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手の届きにくい“消費の対象”としての子ども・子育て

今日、とりわけ東京では、子どもはショーケースの向こう側の存在にみえる。

2017年09月01日 17時04分 JST | 更新 2017年09月01日 17時09分 JST

以下は、全国の大半に当てはまる気がするけれども、出生率・教育費・意識の高さ・待機児童問題などを考えるに、東京とその周辺に最も当てはまると思うので、そういう前提で書き残しておく。

東京の子育てはハードルが高すぎる

今日、とりわけ東京では、子どもはショーケースの向こう側の存在にみえる。

比喩ではなく、宝飾品のたぐいや、高級ワインや、スポーツカーに近づいていると思う。

少なくとも昭和時代の中頃に比べれば、子どもはショーケースの向こう側の存在に例えやすくなった。

この、洗練された消費社会では、一面において、子ども・子育ても消費の対象だ。消費の対象が"モノ"より"コト"などと言われている今日では、とりわけそうだろう。90年代には、マイホームに暮らす核家族というイメージが消費の対象になったが、10年代においても、幸福な親子の姿は消費の対象たり得る。テレビや動画のCMに出て来る家族像は、イメージであり、商品であり、消費の対象としての側面を免れない。

「こんな家族って素敵でしょう?さあ、お買い求めください」である。

幸か不幸か、東京で子育てをしている人々、なかでも、見事に子育てをやっている人々は、そのイメージどおりの家族を、まさにやってのけている。少なくとも目に付きやすい場所で目に付く家族は、CMに出てきてもおかしくないような子育てを実演している。彼らは、消費の対象としての子育ての購買者であるとともに、宣伝者でもある。

「こんな家族って素敵でしょう?さあ、お買い求めください」である。

現代人の大半は、ただ子どもを産んで、ただ飢えさせないだけでは良い子育てとはみなさない。

子どもは教育されなければならない。

教育にはカネがかかる。その費用も負担しなければならない。

東京周辺は、教育費の水準が全国トップクラスである。

塾や稽古事に行かせない子育てなど、誰もイメージしていない。 

子どもを育てるには良い生活環境も必要だ。

何をもって良い生活環境とみなすかには、価値観の違いもあろうけれども、ともかく、一定の清潔なスペースがあったほうが良いし、泣き声対策や騒音対策まで考えるなら、子どもを育てやすい環境というのも難しい。

参観日、運動会、そのほか親子で楽しむ余暇も、ノーコストというわけにはいかない。勤務先が学校行事への参加を許容していたとしても、現場では一定の気遣いは必要だし、親子で楽しむ余暇には必ずと言って良いほどカネがかかる。 

ところが今日、子どもをもうける・子育てをやるというのは、言外に、これらの諸条件が前提になっている。これらを欠いた子育てをイメージしている東京人などいないし、実際、これらを欠いた子育てをやってのける東京人もなかなかいないだろう。

それどころか、これらの前提を欠いていればいるほど、「親としてできていない」とみなされかねない。他人から批判されなくても、世間の子育てのイメージから乖離していると親自身が自覚していれば、それだけで罪悪感に苛まれる。なぜなら、子育てとはこういうものだ、こういうものであるべきだという固定観念が、いや、ルールが、社会の隅々に浸透しているからだ。

お役所的には、教育や生活環境や親子行事にあまりに消極的な親は、程度によっては、ネグレクトや虐待の嫌疑をかけられかねない。児童相談所の活動は、本義として子どもの権利を守るものだが、付随的に、親が子育てに要する最低基準コストを規定している、ともいえる。

そのうえ、子育てを始める前段階にも膨大なコストがかかる。少なくとも、イメージとして流通し、商品として、消費の対象として期待されるような子育てを始めるには、相当なコストが要る。

夫婦であれシングルマザーであれ、何も考えずに子どもを産んで、何も考えずに子育てに突入する親は、今日日はあまりいない。子どもをもうけるという行為は、神様からの授かりものである以上に、個人の選択、ライフスタイルの選択である。少なくとも、イメージどおりの子育てを前提としている人々は、子育てに要するコストと自分の手持ちリソースを天秤にかける程度には"賢い"。

そもそも、子どもは一人ではもうけられない。男性と女性がつがいになってもうけるものだから、どんなに子どもが欲しくても、そのためのパートナーに巡り合えなければ子育ては始められないのである。そして、このパートナーに巡り合うためのコストが、これまた高い。バブル景気の時代よりは下がったじゃないか、若い女性ならコストが少ないんじゃないかと反論する人もいるかもしれないが、恋愛にせよ婚活にせよ、ハードルはそんなに下がっているようにはみえない。若い女性にしても、結婚に考えを巡らせるのは相当大変だ。

で、全部のハードル越えられる東京人って、どれぐらいいるの?

