天賦の才能によらず、夢を見ているXさんへ

四半世紀ほど前に比べると、単純な努力や自己実現志向が褒められない時代になりましたね。あの頃の老若男女が白昼夢に溺れ過ぎていたわけですから、仕方ないと思います。

天賦の才能によらず、夢を見ているXさんへ。

四半世紀ほど前に比べると、単純な努力や"自己実現志向"が褒められない時代になりましたね。あの頃の老若男女が白昼夢に溺れ過ぎていたわけですから、仕方ないと思います。

でも、伸び代の大きな年齢の男女が夢を語るのは悪くはないし、夢に近づくために何が必要なのかを考え、実践を積み重ねるのは大切なことだと思います。ひとことで夢と言っても、大層なものとは限りません。自分のブログを長く続けたいだとか、ゲームの大会で一回戦を突破したいだとか、そういった手近な夢でもいっこうに構いません。

夢を見て裏切られ、夢に手が届かない自分自身に失望し、偏った現実主義になっていませんか。あるいは、夢を見ることと現実を踏まえることは相矛盾していると思い過ぎて、「夢と現実の折り合いなんてつけられない」と思ってしまっていませんか。

精度の高い設計図を抱いて夢に挑め

確かに、夢を見ることと現実を踏まえることが矛盾しやすい人はいます。

「夢と現実の折り合いをつける」ためには、夢を実現するために必要な作業過程やエッセンスを推測する能力が必要で、それがない人の場合、夢と現実の折り合いづけは難しくならざるを得ないでしょう。でも、Xさん、あなたは多分そうではないように思います。

夢には設計図が必要で、夢のサイズが大きいほど、その設計図に求められる精度も高くならざるを得ません。何もしないで白昼夢に耽るのは論外ですが、「ただ努力さえすれば夢が叶う」と思ってかかるのも無謀です。

・夢を叶えたり近づいたりするためには、どんな要素が必要で、そのうち手に入りにくい要素は何なのか?それは他の手段で補える代物なのか?

・夢に近付くために特定の練習や努力が必要だとして、どのぐらい現在の(そしてこれからの)自分に練習や努力が可能なのか? もしそれが困難だとしたら、どうすれば練習や努力ができるようになるのか?

・夢を叶えるにあたって、自分の長所は一体どこにあるのか?逆に、夢の足を引っ張りそうな短所はどこにあるのか?長所を生かし、短所を殺す方策はあるものなのか?

こういった事が、夢の設計図には書かれていなければならないし、その設計図の精度が雑な場合、夢という名のロケットが途中で折れる確率は高くなりそうです。逆に、設計図の精度が高く、オペレーションとして見込みがあるなら、ロケットは遅かれ早かれ飛ぶでしょう。くわえて、

・もし、夢を叶えるための"ロケット"が折れたとして、自分にはどれぐらいリトライするだけのリソースがあるのか。二回目、三回目にはどのような工夫を経てやり直すのか。

まで視野に入っていれば、「一度きりのトライで夢を諦める」という、とうてい夢の叶いそうにないバッドエンドに拘らずに挑戦できますし、

・たとえ夢が叶えられないとしても、その過程でどのような副産物を得て、別種の可能性や能力を獲得できる余地があるのか。

まで視野に入っていれば、夢そのものが叶わなくてもそんなに悪いことにはならないんじゃないかと思います。

夢が叶ってしまった時の事、考えたことありますか?

でも、私のような臆病者の場合は、ここまででもまだ用心が足りないと感じてしまいます。

夢の実現だけ考えるのは片道切符だけ買う人みたいなもので、いざ、夢が実現してしまった後の対応や"後片づけ"についても設計図に載っていたほうがいいと思うんですよ。夢に危険な要素が混じり込んでいる場合には特にそうです。

【夢が叶う=幸せ】と勘違いしている人が、世の中には沢山います。ビジネスの夢が叶った。恋愛の夢が叶った。おめでとう!おめでとう!でも夢が叶った後の事は何も考えていませんでした→不幸になりました→バッドエンド!なんて話はそこらじゅうにあります。

夢の設計図には、「もし夢が叶ってしまったらどうなるのか・どうすべきか」まで盛り込んでおいたほうが良いと思うんです。

・夢が実現した場合に何が起こるのか。期待通りの良い事ばかり起こるのか。それとも何か悪い事も起こるのか。

・夢が実現した後にどのような課題が自分に課せられるのか? 自分と自分の周りの生活環境に、その夢に対処し持続させるだけの力があるのか? 対処できるか否かがわからないとしても、対処しようとする意志や覚悟はできているのか。

・最悪、実現した夢から"脱出"する方法はあり得るのか? "夢から醒める"ための気付け薬に相当する要素は備えているか?

こうした「夢の後処理」「夢の後片づけ」にも、多少なりとも注意を払っておくのが、望ましい夢の設計図だと私は思います。まあ、夢と一緒に無理心中したいなら話は別ですが......。

"棚から牡丹餅"にはほとんど期待できない

「夢の設計図を考えるのはおっくう」だとか、「設計図の精度を高められない」とか、そういう風に仰る向きもあるかもしれません。そういうの、よくありませんね! 設計図も航海図も無しに"棚から牡丹餅"できると思ったら大間違いです。

かりに、夢に向かうワンステップを"棚から牡丹餅"でスキップできたとしても、牡丹餅はそう何度も降っては来ません。まして、叶った夢を維持するとなれば幸運頼みなんて不可能です。もちろん特別な幸運は活かすべきですが、通常モードでも夢に向かって前進し続けていなければ夢なんて叶いません。少なくとも、一定以上のサイズの夢を叶えるには幸運は副次的要素でしかなく、相応のビジョンに基づいた実践の積み重ねが結局はモノを言うことになります。

たぶん、大きな夢ほど、夢の設計図の精度は高くなければならず、積み重ねなければならない実践も大きくなるでしょう。失敗を教訓とし、設計図の書き換えも随時行っていかなければなりません。もし、それが出来ないというのならば、夢なんて見ないほうがいいんじゃないでしょうか。

逆に言うと、そこそこ精密で現実的な夢の設計図を描ける、その程度がその人が抱いてOKな夢のサイズなのかもしれません。いきなり大風呂敷な設計図を描けない人でも、小さな設計図なら十分精密に描けるって場合はあるはず。そういう人は、描ききれない巨大な夢の設計図を描こうとするのでなく、さしあたり、自分が十分に精密に描ける夢の設計図をつくって、それを何枚も積み重ねていくのが良いと思います。

そうやって精度の高い構想と実践を繰り返していれば、少しずつ先がみえてくるんじゃないでしょうか。どうか焦らず、手の届く範囲から達成していってください。

(2015年11月29日「シロクマの屑籠」より転載)