でも大抵の人は不自由しない。ところがネットはそうはいかない。インターネットはインフラとして生活の隅々に浸透してきているので、ある程度の習熟、ある程度のスキルアップが必要不可欠だ。避けては通れないのだ。

ネット依存を批判する切り口の一つに、「ネット依存という言葉が包含する範囲が広すぎる」というものがある。そうかもしれない。ただ、私はそのような定義のおさまりの悪さこそがネット依存の厄介さを象徴しているのではないかと思う。

ネット依存者を省みれば、SNSに依存する者もいればskypeに依存する者もいる。ネットゲームに依存する者もいればtwitterに依存する者もいる――インターネット依存は案外ネットサービスの種類を問わないというか、1.インタラクティブなコミュニケーションが発生し、2.心理的欲求が充当され、3.一定のリアルタイム性 を持ったネットサービスならどこでも起こり得るようにみえる。しかも、そのようなネットサービスは、手紙や電話以上に私達のコミュニケーションを司るようになっている。

だから、セルフコントロール能力が少々弱かろうが、ライフイベントによって一時的にセルフコントロールが難しくなっていようが、インターネットはお構いなしに追いかけてくる、と想定せざるを得ない。アルコールやドラッグは避けて通る道があるけれども、インターネットを避けて通るためには相応の社会的コストを支払わなければならない。もちろん、ネットを回避するための社会的コストは今後増大すると想定されるので、一般には、若いうちから適切なネットリテラシーと節制を身につける必要性があるだろう。

「若ければ若いほど自律が弱くネットに呑まれやすい」のに、「若いうちにネットに習熟しておくのが望ましい」とは!パラドックスもいいところだ!

結局、若いうちから注意深いネットの使い方を学び、できるだけセルフコントロールの力を強くしておく......ぐらいしか上手い手がなさそうだ。中高生のネットユースを年長者がペアレントコントロールし、自律した人間形成を目指せば大丈夫......と書くは簡単だが、実行するのは容易ではない。

今みているネット依存の問題は、氷山の一角かもしれない

私の記憶が確かなら、今年の精神神経学会の教育公演の席上で、樋口進先生は「うち*4のネット依存外来に来るのは、今のところ、親が教育熱心な家庭が多い。ネット依存に問題意識を持って病院を訪ねるような層がやって来る」的なことを仰っていたと思う。もし、教育不熱心な家庭のネット依存が臨床シーンには現れておらず、今診ているのが氷山の一角だとしたら、今後、ネット依存を巡る臨床的/社会的イシューはまだまだ増え続けるのではないか。

ほんの数年前まで、ネット依存といえば、自宅にパソコンを据え置きインターネット回線を敷くような"甲斐性のある家庭"でしか成立しないものだった。情報化社会のアーリーアダプターだけがネット依存のリスクと向き合っていた、とも言える。ところがいまや、スマートフォンやタブレットを使った常時接続が普及し、レイトマジョリティまでもがSNSやソーシャルゲームに触れ、日本の最果てまで逃げてもインターネットが追いかけてくるようになってしまったのである。いつでもどこでもインターネット――ああ、なんという利便性、そしてなんという拘束力!

ネットユーザーが増え、いつでもどこでもネットに繋がるようになったということは、ネット依存のリスクときちんと向き合わなければならない個人が増えたという事に他ならない。ネット依存を巡る一層の議論と対策が講じられることを期待したい。

[ネット依存未満の人についてはこちら↓]

「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?―


作者: 熊代亨


出版社/メーカー: エレファントブックス


発売日: 2013/05/12

*1:注:ソース:H25年精神神経学会の樋口進先生による教育公演

*2:また、深夜ラジオの場合、明滅するディスプレイを覗かなくて済むぶん神経に優しかった

*3:インタラクティブであると錯覚させやすいメディア、と言い換えたほうが適切なのかもしれないが

*4:久里浜医療センター

(※この記事は、2013年8月3日の「シロクマの屑籠」から転載しました)

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