このように、今日、子どもをもうけて子育てをするためには、たくさんのハードルをクリアしなければならない。 

まず、パートナー探しのためのコストを費やしてパートナーに巡り合い、挙児についてのコンセンサスをまとめるか一人で挙児する覚悟を決めるかして、お役所が要求する子育ての最低ラインは当然クリアして、世間と自分の価値観に染み込んだ子育てのイメージや前提にかなった、高コスト体質な子育てをやってのけなければ、「子育てができている」という手応えが掴めないようになっている。

だから私は、「現代の子ども・子育てはショーケースに入っている」と例えずにはいられない。

特に東京では、子育ては本当に大変だと思う。

待機児童問題という、共働き夫婦にとって、否、共働きではない夫婦にとっても重要な問題が、いまだ解決されていない。祖父母に子育てを手伝ってもらいにくい夫婦も首都圏にはたくさんいる。

教育にはとにかくカネがかかる。今日日は、地方の郊外でも、結局、子どもに何かを習得させるためにはリソースを投下するしかないのだが、首都圏は、その相場が高い。見栄っ張りな親にとって、教育費は、底なし沼のようなものだ。 

また、地方都市と比較して、東京では、CMに登場してもおかしくないような親子連れを見かける頻度が高い。

上野動物園や井の頭公園といった「おでかけスポット」に限らず、たとえば駅前のスターバックスで一服している親子連れ、タワーマンション併設の公園で遊んでいる親子連れ、住宅街のコンビニや商店街で見かける親子連れも、バリエーションこそあれ、CMに出てきてもおかしくない雰囲気だ。地方都市にもそういった親子連れはいるが、東京のほうが、全体的に粒が揃っている。

昭和時代には許されても、平成時代には眉を顰められるような叱り方をしている親を見かけることも、東京ではまず無い。そのような親が東京にいないわけでもなかろうが、少なくとも、他人の目に触れてはいけないという意識が、東京では徹底しているとみえる(地方都市では、ときどき"粗を見かけることがある")。

東京の出生率は、全国で最も低い1.24*1だという。

そりゃあそうだよね、と私は思わざるを得ない。

東京で子育てをやってのけるためには、パートナー探しから始まって、たくさんのハードルをクリアしなければならない。子育てを始めたとしても、イメージどおりの子育てを実践するために、全国トップクラスのコストを投じなければならない。そのうえ、東京には、子育てとコストを競合するような消費の対象が無尽蔵に存在して、人々を魅了し続けている。

これでは、20代~30代の人が子育てにしり込みするのは無理も無い。

子どもがショーケースに入っている国に、未来などあるのだろうか。

"コトの消費""体験の消費"といった観点だけからみても、子育ては素晴らしいものだが、楽なことばかりではないし、大半の人にとって、一生を左右するほどコストがかかる。コストという表現が馴染まないと指摘する人もいるだろうが、消費個人主義が浸透し尽くした現代の東京で、コストを意識しない子育てなど考えられない。それゆえ、東京での子育てはショーケースの向こう側に輝く"消費の対象"という側面を免れない。

今日、東京で子育てをやりおおせている人々、CMに出てきてもおかしくない雰囲気の親子をやってのけている人々は、皆たいしたものだと思う。それが体裁に過ぎない場合ですら、簡単にできるものじゃない。どうあれ彼らは、ショーケースに手を伸ばしてみせたのである。

他方、子どもと子育てがショーケースに陳列されて、おいそれと手が出せない状況が続く限り、東京の出生率が高くなることなどあり得ない。そこに全国の若者が吸い寄せられ続けるとしたら、日本の未来はお察しである。

どうして子どもはショーケースの向こう側に行ってしまったのか?

その背景はいろいろ思いつく。だが、書くのも疲れてきたし、ちょっと憂鬱になってきたので、今日はこのへんで。

(2017年8月30日「シロクマの屑籠」より転載)